著者
長野 太郎 Taro NAGANO
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 = BULLETIN OF SEISEN UNIVERSITY RESEARCH INSTITUTE FOR CULTURAL SCIENCE (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.39, pp.112-91, 2018-03-31

本稿は、占領終了から昭和末年までの戦後昭和期(1952―1989)に、日本語で公刊された旅行記、旅を主題とするエッセイ、評論などを対象として、冒険旅行をめぐる言説の傾向を検討する。右肩あがりで経済成長をとげる一方、冷戦構造による世界の明確な分断が続いていたこの時期、海外旅行は今ほど身近なものではなく、海外に旅することそのものが冒険的なこころみであった。この時期の冒険旅行をめぐる言説は、さまざまな断層のなかに散在している。まずは、戦前からの国家主義を内包した探検のエートスが、京大野外研究派を通じて探検部に引き継がれ、1960年代中頃までつづいた。そこでは学術的新発見や、未踏地制覇のような記録が重視された。1964年に海外旅行が自由化されると、一部のエリート学生以外も探検的領域に足を踏み入れることが可能となり、前者の探検とはことなるスポーツ的行為、または冒険旅行が試みられるようになった。やがて、1960年代末の学園闘争をへて、探検のエートスは決定的に存立基盤を崩される。いよいよ多くの若者が海外に出かけ、長期の私的冒険旅行、いわゆる放浪の旅をおこなうと同時に、探検部もスポーツ的冒険路線に方向転換を余儀なくされた。戦後昭和において、海外旅行の大衆化、個人化が進行していくなかで、冒険旅行をめぐる言説は、私的物語となるか、スペクタクル化する方向をたどるかのいずれかであった。
著者
長野 太郎 ナガノ タロウ Taro NAGANO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.35, pp.242-222, 2014

アメリカ合衆国における社交ダンス、とくにペアダンスの歴史には、つねにピューリタン的禁欲主義の問題が関わっていた。こうした禁欲主義は、マックス・ヴェーバーの言う資本主義の精神の根本にあり、人々の行動を内と外から統制してきた。つまり、労働の対極にあるものとしてダンスを遠ざける一方で、道徳的な観点からの糾弾もなされてきた。また同様に、人種、階層、ジェンダーなどの社会的変数が歴史状況に応じて交渉される、接触領域の存在も重要である。本稿では、もっとも米国的な社交ダンスが登場した1920 年代に注目する。 El ascetismo puritano ha estado presente en la historia del baile social en Estados Unidos, sobre todo en relación con el baile de pareja. Dicho ascetismo, elemento constitutivo fundamental del espíritu del capitalismo según Max Weber, ejerce control sobre los comportamientos de las personas desde dentro y desde fuera: por un lado, debido a la reprobación del baile como enemigo del trabajo y a la polémica moralizante por otro. Asimismo, otro factor a considerar es el de las zonas de contacto, que cambian según los momentos históricos, donde las diferentes variables sociales como la raza, la clase social o el género entran en juego. Se presta atención especial a los años 20 cuando los bailes modernos típicamente estadounidenses aparecieron.
著者
長野 太郎 ナガノ タロウ Taro NAGANO
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.35, pp.222-242, 2014-03

アメリカ合衆国における社交ダンス、とくにペアダンスの歴史には、つねにピューリタン的禁欲主義の問題が関わっていた。こうした禁欲主義は、マックス・ヴェーバーの言う資本主義の精神の根本にあり、人々の行動を内と外から統制してきた。つまり、労働の対極にあるものとしてダンスを遠ざける一方で、道徳的な観点からの糾弾もなされてきた。また同様に、人種、階層、ジェンダーなどの社会的変数が歴史状況に応じて交渉される、接触領域の存在も重要である。本稿では、もっとも米国的な社交ダンスが登場した1920 年代に注目する。