著者
高崎 章裕
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2009年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.25, 2009 (Released:2009-12-16)

本報告は、熊本県球磨川流域を事例に、環境運動がどのように展開してきたか、川辺川ダム計画との関係に注目しながら、地域や政策決定に与えた影響について明らかにすることを目的とする。
著者
高崎 章裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.2, 2008

<BR> 近年,環境への関心が高まり,河川の清掃活動や植林活動などがNPO団体や市民ボランティアによって,全国各地で行われている.地域を越えた住民や市民団体のネットワークの形成は,環境問題を考える上で重要な役割を果たすものと考えられる.<BR> そこで本研究では,熊本県球磨川流域において環境保全を行っている「球磨川水系ネットワーク」の活動,中でも「球磨川源流水リレー」を取り上げ,人々がどのように流域圏のネットワークを築き発展させてきたのか,そしてそのネットワークを通して,地域や球磨川に対する参加者の意識がどのように変化してきたのかについて明らかにすることを目的とする.<BR> 熊本県球磨川流域には17の自治体が含まれ,流域内人口は約14万,流域面積は1,880km<SUP>2</SUP>におよぶ.当該地域にはいまだに決着が付いていない川辺川ダムの建設問題が残されており,球磨川流域の住民は古くから環境問題と向き合ってきた.そして1996年,球磨川の変化に気づいた住民たちが「球磨川水系ネットワーク」を立ち上げた.現在は39団体で組織され,流域内の植林活動,一斉清掃,水質調査などを実施し、また共同イベントとして「球磨川源流水リレー」を毎年開催している.<BR> 「球磨川源流水リレー」とは,竹筒に汲んだ球磨川,川辺川の源流水を人の手だけでつなぎ,約170kmの距離を隔てた八代海まで運ぶイベントである.イベントが始まった1996年の参加者は約50名に過ぎなかったが,ビラ配りなどの地道な宣伝を通して学校や地域に情報を発信し続けてきたことで認知度が高まり,現在では約700名もの流域住民が参加するイベントへと成長した.参加者層は,地域住民や地元の小中高校生をはじめ,カヌー・ラフティングクラブ,漁協組合,そして自治体職員まで非常に幅広い.<BR> そして「球磨川源流水リレー」は,2005年から,不知火海に注ぐ約20河川の源流水を運ぶ「環・不知火海源流水リレー」へと規模が拡大された.「源流水をリレーする」という行為は,人と人,地域と地域を繋ぐ象徴的行為である.参加者たちは,実際に球磨川に接することで現状に気づき,球磨川からの恩恵や自然への感謝の気持ちが芽生え始める.そして、彼らの中には"My River"という考え方を持つものさえ出てきた.「球磨川源流水リレー」の参加者たちは,活動を通して球磨川という特定の自然に対する意識が変化したと捉えることができる.<BR> 本発表では,自然の意味,すなわち場所の意味が,どのように変化し,形成されていったのかについても報告をしたい.
著者
高崎 章裕
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.14-14, 2011

I はじめに 本研究では、沖縄県北部の名護市辺野古区への移設が計画されている普天間飛行場代替施設の建設問題と沖縄県国頭郡東村高江のヘリパッド移設問題をめぐる環境運動を取り上げる。これまでの沖縄における基地移設問題は、日本とアメリカが形成する安保体制に基づく、そして時には安保を越えた米国主導の世界国際システムを維持するための要としての米軍基地の存続が、沖縄に厳しくのしかかってきた。そのため、政治学や国際関係論の議論が必要不可欠であった。他方で、基地収入などによる外部依存経済体制の沖縄の地域構造を、沖縄の自治や内発的な発展の模索を目指した研究がおこなわれてきた。 しかしながら、基地問題を含めた沖縄の環境問題研究については、多くの場合、保護・保全という側面ばかりが強調されてきた。それは、沖縄の豊かな環境や生物多様性が乱開発や基地建設に脅かされることで、「現場」における緊急な保護・保全の対応が求められたからである。言い換えれば、市民が「現場」での対応に追われたことで、環境と地域住民のローカルな関係性が評価されることは少なく、グローバルで普遍的な価値を見出す視点が重要視されてきた。 そこで、本研究では、辺野古と高江の座り込み運動を事例とし、空間スケールの視点から分析を行うことで、運動の展開過程とそれらの環境運動がそれぞれの地域とどのような関係性を持っているかを明らかにすることを目的とする。II 辺野古をめぐる反対運動の展開 1996年の「沖縄に関する特別行動委員会」の最終報告で宜野湾市の普天間飛行場の全面返還が発表されたことで、辺野古沖への移設問題に対する反対運動が展開されることとなる。翌97年1月には、辺野古区民を中心に27名が参加して、「ヘリポート建設阻止協議会」が結成され、この協議会は後に、通称「命を守る会」としての役割を担うこととなる。それ以降、地元集落だけではなく、名護市民の動きが急速に活発化し、4月には「ヘリポート基地を許さないみんなの会」、5月には「ヘリポートはいらない名護市民の会」が結成され、市民投票推進協議会結成への足がかりとなる。 1997年12月21日の市民投票結果は、条件付き反対を含めて過半数が反対、無条件反対のみで過半数を占めた。反対派の市民グループとしては、「命を守る会」の他に、旧久志村北部の「二見以北十区の会」、名護市西部とくに市街地女性を中心とした「ヤルキーズ」(命どう宝ウーマンパワーズ)、名護市東部を中心に活動した「ジャンヌの会」などが中心となって活動を行った。中でも「ジャンヌの会」の呼びかけで沖縄をつなぐ全国的なネットワークが形成され、5月8日から10日に、東京大行動を行った。県内20団体、124人の沖縄女性が参加した。市民投票の1年後には、「新たな基地はいらないやんばる女性ネット」が形成された。 2000年以降になると、ジュゴン保護関係団体や世界自然保護基金日本委員会(WWFジャパン)などによる自然保護運動が沖縄の反基地運動・平和運動において無視できない大きなうねりを生み出した。III 高江をめぐる反対運動の展開 沖縄本島北部の山や森林など自然が多く残っている地域は、やんばると呼ばれ、東村高江はそのやんばるの中に存在する。人口は150名、そのうち中学生以下が約2割を占めている。先述の1997年のSACO合意により、北部訓練場の約半分を返還する条件として、返還される国頭村に存在するヘリパッドを、東村高江へ移設することが計画されている。現在でも東村には15か所のヘリパッドが存在しており、そこへ新たに6か所のヘリパッドの建設が予定されている。 高江の住民は2006年にヘリパッド反対の決議を行い、計画の見直しを要請してきた。2007年7月2日、防衛局は工事を着工したことで、その日から高江住民は座り込みによる工事阻止行動を続けている。2007年8月24日に、「ヘリパッドはいらない住民の会」が設立されているが、高江集落の規模から考えてみても、その中心となっている住民はわずか数世帯である。しかも、2008年11月、国は座り込みが工事の妨げになっているとして、住民ら15名に対し、通行妨害禁止の仮処分を那覇地裁に申し立てるなど、座り込みを維持するためには、支援団体によるサポートが不可欠である。その中心を担っているのは、奥間川流域保護基金のメンバーを中心とした沖縄・生物多様性市民ネットワーク、沖縄平和運動センターなどが、現地での座り込みのサポートを行ったり、防衛局への異議申し立てなどを行っている。 報告では、辺野古・高江をめぐる座り込み運動の空間スケールおよび、運動主体の関係性について比較をおこなうことで、現在運動の置かれている状況の分析をおこない、運動が抱えている課題について検討していく。