著者
和田 正平 PIUS S.B MASAO F.T 小田 亮 阿久津 昌三 栗田 和明 渡辺 公三 江口 一久 端 信行 PIUS S.B. MASAO F.T.
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1989

本調査はケニア、タンザニア、ザイ-ル、カメル-ン、ガ-ナを主要調査国として1989年から3年間(3年目は調査総括)伝統的政治構造と近代化の比較研究を目的に実施された。調査開始後の1990年頃からアフリカには「民主化」の気運が急激に高まり、複数政党制へ転換する要求運動が実現にむけて動きだした。1991年11月ザンビアで一党独裁が打倒され、12月にはケニアの一党制廃止がきまった。こうした独立時を彷彿させるような急激な民主化運動は社社主義の挫折という国際関係の大変化に呼応しているが、内実、根強い部族主義から噴出している面も否定できない。調査は政治人類学的な視角から住み込み調査法によって行なわれ、以下のような調査成果が得られた。ケニアでは、新しく結成された二大野党FORDと民主党の支持基盤について調査を行なった。民衆の民主化要求では裏面で小数派のカレンジン族出身の現大統領に対する反政府運動であり、新党の結成は新しい部族の対立と反目を生み出している。他方部族の基盤である農村では西ケニアを中心に住み込み調査を行なった。地方では、近代行政とは別個に伝統的権威をもった長老会議が実質的な力をもっていることが明らかにされた。具体的にはアバクリア族のインチャマのように長老会議は邪術者によって構成されているが、個別利害をこえて裁判等を行ない、その権威は正当化されている。タンザニアでは逆に伝統的な長老会議は衰退、共同体儀礼の消滅が記録された。調査したイラク族の村ではウジャマ-開発が強行された後、行政組織はCCM(革命党)に密接に関連するようになり、長老会議は家庭内のもめ事を解決するだけに機能が縮小した。しかし、かつて首長制があったニャキュウサ族ではCCMの影響もさほど強くなく、長老会議の権威がまだ維持されていて、土地の再分配等に大きな発言力をもっている。ザイ-ルでは1990年にカサイ州、クバ王国を調査した。現王朝は17世紀前半の王から数えて22代目にあたり、今日も伝統的権威をもった王が、実効的な統治を行なっている。今回は、王国に生きる人々の社会空間の場がどのようにつくられるかを目的に調査を行なった。具体的にはクバ王権とその傘下のショウア首長権を対比し、両者の最大の質的差異が女性の「集中=再分配」システムから発していることが明らかになった。王権の形成史を女性の授受関係を通してみることがいかに重要な視点であるかを明示できたと思う。カメル-ンでは19世紀末から20世紀初頭にかけて、北部フルベ諸王国で創作された抵抗詩「ムポ-ク」を採録した。「ムポ-ク」はヨ-ロッパ人の前では決して明かすことのなかったフルベ族の本心が、詩というメタフォリックな形で表現された貴重な資料である。伝統的な吟遊詩人「グリオ」が朗唱の中で暗に植民地政府を批判し、世論を形成していった社会状況がこの詩からうかがい知ることができる。また北西部州では、マンコン王国の伝統的王制と近代文明的価値をめぐって調査を行なった。歴代伝承されてきた王の伝統的諸儀礼と近代化に対応する社会と文化の変容過程に注目し、両者が功緻に融合している状態を観察し、その実態について民族誌的記録をとることができた。ガ-ナでは中部アシャンティ王国の王都クマシにおいて現地の歴史資料に依拠しつつ、歴代王位の継承方式のついて調査を行ない、アサンテ王における王位をめぐる相克の歴史を明らかにした。王朝は統合と分裂を繰り返したが、王母を核とする「血の原理」に着眼し、王位継承を論じたところに、今回の研究の新しい展開がある。ト-ゴでは、中部山岳地方に居住するアケブ族の首長制の形成と解体に関する調査を行ない、同地方の伝統的政治組織が海岸諸王国の奴隷狩りに対抗していたことを証明することができた。以上、調査を分担した各個は、成果報告として論文を作成中であり、国立民族学博物館論文報告や学会誌等に寄稿する予定になっている。