著者
前田 博 進士 五十八 Hiroshi MAEDA SHINJI Isoya 東京農業大学大学院農学研究科環境共生学専攻 東京農業大学地域環境科学部造園科学科 Specialize of Environment Symbiosis Department of Agriculture Tokyo University of Agriculture Department of Landscape Architecture Science Faculty of Regional Environment Science Tokyo University of Agriculture
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.274-282,

平成15年の地方自治法の改正によって公の施設に関して「指定管理者制度」が導入されることとなり,地方公共団体の所有する各種の施設と並んで都市公園もその対象となった。導入時のいきさつから招かれざるものとして公園管理者に受け止められた制度であるが,施行から2年を経過した現在比較的好印象で迎えられているように感じられる。そこで,都市公園管理史の観点から「指定管理者制度」の導入が都市公園の管理行政にどのような意味を持つかを検証した。考察の結果,「指定管理者制度」の導入は太政官布達第16号以来の都市公園管理史における転換期の特徴である外圧性と偶然性を持ち,近年の都市公園管理行政の閉塞感を打破する可能性,むしろ将来的に市民利用本位の公園管理のあり方を示唆する主要方策のひとつであることがわかった。具体的には ○1公園管理を再点検 ○2正確な数量把握による予算確保 ○3評価のための利用者意向把握等の動きが見られ,財政悪化時代を迎え危機的状況にあった公園管理行政の転換点となった。
著者
前田 博 進士 五十八 Hiroshi MAEDA SHINJI Isoya
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.274-282, 2008-12

平成15年の地方自治法の改正によって公の施設に関して「指定管理者制度」が導入されることとなり、地方公共団体の所有する各種の施設と並んで都市公園もその対象となった。導入時のいきさつから招かれざるものとして公園管理者に受け止められた制度であるが、施行から2年を経過した現在比較的好印象で迎えられているように感じられる。そこで、都市公園管理史の観点から「指定管理者制度」の導入が都市公園の管理行政にどのような意味を持つかを検証した。考察の結果、「指定管理者制度」の導入は太政官布達第16号以来の都市公園管理史における転換期の特徴である外圧性と偶然性を持ち、近年の都市公園管理行政の閉塞感を打破する可能性、むしろ将来的に市民利用本位の公園管理のあり方を示唆する主要方策のひとつであることがわかった。具体的には(1)公園管理を再点検(2)正確な数量把握による予算確保(3)評価のための利用者意向把握等の動きが見られ、財政悪化時代を迎え危機的状況にあった公園管理行政の転換点となった。
著者
渡部 章郎 進士 五十八 山部 能宜 Akio WATANABE SHINJI Isoya YAMABE Nobuyoshi
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.20-27,

2004年には景観法が公布・施行され「景観」は法律用語になった。しかしそれ以前から,「景観」は様々な分野で使用された。それら異なった分野では,「景観」の語は導入の経緯や使い方も異なっている。本研究は景観用語と概念の変遷を専門分野別にたどり,明らかにしようとするもので,本報では特に地理学系分野について考察した。本稿で得られた結論は,次の3点にまとめられる。(1) 地理学系の景観概念は,ドイツLandschaft論の影響を強く受け展開されるが,ドイツでも概念規定が不明確で,地理学の本質論に関係する問題でもあるため,日本でも激しい議論がなされてきた。(2) 景観概念は「地域」か「風景」か,という問題で常に議論されてきた。景観概念の不明確さは,ドイツのLandschaftが地域と風景という,別のルーツを持つ2つの意味を持つ言葉であったことに由来する。また,類義語であるLandscapeや風景には地域の意味が存在しない点が大きい。(3) 近年は,自然地理学では,生態学と結びついた「地域」の研究,また人文地理学は,英語圏のLandscapeの解釈から「風景」といった人間を主体としたイメージや認識論からのアプローチによる概念研究がなされている。
著者
渡部 章郎 進士 五十八 山部 能宜 Akio Watanabe Shinji Isoya Yamabe Nobuyoshi
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.299-306,

景観法の公布(2004年)により「景観」は法律用語になったが,明確な定義はなされていない。景観は様々な分野で使用されているが,「景観」の語の導入経緯と用法は異なっている。本報では景観用語と概念の変遷について,造園学および工学分野における場合を辿ってみた。本考で得られた結論は,次の3点にまとめられる。(1) 造園学および工学における景観概念は,「景観」を計画,創出,管理していこうという立場からのものであり,実務的で行政との関係が深い。いずれも景観概念は環境と景観を結びつけた,いわば「環境の総合的なながめ」とされている。(2) 両分野における景観概念や技術は,法制度に組み込まれた風致・美観を実現するための理論からスタートした。景観は,自然景観と文化景観に大別されるが,造園学ではより自然の視点に,一方工学では文化(人工)の視点に比重をおいたアプローチが多い。(3) 両分野での景観概念は,視覚的環境が中心となっており,外観が重要視されている。「環境全体の良好な姿」を構築する方向での景観概念の展開がまたれる。
著者
Iglesias Fernando 進士 五十八 Fernando Iglesias Shinji Isoya 東京農業大学農学研究科農学 東京農業大学地域環境科学部造園科学科 Tokyo University of Agriculture Graduate School of Agriculture Department of Agricultural Science Tokyo University of Agriculture Faculty of Regional Environment Science Department of Landscape Architecture Science
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.250-264,

西新宿は高層ビルとオープンスペースを特徴とする街区により新宿副都心を構成している。これは,東京の都心構造の再編戦略として1960年代前半に超高層ビルのビジネスセンター建設として構想されたものである。その内容は従来の丸の内を中心とした単一都心の都市構造を変えて,池袋,渋谷と共に3つの副都心として位置づけられた。本論は,そのような新宿副都心を対象に,その中核をなす西新宿・高層ビル街区とオープンスペースの形成過程を,その創出から現在までの展開として歴史的観点から分析し,都市構造上の特徴や問題点を導き,今後の都市計画の知見を得ることを主眼としている。 分析の結果,新宿副都心計画の焦点は,東京及び日本,広くはアジアにおける経済拠点の構築にあり,そのため様々なオフィスビル機能と共に都市交通ネットワークの利便性を高めることが重要課題であったこと。また高層ビル街区の公共オープンスペースとして計画された新宿中央公園は,この地区の顔となり,都市民の憩いの場として建設された。しかし,中心街区とこの公園との相互関係が十分でない。また従来の日本型都市空間には見られないセミパブリックなオープンスペースが多数計画されたものの,建物階数に見合った公開空地が十分に確保されておらず,そのデザインも街区毎に相違があるため,全体的な統一感が希薄であり,確保した量の効果が十分発揮されていないこと。更に街路空間の一部である歩行者空間とこれらセミパブリックな空間との「係わりの計画」に重要な課題が残されていることを指摘した。In the early 1960's a new concept in Japanese urban planning appeared, the fukutoshin (sub center). This concept aimed to change the single centered structure of the city that was located in the Marunouchi area. Due to this three sub-centers were proposed ; Ikebukuro, Shibuya and Shinjuku. The intention of this paper is to understand the conception and composition of the public open space in Nishi Shinjuku, and its final results. To achieve this understanding an analysis from a historical point of view of the creation and evolution of the fukutoshin in West Shinjuku is conducted as well as a study of the environmental particularities of the urban traffic network changing process, which is associated with the development of the area. The main idea of the structure for the plan of the fukutoshin was focused on creating an economical and administrative capital for Tokyo, Japan and Asia, based on the total restructure of the Nishi Shinjuku area. One of the key points of the plan was the separation between cars and pedestrians as well as the increase of the percentage of open space in the area, with the intention of expanding the access of such areas to the general population. For this reason it is important to understand the function and plan of the different open spaces of each block, which were created surrounding the construction of the buildings. This was possible under the process of transference of volume in a way to allow, in exchange for the extension in the height limits of the buildings, a higher percentage of open space areas in each block. Besides the advance planning of the general project, this study finds that the original proposal of the plan for the management of the fukutoshin was not totally fulfilled in its conception of the open spaces, since there exists a considerable variation between the percentage ratios of the open space areas at each one of the eleven central blocks as well as an absence of agreement in the design and the network connection of the areas. Through a detailed analysis of the area and the contraposition of the data, it is possible to achieve an understanding of the reasons that influenced in obtaining that result.