15 0 0 0 OA 松屋筆記

著者
小山田与清 著
出版者
国書刊行会
巻号頁・発行日
vol.第1, 1908

言及状況

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松屋筆記では「穴中」と書いて「しりのあな」と読ませる用法もある。 https://t.co/dCvVa1fL8J 『松屋筆記』56巻の47「蛇の人の陰門(ボヽ)穴中(シリノアナ)などに入たるを治る方」
@ohutwun_05 『松屋筆記』明治41年7月5日印刷 7月10日発行 https://t.co/FEwHj86ueO 巻2 25 "魂門魄戸 同書(『眞俗雑記問答抄』)十五の巻に魂門魄戸事問何答或云左大指ノ爪ノ本ト爪ト肉トノ間ヲ云㆓魂門㆒ 右ノ大指彼処云㆓魄戸㆒ 彼処ヨリ魂魄出入故有㆓怖畏ノ事㆒ 時ニハ以㆓余指㆒ 握㆓大指㆒隠㆓彼処也"
@miduki_neko 【松屋筆記】 国立国会図書館デジタルコレクションにありました
新藤透(2017)では『倭学戴恩記』天保三年正月十日条(https://t.co/R8AnxSbd3b)にしか言及していないが、『松屋筆記』巻六十六にもこの文書の記事がある(https://t.co/onhcWqyEAQ)。 『松屋筆記』では、文書の全文や、小山田与清のより詳細な回答内容がわかる。 https://t.co/B720rSpLkB
『松屋筆記』55巻の64「元日の昆布・栗・屠蘇酒」 世の愚か者たちは、吉方を向いて、昆布・栗を食べると毛利元就が言ったという話。 https://t.co/304SvVerKz "(中江藤樹の『為人鈔』の)同九の巻、大江元就公、元日、祝弁に、「大江元就公正月朔日ノ早天ニ、手水鵜飼シ給ヒテ、東方ニ向テ、シバラク
吾妻形という語については、小山田与清『松屋筆記』巻之六十一・廿九「はり形并あづま形」に、山崎宗鑑『犬筑波集』の「東路のたが娘とか契るらん 逢坂山を越ゆるはりかた」の句に由来しているとの説が載る https://t.co/TFlIBWkUe0
『松屋筆記』巻53の39は『武林隠見録』19巻を引いて、柔術家の関口弥左衛門は、屋根からころがり落ちる猫がヒラリとはねかえって着地するさまをみて、自身も屋根にのぼり下には "こもわら" をたくさんしき、その上に"蒲団"などを厚くして何度も落下して技をみがいたとある。 https://t.co/Shtazpv1d3
実際に読んでみると、これは与清の時代のものなんだな。 https://t.co/CghCnGq66W (徒然慰草)二の巻 五丁 冊二段に、うつはものは新しきよし、人はたヾ ふりたるのみぞ たうとかりけると尚書の文をよめる古歌あり。
@deadpop https://t.co/fzmNuruqrt 『松屋筆記』3巻の35。今、俗に、「泥鰌」のことを「ドヂャウ」と書くが、しかし私、与清が考えるに、あれは泥津魚(どろづを)の意味なので、「どづを」もしくは「どぢを」と書くべき。 って江戸時代後期の人が。
https://t.co/BMgARE7vUm 松屋筆記 巻57の11 「春画」 "春画は俗に枕草子といへり" (春画は俗に、「枕草子」と呼ばれる。)
https://t.co/kQuAclRcdf 51巻43 陳寿三国志の評。陳寿が三国志を編纂するときに、米をくれたら良い伝記を書いてやると言ったとか、孔明に父を殺されたことを恨んで、荀彧よりも劣った伝記を書いたなどと世説では言われている。これに対して明の姜南の『学圃餘力』の説。
https://t.co/8etqBJw0dD 『松屋筆記』56巻の47「蛇の人の陰門(ぼぼ)穴中(しりのあな)などに入たるを治る方」 本草綱目43巻 諸蛇の条から。蛇が人のあしもとにやってきて離れない場合は、熱い尿か熱湯をかけると離れる。
https://t.co/0kqp2axE1Q 53巻の42 「蛇の尻にいりたるを治ル方」 人の尻の中に入ってくるのは、烏蛇(カラスヘビ)という黒くてちいさな蛇だ。首をすこしでも尻にいれたら、引っ張っても取り出せない。切り刻んでも首だけは腹中に残り、ついには人を殺す。
https://t.co/nuALNh5mZK 猫の昼寝から柔術が生まれた話。 53巻の39 「柔術関口流」 武林隠見録19巻によれば、関口弥左衛門(のちに改名して住心)は、ある日、庭をながめていたら、向こうの屋根上に猫が気持ちよさそうに寝ている。
https://t.co/tGOFY2ZLES 『松屋筆記』50巻の6 池北偶談の10巻からほくろの話。さらにそこから、ある人の説として、女性器のあたりに、ほくろがある人は必ず後家になるという説。
https://t.co/b8fKrJLnfa 『松屋筆記』1巻の34 「うるさし」の語源。右大臣が流罪になったら左大臣が死んだから、右流左死と言うと『江談抄』にある。
https://t.co/LxkgDJok65 村田了阿についてのこと。『松屋筆記』巻14の4 「文人の素性」より。 僧侶の了阿は浅草黒船町村田という煙管屋の弟なり。陰茎が大きすぎて女性と性交することができないことを憤りて出家し、戒を保ちて律僧となる。いまは破戒肉食の凡僧なり。

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