著者
大塚武松 編
出版者
日本史籍協会
巻号頁・発行日
vol.第一, 1930

言及状況

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「纂轉」(くりはら・おーたに「ニッポンの音楽批評150年100冊」29ペ)って なにか、と おもったら、纂輯 https://t.co/JVZuGepOro だった。その まえの 「日本思想体系」も 大系。
国会図書館のデジタルコレクションありがとう 遣外使節日記纂輯 https://t.co/6zRyxJYMxE そうか、もう1928年だとデジタル化された資料 家で読めるのねぇ
昨日、村垣範正の遣米使日記見ていたら、ホノルルでカメハメハに会った(1860年)という記述があり、そういえば記念日だったわ~と思っていたところでした。「妃エンマ婦人」も登場しますです https://t.co/F7Cid22IrV https://t.co/6NAIhz0aIn
そして遣米使節としてアメリカへ行く村垣淡路守にこのような和歌も送っています。 四方の海 なみたゝぬ世は なみならぬ 君が舟出も 浦安の國 梅さくら 花かざしゝて こと國に わが日本の 春をしらせよ https://t.co/DQYZTxACwU この時もこの方ってもしかして・・とびっくりしましたもの。
また奥山調査の間違いか。佐藤秀長は「膏喜」じゃなくて「骨喜」表記じゃねえか。「骨喜」表記なら榕菴「博物語彙」に先にあるから定着を示す意義ぐらいだな。ルビは「コウセイ」なのが珍しい。 http://t.co/AXfHWh0lgP http://t.co/4ELw3FXRKD
ん。コーヒー該当箇所発見。「カウヒン」表記だから奥山一覧は誤記だな。(1860.3.11) http://t.co/9SGHbpCx18 http://t.co/WEk2ZvxEIJ
これ、アロー戦争末期に、英仏軍の使節団が清の意向で拷問・殺害されて決裂に終わった局面のことだよね(1860.8.19) http://t.co/yacFxoR8qe http://t.co/xzHcFtRgEE
日記のうち村垣淡路・柳川当清・佐藤秀長の三人はここで読める http://t.co/b4OyiosBNO http://t.co/8wYGe8Ylpr 玉蟲左太夫の日録、航米日録はこちらにあった。 http://t.co/K3ze7cdkRJ
@crd_tweet 『柳川日記』は国立国会図書館デジタルコレクションでも見られますね~。「アイスクリン」の記述はこちら→ http://t.co/5lQ1mWn7C7

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