- 著者
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里見 秀明
- 出版者
- 智山勧学会
- 雑誌
- 智山学報 (ISSN:02865661)
- 巻号頁・発行日
- vol.41, pp.A105-A125, 1992
時間と空間,これはものに即してしか現われない。ものが無ければ,時間も空間も存在しないといわれる。すると物を新たに観察しなければならない。ものを見るということは,様々なものに名前をつけることである。さらに具体的に認識するということである。今までは,具体的認識ということについて,数学,科学の目をとうして見てきた。そしてこれは西洋文明の優越性と見られてきた。しかしそれは人類に必しも幸福をもたらさなかった。それでは東洋思想といっても,現代科学にたえうるものでなくてはならない。少くとも現代科学,数学と共通の認識を持てる部分があるものでなければならない。仏教は科学であり,密教は生命存在の科学であったはずである。共産主義崩壊は,一神教崩壊の予曲にすぎない。嫉妬深い一神教崩壊の後には,生命に慈悲深い宗教が必要である。