著者
小島 教知
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.139-152, 2021-03
著者
大塚 秀見
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.139-146, 1990-03-31 (Released:2017-08-31)

宗教現象の一形態として、呪術が考えられるときに、呪術は負の性格(マイナス・イメージ)を付与されることが多い。そのことを裏付けるように、近年の人類学の調査研究の結果から、今までの「呪術」研究に対して疑問が投げかけられている。それは、「呪術」としてあきらかと思われていた現象も、当事者の意識から判断するなら、呪術の範疇にいれることが必ずしも妥当な結論とは言えない場合が多いという点である。呪術概念は、そもそも定義のさまざまになされているテーマだけに、多くの問題点を含んでいる。本稿では、特に今までに行われてきた「科学」や「宗教」との対比を通して「呪術」を明らかにしていこうとする方法を批判的に取り上げる。それゆえ、中心課題となるのは、呪術を類型化する前段階としての方法論の検討である。結論的には、「呪術」または「呪術性を有した宗教現象」を、独立の宗教現象として捉えることが、類型化において最重要点課題になるであろうことを論究する。それは、価値判断の中止(エポケー)によって、はじめて可能になるであろう。
著者
鈴木 佐内
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.263-275, 1998

『代集』の「大原集 証心撰、おおはらの歌。」の一行の記録をたよりにして、長明『伊勢記』の旅の同伴者証心法師の考察をした。『大原集』の証心は『朗詠要抄』の藤氏朗詠相承系譜にみえる中原有安の弟子証心と同一人物であるとし、証心像を拡大した。『大原集』の証心の存在は、長明と洛北大原とのかかわりを明かし、長明の履歴解明、『方丈記』解釈にも資することになるわけで、「大原集 證心撰、おおはらの歌。」という一行の記録は貴重であると言わねばならない。
著者
関 悠倫
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.391-410, 2020

<p> 本稿は、『釈論』が空海とその門流においてどのように受容されているのかを検討したものである。真言密教において『釈論』は、重要な典籍として位置付けられ、教学面において非常に研究が盛んであった。確かにこれまで講伝された記録があるのだが、それは事相面についてはほとんど言及されておらず、近年では専ら教相のみで用いる典籍と認識されてきたようである。さらに『釈論』を真言密教から切り離して同教学を論じようとする研究動向も確認できる。本研究は、空海や後代の学匠における『釈論』理解を再検証し、さらには実践面、すなわち事相における法流の印信類を紐解きながら、『釈論』が事教二相の両方に密接であり、真言密教の所依の典籍の中でも重要な位置を占めていることを改めて論じたのである。</p>
著者
駒井 信勝
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.219-234, 2020

<p> 本稿では,<i>Vajrapāṇyabhiṣekatantra</i>(以下VPA)に見られる金剛灌頂曼荼羅,並びに画像法の中央に画かれる世尊大転輪がいかなる尊格であるのかを,『大日経』との比較や,経典の内容から検討してきた.</p><p> 尊容に関しては,『大日経』「転字輪曼荼羅行品」の世尊毘盧遮那と酷似しており,この視点からみるならば,世尊大転輪は毘盧遮那と言える.</p><p> VPAにおける世尊大転輪の位置付けに注目すると,あらゆる尊格の中でも最高位の存在であることが読み取れた.このような位置付けから見ても,世尊大転輪を毘盧遮那とすることは可能であろう.</p><p> 最後に,VPAでの転輪者がいかなる存在であるのかを検討した.VPAでは,秘密の教説と金剛杵が,釈迦—普賢—文殊というふうに相承されていく.そして,これは毘盧遮那—金剛手—妙施金剛と置き換えることができた.金剛灌頂曼荼羅では,世尊大転輪の上下に普賢と文殊が,画像法では世尊大転輪の左右に金剛手と妙施金剛が配置された.このように,教説と金剛杵の相承と,曼荼羅の配置を比較すると,世尊大転輪は毘盧遮那ということができよう.</p>
著者
北尾 隆心
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.209-224, 2016 (Released:2019-02-22)
参考文献数
49

弘法大師空海(774~835)が入唐して恵果阿闍梨(746~805)より胎蔵と金剛界との両部の密教を授かったことは空海の『請来目録』に掲載されており、有名なことである。 本論では、この恵果の密教を空海はどのようにみておられたのか、ということを中心に論じることとする。
著者
鈴木 佐内
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.111-125, 1990

『梁塵秘抄』二句神歌、「石清水五首」(実数六首)中の、「若宮のおはせんよには貴御前、錦を延へて床と踏ません」(五〇〇)の一首に於ける「若宮」は、諸説、仁徳天皇をあてるが、往時の若宮についての伝承からすると、主神の大菩薩(応神天皇)と比〓大神(沙竭羅龍王の女)との子とするのが適切と思われる。また「貴御前」については、この一首の伝承歌謡的性格からすると、仮想された若宮妃であって、具体的に求めるべきものではないと思われる。「若宮の」の一首を含めて、石清水歌六首の中には、この宮寺の臨時祭、放生会等の祭事の場の東遊びの求子歌として用いられたものもあったのではないかと推測される。
著者
鈴木 佐内
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.197-209, 1994

『梁塵秘抄』四句神歌の「佛法よ文殊とか 多聞摩訶迦羅天 山王及傳教 慈覺還如來」の一首は『山門堂舎記』に「是根本中堂所作次第。慈恵大師御略頌也。」とあることにより、略頌であることが明らかになっている。いま、本今様の意味(これが、根本中堂毎日の供花の次第であること。)と、これが今様として『秘抄』に収録されるにいたった消息(これが、寺院に於ける延年享受を契機として、逆に、寺から里へ流出したものであること)との二点を考察した。
著者
中村 本然
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.96-137, 2018

『釈摩訶衍論』は修行論として、止観の法門を重視する論を展開する。修行者にとって魔事は克服すべき課題であり、『釈摩訶衍論』の論主にとっても念頭から離れることはなかった。「広釈魔事対治門」では、魔・外道・鬼・神の四種の仮人について詳細な考証が施されている。中でも修行者を迷わせる外道に多方面からの検討がみられる。『大乗起信論』の注釈書である元暁の『起信論疏』には、諸魔を天魔、鬼を堆愓鬼、神を精媚神とする。法蔵の『大乗起信論義記』は元暁の解釈を引き継ぐ姿勢を窺わせる。報告では、止観の修行に注目した『釈摩訶衍論』の論主の趣旨に迫ることにした。
著者
川﨑 一洋(一洸)
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.0249-0262, 2016 (Released:2019-02-22)
参考文献数
46

纔発心転法輪菩薩(Sahacittotpādadharmacakrapravartin / Sahacittotpāditadharmacakrapravartin)は、『理趣経』系の八大菩薩(金剛手・観自在・虚空蔵・金剛拳・文殊・纔発心転法輪・虚空庫・摧一切魔)のうちの一尊であり、『理趣経』や『真実摂経』(『初会金剛頂経』)に登場する。その名は、「心(思い)が起こるや否や法輪を転ずる者」を意味する。この菩薩の漢訳尊名は訳者や経典によって区々であり、密教経軌においてはしばしば金剛輪菩薩とも呼ばれるが、本稿では一貫して、「転法輪菩薩」という略称を用いることにしたい。 転法輪菩薩の、密教以前の大乗経典における尊格史については、すでに谷川泰教氏による詳細な研究がある1)。『ラリタヴィスタラ』に語られる仏伝では、成道の後に説法を躊躇する釈尊に対し、まず諸天による勧請(広義の梵天勧請)があり、続いて菩薩たちによる勧請があり、最後に転法輪菩薩が現れて、過去仏たちに代々受け継がれてきた輪宝を釈尊に奉献することによって、初転法輪が現実のものとなる。 また、『大品般若経』とその註釈である『大智度論』、あるいは『阿闍世王経』や『華手経』などでも、釈尊の初転法輪と関連して転法輪菩薩に触れられている。 本稿では、大乗経典を対象とした谷川氏の研究を承けて、密教経軌において言及される転法輪菩薩を俯瞰し、尊容や曼荼羅を中心に、その展開の様子を窺ってみたい。
著者
Shogo WATANABE
出版者
CHISAN-KANGAKU-KAI
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.021-034, 2016 (Released:2019-02-22)
参考文献数
11

The Prajñāpāramitā-hrdaya[-sūtra](Heart Sūtra) was translated into Chinese and Tibetan, and it circulated mainly in the sphere of Northeast Asian Buddhism.Among the Chinese translations, that by Xuanzang 玄奘has been held in the highest regard, and almost all the commentaries on the Prajñāpāramitā-hrdaya composed in China, Korea, and Japan have been based on Xuanzangʼs translation. The extant Sanskrit manuscripts and the Tibetan translations, on the other hand, mostly belong to a different textual lineage from that of Xuanzangʼs translation. Consequently, in research on the Prajñāpāramitā-hrdaya in East Asia, the examination of the original Sanskrit text and Tibetan translations is still inadequate. There has also been much discussion about the position of the Prajñāpāramitāhrdaya, typical of which is the question of whether it is a sūtra expounding emptiness or a sūtra teaching a mantra. These questions are in fact related to the sūtraʼs title. As is well known, a famous mantra has been appended to the Prajñāpāramitā-hrdaya. Even though it does not in fact constitute a dhāranī, among the several designations of this sūtra there are some that declare it to be a dhāranī. How is one to view such inconsistencies? In this paper I shall examine the textual lineages of the Prajñāpāramitā-hrdaya and its position as seen from its title.
著者
佐久間 秀範
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.35-50, 2016

&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;「あるがままにものを見る(yathābhūtam prajānāti)」とはどういうことであろうか。日常我々は目の前にあるものをあるがままに見ていると信じている。最近は脳科学や認知科学の成果の一端をテレビ番組などで一般人にもわかりやすく解説しているので、何らかのきっかけで脳の機能のどこかに障害を持つと、それまでに見えていたものが違って見えることや、昆虫と人間とで同じ花を見ても異なって見えていることを知ることができるようになっている。また高感度カメラで、高速度で動くあるいは変容する物体を撮影し、それをスローモーションで再生したときに、人間が認知している現象世界が現実に起きていることと一致していないことを認識し、我々が事象をそのまま認知していないことに気づかされる。例えば100万分の1のスピードで記録できる高速度カメラで、水の入った風船に針を刺して割れる様子を撮影し、スローモーションで再生した場合、普段我々が認識できない割れる瞬間の様子をつぶさに見ることができ、その様子に驚くのである。最近では、これは人間の脳が暴走しないために情報を制御しているということも我々は知っている。こうした情報によって我々は普段認知している目の前の現象が「あるがままの姿」では必ずしもないと意識することができる。しかし現実世界の真っ只中で常にそのことに思い至ることは難しいのである。我々は「わかっちゃいるけどやめられない」世界に生きているのである。では「あるがままの姿」とは何であろうか、ものを「あるがままに見る」とは何であろうか、普段見ている映像はいったい何なのか、と疑問に思えてくるのではないだろうか。<br> 釈尊が「あるがままにものを見よ」と説いたのであるなら、普段の見え方が幻影であり、その幻影から目覚めたことでブッダとなったことを我々に伝えようとしていたのではないだろうか。釈尊は出家しヨーガの修行を積んだ上でブッダとなったと仏伝は伝えている。インドの宗教者の状況から考えても釈尊が修行者、つまりはヨーガ行者であったことは認められる事実である。そして「あるがままにものを見る」ことがどのようなことかを仏弟子達のヨーガ修行者達はレベルの差はあるとしても、体験として知っていたはずである。こうした事情をヨーガの修行者達の集団から生み出された瑜伽行唯識文献の中に求めて行くことにする。