著者
松尾 義海
出版者
智山勧学会
雑誌
智山學報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.15-31, 1960-02-21
著者
長沢 弘隆
出版者
智山勧学会
雑誌
智山學報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.A33-A43, 1970-03-01
著者
苫米地 誠一
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.143-180, 1998

院政期末から鎌倉期前期の興福寺僧である笠置上人解脱房貞慶は、「鎌倉旧仏教改革派」の代表的人物の一人として位置付けられ、法然房源空の専修念仏に対する批判や戒律復興運動の先駆者として取り上げられることが多く、法相宗僧として「唯識同学鈔」など法相宗関係の著作を数多く著し、その思想、信仰についても法相宗の教理的背景の下に説明される。而し貞慶は同時に真言宗僧でもあり、その信仰も真言宗の信仰に基づいていると見られる。而しその真言宗の信仰に関する側面については殆ど無視されており、現在までの貞慶の思想・信仰に関する理解は極めて偏ったものになっていると思われる。そこで今回は、その欠けた部分の一端を補う意味において、貞慶の『観音講式』を取り上げ、そこに見られる密教浄土教の信仰について些か見てみたいと思うものである。
著者
松村 力
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.66, pp._47-_58, 2017 (Released:2018-10-20)
参考文献数
35

井筒俊彦(1914〜1993)は、自らを「東洋哲学に関心を持つ一言語哲学者(1)」と称し、真言密教については「要するに一個のアウトサイダーであり、よそ者である」にすぎず、「外側からその一部をのぞき見ただけ(2)」との立場を表明しているが、碩学の比較思想観点からの、真言密教解釈は、伝統教学とは異なる角度からの視座を提示している。 井筒の数多くの著作の中で、空海の思想に言及しているものに、『意識と本質(3)』、「意味分節理論と空海ー真言密教の言語哲学的可能性を探る(4)ー」(以下副題略)がある。その他に、密教のマンダラに言及しているものとして、「人間存在の現代的状況と東洋哲学(5)」、『イスラーム哲学の原像(6)』等がある。 これらの内、主題として空海の思想を取り上げているのが、「意味分節理論と空海」であり、1984年の日本密教学会大会における特別講演を論文体に書き移したものである。 この論文は、真言密教を言語哲学的に理論展開することを意図したもので、「コトバに関する真言密教の思想の中核」を、「存在はコトバである(7)」という「根源命題に還元」して論究し、この命題が真言密教において真理性を有すると結論している(8)。 この井筒の論は、真言密教における「言語」や「存在」という数学上重要な哲学的テーマに、注目すべき解釈を示したものといえる。しかしながら、その後長年を経るも、管見によれば、この井筒の真言密教解釈に対する、密教研究界からの反応としては、論文の部分的な引用乃至論評は幾つか見られるものの、井筒の輪の中心をなす「存在はコトバである」という真言密教解釈に対して、真正面から取り組んだ論考は未だ見当たらない。 そこで、筆者は、空海の思想研究に携わる者の一人として、本稿において、空海の教義の中核をなす、六大四曼三密の三大論に立脚して、井筒の解釈に検討を加え見解を示すものである。
著者
別所 弘淳
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.66, pp._95-_108, 2017 (Released:2018-10-20)
参考文献数
23

日本密教における非情成仏論は、五大院安然(841~889~、一説915没)が『斟定草木成仏私記』や『菩提心義抄』において「非情独一で発心し修行し成仏する」ことを明確に表明して以来、主に非情が成仏することは前提とし、非情も発心・修行するか否かが問題の中心として論じられてきた(1)。 東密では、主に『即身成仏義』に引かれる『大日経』の「我即同㆓心位㆒。一切処自在普遍㆓於種種有情及非情(2)㆒(原文漢文)」や、同じく『即身成仏義』の「諸顕教等以㆓四大㆒為㆓非情㆒、密教即説㆑此為㆓如来三摩耶身(3)㆒(原文漢文)」の文を註釈する際に非情成仏がしばしば論じられてきたが、この場合においても「非情が成仏するか否か」ではなく、「非情が発心・修行するか否か」が中心命題とされ、実範(?~1144)・重誉(?~1143)・道範(1179~1252)・頼瑜(1226~1304)・宥快(1345~1416)といった東密を代表する学匠達は、ともに非情の発心・修行義を認める教説を立てている。 しかし、『釈摩訶衍論』論義の算題である「非情成仏」では、非情の発心・修行義は問題とされず、非情が成仏するか否かが論義の中心命題となっている。この「非情成仏」という算題は、『密教大辞典』には「釈論巻四随文散説決疑門に当㆑知有㆓仏性㆒(原文漢文)とあるに就き此の有仏性の義は非情に通ずと云ふべきや否やを論ずる算題。東密新義派に用ふ。」とある通り、新義真言のみで立てられた算題である。 この「非情成仏」の算題は、その源流を頼瑜撰『釈摩訶衍論愚草』(以下『釈論愚草』)に求めることができ、その後の根来中性院第四世聖憲(1307~1392)撰『釈論百条第三重』(以下『釈論第三重』)、智積院第七世運敞(1614~1693)撰『釈論第二重』等の論義書にも収録されている。しかしここで問題となるのは、頼瑜と聖憲が「答」として正反対の見解を示す点である。すなわち、頼瑜はこの「有仏性」には非情も含まれる(非情成仏の肯定)と決答し、聖憲はこの「有仏性」には非情は含まれない(非情成仏の否定)と決答するのである。 そこで本稿では、この頼瑜と聖憲の論義の相違に注目し、なぜこのような相違が起きたのか少しく検証してみたい。