著者
宮坂 宥勝
出版者
智山勧学会
雑誌
智山學報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.53-79, 1994-03-31

従来、インドのシュードラ(Sudra)の研究は、数少なくない。が、チャンダーラに関しては、とくに仏教の立場からの研究は、ほとんどないといってよいであろう。『ヴァージャサネーイ・サンヒター』を始め、ブラーフマナ文献、古期ウパニシャッドに散見されるチャンダーラは、『マヌ法典』をはじめとするバラモン諸法典で法的に規定されている。一方また、反バラモン教的立場をとる仏教の諸文献でもチャンダーラについての記述は、極めて豊富である。大乗仏教から密教に至るまでのチャンダーラ観は、バラモン教やヒンドゥー教の側からみたそれと対比して重要な問題を提起していると思われる。古代中世のインドにおける一般社会の人間観とともに仏教の人間観の特質を究明してみたい。(1)バラモン法典における法規(2)チャンダーラの職種・義務その他(3)社会的差別・蔑視の対象(4)比喩契機としてのチャンダーラ(5)チャンダーラの救済・出家(6)マータンガ呪・尊格化(7)むすび-チャンダーラの起源と歴史的変遷について-。
著者
宮坂 宥勝
出版者
智山勧学会
雑誌
智山學報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.71-87, 1993-12-12

漢訳『摩登伽経』は、経名の通りにマータンガ(matanga)すなわちチャンダーラにまつわる経典として、夙に知られる。本経に登場するマータンガ種族のトゥリシャンク(Trisanku.漢訳、帝勝伽)王は、チャンダーラ出身である。この王を中心とした物語は『ディヴィヤーヴァダーナ』(Divyavadana)、叙事詩『ハリヴァンシャ』(Harivamsa)などにも伝える。階級批判さらには社会的差別の否定がストーリーのなかでどのように展開するかを考察するのが本稿である。前回発表した同題(一)の続篇になる。なお前篇のチャンダーラ観の構成は、次のとおりである。(1)階級批判もしくは社会的差別の対象としての存在。(2)救済譚における存在。(3)出家についての比喩。(4)差別是認または社会的差別さらには蔑視対象。(5)尊格化。(6)その他。
著者
苫米地 誠一
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.53-79, 1995-03-31 (Released:2017-08-31)

真言密教(東密)系の阿弥陀如来像とされる紅頗梨色阿弥陀如来像は、頭上に五智の宝冠を戴き、身色を紅くして、阿弥陀如来の三昧耶形である金剛杵を茎とする蓮華を台座としてその上に坐す、特異な形式の像として知られている。その典拠は弘法大師空海作とされる『無量寿次第御作』『紅頗梨秘法』とされるが、宝冠を戴く阿弥陀如来像の成立は、空海時代よりもかなり下がると考えられる。また阿弥陀法次第の道場観では、種子・三昧耶形・本尊形の三種を順次変化させて観念する次第であって、三昧耶形と本尊形とが同時に同一画面上に現れることはあり得ない。そこで現在の紅頗梨色阿弥陀如来像がどのようにして成立したのか、儀軌から道場観へ、道場観から実際の図像へという過程を、図像の直接的典拠である道場観を中心に考察したい。
著者
永村 眞
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.1-25, 2003
著者
杉崎 夏夫
出版者
智山勧学会
雑誌
智山學報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.327-344, 1993-12-12

明治時代初期は、江戸時代から東京時代への過渡期に当たる。前代の士農工商による身分制度に支えられた封建国家が崩れ、四民平等の近代国家へと変わりつつある時期である。新しい身分制度に伴う新階級の誕生や西洋文化の移入によって起こる風俗・習慣・文化などの変化が言語にも大きく反映し、これまでの言語体系を崩し、新たな体係が生まれつつあった時期で、言語現象の上でも過渡期に当たる。本稿は、この明治初期の言語の諸相を探るための第一歩として、仮名垣魯文の『安愚楽鍋』を扱うことにした。魯文は江戸末期から明治初期に活躍した、際物作家と呼ばれた戯作者で、明治四年に刊行された『牛店雑談安愚楽鍋』は、彼の大ヒット作である。文明開化の象徴のような牛肉を食べにやって来る、様々な階層の客たちの会話を細かに描写することによって、滑稽なさまを描き出した作品である。従って、そこに描写されている言葉は生粋の東京語である。よって、明治初期の言語を究明して行くうえで、是非扱うべき資料と判断し考察を試みた。

2 0 0 0 OA 四食論考

著者
小川 宏
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.113-122, 1991-03-31 (Released:2017-08-31)

四食思想に関して、近代の仏教研究論文において論及がなされたのは、木村泰賢著「原始仏教思想論」が最初であり、本格的な考察は宮坂宥勝著「仏教の起源」においてなされたと言えよう。「仏教の起源」の論考は原始仏教を中心となされているが、拙論においては阿毘達磨を中心とし、原始仏教や唯識仏教とも比較して考察を進める事とする。
著者
宮坂 宥勝
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.71-87, 1993-12-12 (Released:2017-08-31)

漢訳『摩登伽経』は、経名の通りにマータンガ(matanga)すなわちチャンダーラにまつわる経典として、夙に知られる。本経に登場するマータンガ種族のトゥリシャンク(Trisanku.漢訳、帝勝伽)王は、チャンダーラ出身である。この王を中心とした物語は『ディヴィヤーヴァダーナ』(Divyavadana)、叙事詩『ハリヴァンシャ』(Harivamsa)などにも伝える。階級批判さらには社会的差別の否定がストーリーのなかでどのように展開するかを考察するのが本稿である。前回発表した同題(一)の続篇になる。なお前篇のチャンダーラ観の構成は、次のとおりである。(1)階級批判もしくは社会的差別の対象としての存在。(2)救済譚における存在。(3)出家についての比喩。(4)差別是認または社会的差別さらには蔑視対象。(5)尊格化。(6)その他。
著者
大鹿 眞央
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.309-325, 2020 (Released:2021-04-06)
参考文献数
41

本稿では、『金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経』第七品所説の「自性障」に関する五大院安然の解釈が、後代の東台両密の学匠たちにどのように伝承され、展開されたかについて検討した。その結果、安然自身は自性障の解釈に「見惑・思惑・無明」の三種を配当したが、「塵沙惑」を配当しなかったため、「三惑」という表現を用いていないことが判明した。しかし、東密の実運は、自著の中で安然の名前を出さずに安然の教説を援用し、「自性障」について「三惑」と表現した。さらに、東密の実賢・道範は、実運の解釈を踏襲するとともに「安然が見・思・無明の三惑と表現した」と、誤った情報を添加していたことが分かった。台密の学匠に関して述べれば、慈円は自性障について「元品無明」と簡潔な解説をするのみに留めているのに対し、澄豪は安然の教説を受容しながらも、「見惑・思惑・無明」を「三惑」と称してしまっている。言わば、澄豪の記述は、東密の註疏に影響を受けた可能性が高いと言えよう。
著者
布施 浄明
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.203-222, 2020

<p> 『播鈔』研究会では、報恩院流聖教の一つ、醍醐寺学僧教舜が弘長年間に憲深より四度の伝授を受けた記録書『四度口伝鈔』の校訂・訓下を行っている。本論では胎蔵界の伝授記録「胎蔵界口伝鈔」三巻(以下「本鈔」)の一部である如来身会(大恵刀、大法螺、蓮華座)の校訂解説を紹介したい。はじめに『広次第』と現図曼荼羅の相応していないことを挙げ、次に「本鈔」下巻の部分校訂・訓下・解説を付した。解説に当たっては隆誉の『伝授要意』を参照した。さて、如来身会は念誦法である住定観(身密)、正念誦(口密)、字輪観(意密)の前に修されるものである。『広次第』では、これらの観に入り易くするために、それに先立ち如来身会を修して自身の三業を清め、如来の三密を具足し、念誦法にて仏と一体ならしむのである。</p>
著者
鈴木 佐内
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.171-189, 1988

丹後守藤原為忠とその子たち、特に常盤の三寂、為業寂念、為経寂超、頼業寂然の事歴を、白河院の近臣受領という方面から追い、三寂の発心が、院が特に心をかけた待賢門院一流の勢力の衰退に関わることを考察した。藤原為忠の事歴については、井上宗雄氏が「常盤三寂年譜考 附藤原隆信略年譜」でふれておられるが、表題の示すとおり、為忠の子常盤の三寂についての事歴が主であり、白河院の近臣受領としての為忠をみるには十分ではない。知綱以来、白河院と強い縁で結ばれてきた常盤一族の盛衰が、白河院勢力のそれと深いかかわりをもつのも当然であって、本稿は、為忠の近臣受領としての姿をあきらかにする意味で、井上氏の年譜を拠り所とし、同氏が記述されなかった事歴をも加え、私見を付し、更に、これによって、近臣受領の子という、その子たちの消息から、特に出家の動機を探ってみたい。
著者
北尾 隆心
出版者
智山勧学会
雑誌
智山學報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.33-44, 1989-03-31

「月輪観」は、単一で存立するのみでなく、五相成身観・阿字観・字輪観等においても用いられる観法としてよく知られており、密教における観法の中心である。それに対して「日輪」という用語は多くの密教経軌に説かれているものの、「日輪観」という観法についてはほとんど説かれていない。数少ない「日輪観」を説いた経典としては『無二平等経』や『理趣会普賢儀軌』等が挙げられる。しかし、日本密教における「日輪観」は、これら『無二平等経』や『理趣会普賢儀軌』等の「日輪観」を基盤として生じたのではなく、『菩提心論』における「日月輪観」こそが原点であったことが分かった。そして、特に興教大師はこの「日月輪観」を「即身成仏」するための観法として強調しておられたことが判明した。