著者
栗山 和樹
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.69-78, 2015

数多くの映画音楽を手がける作曲家ジェームズ・ニュートン・ハワード作品の中から、奇想天外なコメディ作品の中に、ロマンスや人と人との心のふれあいを描く心動かされる秀作、米国映画「デーヴ」の背景音楽に関する作曲技法を、映画1作品を通して、その作曲技法を和声的側面から分析、考察する。ペダル・トーン、オスティナート、旋法和声、ダイアトニック・モーション、遠隔調への転調など映画音楽で使用される代表的な基礎作曲技法がどのように使用されているかや、三度和声、四度堆積和音など近代和声が映像のキューや転調とどのように関わり、どのように構築されているかを分析する。今回はスペースの関係で一部分の背景音楽の分析のみ取り上げているが、和声的工夫による作曲技法が映画音楽作曲に大きな影響力を与えていることを明らかにしていく。
著者
宮入 恭平
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.159-169, 2014

〈右傾化〉が囁かれる日本社会において、J-POPはどのような立ち位置をとっているのだろうか。表面的には政治と乖離しているはずのポピュラー音楽が、政治と近接しながら〈右傾化〉する社会でのプロパガンダとして利用される可能性がある。ここで重要になるのは、音楽に政治的な意味が含まれるかどうかではなく、政治性の希薄な音楽が無自覚的に政治利用されてしまうことへの懸念だ。もちろん、ポピュラー音楽は商品として消費されるものだが、その一方で、人びとの意識を変革させるだけの影響力をも持ち得ている。したがって、たとえ音楽そのものに政治的な意図が含まれていなかったとしても、音楽家(作詞家、作曲家や歌手)、および楽曲そのものの意志とは無関係に、音楽が政治的に利用されてしまうこともあり得るのだ。
著者
中西 千春
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.95-105, 2011

近年,欧州連合(EU)の外国語教育では,Content and Language Integrated Learningと言われる「内容言語統合型学習」(CLIL型学習)が,広く取り入れられている。教科を非母語で学ぶことにより,教科知識・語学力・思考力・コミュニケーション力を統合して育成するCLIL型学習は,画期的な学習法とされている。CLIL型学習では,「4C」と呼ばれるCで始まる4つの要素(Content, Communication, Cognition, Culture)を組み合わせて,質の高い教材・授業を作りだす。本論では,先行研究を概観し,CLIL型学習の定義と特徴,CLIL型学習導入に至ったEUの言語政策と実施状況を論じる。本論の目的は,EUにおけるCLIL型学習についての小論が,日本の外国語能力育成の議論に資するところにある。
著者
横山 修一郎
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.97-107, 2006

ダンテ・アリギエーリ作『神曲』の「天国」第3歌結末部において、ベアトリーチェは登場人物ダンテに対して強い輝きを放つ。すると登場人物ダンテは沈黙する。つづく第4歌冒頭部においては、2つの疑問の狭間でどちらを先に話すべきかわからずに沈黙する登場人物ダンテが描かれる。理由の異なる2つの沈黙がつづけて描かれることに違和感を覚えたことが本稿の執筆動機である。本稿では、まずベアトリーチェの強い輝きの意味を探る。第3歌結末部のベアトリーチェの強い輝きは、ベアトリーチェが見るための照明のような役割を果たしている。このことを踏まえて2つの沈黙の関係を整理する。その上で、「天国」第4歌においてベアトリーチェが述べることを確認し、「天国」第3歌結末部から第4歌冒頭部への話の展開が、作者ダンテのどのような意図により構成されているかを明らかにする。
著者
古山 和男
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.89-100, 2007

日本語律文の「七五調」は、かな文字2音で構成される音節を1拍とする拍節リズムで詠じられる。この1拍を構成する2音は、音楽的な勢いにより時間の長短を生じる。これは「イネガル音符」と同じ現象である。この「イネガル音符」や「カダンス」に関わる、拍節の「ムーヴマン」という古典派以前の音楽概念を援用して考察するなら、「七五調」の「字余り」の意味とそれが許される条件、「四三調結句の忌避」の理由が、「ムーヴマン」の加速の方向を区別して認識することで明快に説明できる。また、この「ムーヴマン」の加速方向という観点で、現代の口語を分析すれば、日本語固有のリズムの原理が明らかになる。2語が連結されると、後の語頭が濁る現象、あるいは「乱れ」と捉えられている言葉の変形も、この原理に従った法則性の高いものである。
著者
伊藤 直子
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.13-24, 2007

本稿は大正期のオペレッタ受容のあり方について、当時もっとも人気の高かったスッペの《ボッカチオ》を例に考察することを目的とする。まず最初に社会的・文化的背景として、都市化と大衆化、消費と娯楽、メディアの発達などの現象を挙げ、音楽的下地としては、明治期すでに外来歌劇団によるオペレッタ公演や軍楽隊によるオペレッタ関連楽曲の演奏が行われていたことを確認した。大正期のオペレッタ受容は明治期の官主導型の洋楽受容とは様相を異にし、帝劇、ローヤル館、浅草と上演空間を転じながら、大衆化の道のりを歩んでいった。上演の実際については、オペレッタ受容に不可欠である訳詞の観点から主に論を進め、代表的な訳者の一人で、《ボッカチオ》の訳詞を手がけた小林愛雄を取り上げ、あるべき訳詞の姿を求めて文語体から言文一致体へと至る小林の訳業と、その後の浅草オペラにおける庶民的かつ自由奔放な訳詞の世界を追った。