著者
茅野 恒秀
出版者
信州大学人文学部
雑誌
信州大学人文科学論集 (ISSN:13422790)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.99-123, 2020-03-15

日本各地に再生可能エネルギーが急拡大するとともに「メガソーラー」の存在が定着しつつある。しかし、とりわけ山林開発を伴う事業をめぐって社会紛争が増え、推進側と反対側、そして土地所有者との間での社会的亀裂を生じさせている事業も少なくない。 本稿は、全国のメガソーラー問題の多くが、共有地の性格を有してきた土地に外来型開発として計画・建設されていることに着目し、地租改正や農地改革など近代的土地所有制度の確立過程、そして高度成長期・バブル経済期の国土開発など、土地問題を規定する政策や動向の連続線上にメガソーラー問題を位置づける。そのための方法として、まず立地地域における人と自然との関係を規定してきた環境史・開発史を明らかにし、その知見をもとに問題を分析した。 長野県諏訪市四賀に計画されている長野県下最大級のメガソーラー事業は、近世以来の入会林野・牧野を戦後に分割解放した土地に計画された。この事業を事例に、土地所有者である地元牧野農業協同組合を取り巻く社会的状況の分析を行い、牧野から林野へ、そして観光開発へと資源利用の転換が起こる中で旧来より山元として有していた地位がことごとく裏目に出た結果として、メガソーラー事業への土地売却が企図されたことが推論できた。
著者
長谷川 孝治 小向 佳乃
出版者
信州大学人文学部
雑誌
信州大学人文科学論集 (ISSN:13422790)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.71-82, 2019-03-15

本研究は,Twitter のフォロワーに対する類似性認知が他者への不寛容性を促進させるのかを検討することを目的として行われた。インターネット調査会社のモニター127名に対するWeb 調査の結果,フォロワーに対する類似性認知が高いほど,彼/彼女らに対する不寛容性も高いことが示された。また,この傾向は,孤独感の高さや自己肯定感の低さによって,調整されていた。すなわち,孤独感が高い人や自己肯定感が低い人は,フォロワーに対する類似性を高く認知するほど,それらの人々と意見の食い違いが生じた際に,不寛容性が高くなることが示された。さらに,そのような際に,フォローを解除したり,ミュートしたりする拒否行動をとるのは,不寛容性が高い人であることも示された。これらのことから,SNSを通してコミュニケーションが円滑になる反面,そこでの同質性の追求が,他者に対する寛容性を下げることにつながることが示唆された。
著者
橋本 功 八木橋 宏勇
出版者
信州大学人文学部
雑誌
人文科学論集 文化コミュニケーション学科編 (ISSN:13422790)
巻号頁・発行日
no.40, pp.27-44, 2006-03
被引用文献数
1

人文科学論集. 文化コミュニケーション学科編 40:27-44(2006)
著者
伊藤 盡
出版者
信州大学人文学部
雑誌
人文科学論集. 文化コミュニケーション学科編 (ISSN:13422790)
巻号頁・発行日
no.46, pp.69-83, 2012-03

人文科学論集. 文化コミュニケーション学科編 46: 69-83(2012)
著者
沖 裕子
出版者
信州大学人文学部
雑誌
信州大学人文科学論集 (ISSN:13422790)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.1-32, 2020-09-15

1 本稿は、2020年2月8日(土)、信州大学人文学部棟4番教室で行った最終講義のすべてである。本稿の読み上げで行ったため、文体はです・ます体のままにしてある。当日は、109名の参加者があった。2 最終講義の時点では、信州大学学術研究院人文科学系教授。紀要掲載時は、信州大学名誉教授・特任教授。
著者
氏岡 真士
出版者
信州大学
雑誌
人文科学論集. 文化コミュニケーション学科編 (ISSN:13422790)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.135-149, 2010-03-15

《牡丹燈記》是瞿佑《剪燈新話》中最有名的故事之一。女主角符麗卿帶著丫環金蓮上街時,金蓮手裡提著一個雙頭牡丹燈籠。這一對牡丹花意味著甚麼呢?我們可在瞿佑的詩集《香臺集》中找到揭開其秘密的鑰匙。這部詩集載有〈上官應制〉詩一首,描述初唐閨秀詩人上官婉兒與雙頭牡丹的關係。據說,御園裡開了一個雙頭牡丹,上官婉兒應唐高宗的要求寫了一首詩,她將這對罕見的花朵比作李唐王朝永垂不朽的吉祥物。孰料後來上官婉兒背叛了唐,自把雙頭牡丹變成不祥之物,真是啼笑皆非!由此可知雙頭牡丹既是吉利物又有不祥之兆的意思。從這首詩也可以看出瞿佑對上官婉兒的命運很同情,似乎在他心目中雙頭牡丹也象徵著上官婉兒這位女人。眾所週知,唐人喜愛牡丹,有關牡丹的種種套話也應運而生,其中一個就是解語花。這句話指的是楊貴妃,怎樣評價這位絕代佳人才好呢?這雖然很難說,毀譽參半,但她也算得上是一位悲劇的女主人公吧。總之,拿牡丹比作人並不稀罕,並且牡丹的含意很深刻,怪不得瞿佑給作品起名為《牡丹燈記》。上官婉兒和符麗卿有一個共同點,即她們的一輩子都是志與願違的。筆者認為志和願之?的這種矛盾,也表現在雙頭牡丹的兩朵花上。雖然乍看《牡丹燈記》故事,瞿佑對符麗卿不以為然,其實從整個《剪燈新話》來說,我們了解到瞿佑對符麗卿那樣由於戰亂遭到不幸的婦女寄與同情。不但如此,瞿佑好像看透了封建社會如何欺負女人,他的觀點是比較進步的。因此筆者認為雙頭牡丹把上官婉兒和符麗卿兩個女性關係到一起也不足為奇。湯顯祖《牡丹亭還魂記》為甚麼要突出牡丹呢?雖然才子佳人在後花園裡談戀愛乃司空見慣,而未婚的妙齡女郎常把春天將要結束時才開的牡丹花比作自身,也不足以見怪,但是我們還需要進一步探討。因為這場戲有藍本《杜麗娘記》,其中之關鍵並不是牡丹,而是梅花、柳樹和人鬼成歡,這些因素到了《牡丹亭》裡卻不怎麼顯眼了。那麼,湯顯祖為甚麼把這個沉湎於情欲的人鬼戀故事改寫為一個富有浪漫色彩的戀愛傳奇呢?其實牡丹花和鬼的關係不淺,難怪俗話說:"牡丹花下死,做鬼也風流",雖然這句話本來是諷刺那些非過牡丹癮不可的人。不僅如此,我們知道有一個故事恰好描寫了牡丹和鬼的故事,那就是剛才提到過的《牡丹燈記》。筆者認為湯顯祖受到《牡丹燈記》的啟發後才能夠對《杜麗娘記》進行大膽的改變,《牡丹亭還魂記》的杜麗娘是為符麗卿祈冥福而重新造型的。 湯顯祖的眼光不會忽視上面討論過的那些《牡丹燈記》裡忽隱忽顯的的內涵,這位大文學家也應該同情符麗卿以及所有被世運玩弄的婦女,他又一定會欣賞瞿佑創作《牡丹燈記》這種佳作的本領,因此湯顯祖改寫《杜麗娘記》時便把牡丹花引進到裡面,代替梅花加以強調,既表示對符麗卿的哀悼,又表示對瞿佑的敬意。按《牡丹亭》的藍本應該不是話本小說《杜麗娘慕色還魂》,而是文言小說《杜麗娘記》。關於這件事,筆者同意中國專家向志柱先生最近發表的所見。此外《剪燈新話》雖然在明代是一本禁書,不過《牡丹燈記》又見於《稗家粹編》、余公仁本《燕居筆記》以及《剪燈叢話》等書,可見湯顯祖看到《牡丹燈記》的機會到處都有。《剪燈叢話題辭》的作者虞淳熙和湯顯祖一樣是萬曆癸未(1583)進士,這種情況也值得注意。以上所見,如有助於探索整個明代文學與情之關係,聊以為幸。
著者
髙瀬 弘樹 根本 正和
出版者
信州大学人文学部
雑誌
信州大学人文科学論集 (ISSN:13422790)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.53-65, 2021-03-15

本実験は,弓道動作における姿勢の安定性,姿勢と呼吸,動作と呼吸がどのように協調しているのかを検討したものである。熟練者と初心者の弓道動作を比較した結果,発射直前の2000ms間の矢状面方向の身体重心COGᴀᴘ(的と参加者を結ぶ線と垂直方向)の動揺は,熟練者の方が初心者よりも小さく,姿勢の安定性が高いことが示された。また,弓を持つ左手の動揺についても,熟練者の方が初心者よりも小さく,左手の安定性が高いことが示された。熟練者は手の安定性が姿勢の安定性に支えられて実現され得ること,手の動揺は身体各部の補償によって減少させられている可能性が示唆された。呼吸については,"離れ"動作時に,熟練者において呼吸を停止させる比率が高いことが示された。熟練者は呼吸を停止させることによって呼吸によるノイズに抵抗して的中率を上昇させていると考えられた。動作と呼吸の協調的関係は,"大三"動作において熟練者の方が協調的関係の現れる比率が高くなった。"打ち起こし"動作では,熟練者では吸気,初心者では呼気の比率が高くなった。"打ち起こし"動作は前に姿勢が傾くが,熟練者では吸気と協調させることで抑制させていると推測された。本実験の結果から,弓道においては,姿勢の安定性と呼吸による動揺をどのように克服するか,動作と呼吸の協調がどのように組織化されるのかが鍵であり,熟達に大きな影響を及ぼしていることが示唆された。