著者
中村 潔
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.247-269, 2017-11-25

明治二十七年七月二十五日、夏目金之助は伊香保温泉松葉屋旅館で小屋保治と対談。その直後、松島・瑞巌寺漂泊の旅があり、深い厭世に苦しんでいたことは周知のこととされる。帝国大学寄宿舎を出て、学友菅虎雄宅に寄食したが再び放浪。小石川区表町の尼寺法蔵院に下宿。菅虎雄の紹介で、鎌倉円覚寺塔頭帰源院で参禅。然し齋藤阿具宛書簡に、「遂に本来の面目を撥出し来たらず」とある。翌二十八年四月に、帝大での研究生活から離れ、高等師範学校・東京専門学校を辞職して愛媛県尋常中学校に赴任。すべてを捨てての松山行きとして、これまた周知の事実。こうした事に関連して、昨秋本学「国語国文学会」に報告した。以後書簡の順序を整理し、小屋保治の人物像に触れることにより、金之助の失意を理解する一助とした。その理由は、漱石作品の多数に失意を主題とするものが見られ、それらの原点として小屋保治と楠緒子の存在は無視することが出来ない。本稿は、これを裏付けるために金之助書簡の検討に加え、礒部草丘の一文にも触れることにした。
著者
増田 繁夫
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.23, pp.34-49, 2016-11-26

六条御息所が物の怪となり葵上に取り憑くほどの忿怒をおぼえたのは、葵上が車の所争いで御息所の存在を無視してふるまい、誇り高い御息所の自尊心を打ち砕いたことによる。十世紀に入ったころから貴族社会に物の怪が広く跳梁するようになるが、それはこの時期になって人々が内面世界を深くしてきたことによるものである。その結果、人々は理と非理、善と悪などの倫理的観念を発達深化させてきた。物の怪の顕現には、物の怪を見る側の人の「おびえ」や「後ろめたさ」の感覚がの発達が不可欠である。そしてこの「後ろめたさ」は「良心」の萌芽と考えられる。
著者
川合 尚子
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.248-265, 2010-11-27

張廷済(ちょうていさい)(一七六八-一八四八)は、清代中期に活躍した書家で文物の収集家である。彼が編集した『清儀閣所蔵古器物文(せいぎかくしょぞうこきぶつぶん)』全十冊(商務印書館一九二五年)からは、金石学が単なる学問の対象であるのみならず、愛情に満ち溢れた趣味の領域へと展開していったことが窺える。今回は、このような彼が、どんな環境で暮らし、文物の研究や趣味・芸術に打ち込んだのかを詳しく知るために、清儀閣(せいぎかく)跡地と彼と深い関わりを持った太平寺(たいへいじ)に現地調査を行ってきた。そこで太平寺(たいへいじ)の住職釈果蓮(しゃくかれん)氏から賜った『太平寺史話(たいへいじしわ)』で明らかにされた張廷済(ちょうていさい)の新たなる一面を取り上げ、家族関係や交友、太平寺(たいへいじ)との関係について考察する。
著者
榎本 福寿
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.122-165, 2012-11-24

本稿は、日本書紀と古事記が共につたえる神話を採りあげる。日本書紀の神代巻第五段から第六段にかけては、所伝が大きく転変する。第五段は本伝に日神、一書に天照大神を登場させるが、第六段になると、天照大神を本伝に、また日神を一書につたえるというように逆転する。そうした転変の実態を、所伝の読解を通して究明することが第一の課題である。この転変には、本伝と一書との関係が不可分にかかわる。本伝をもとに一書が成るという筆者の従来の見解を、該当所伝の実証的な比較研究により可能な限り精細に検証する。これが第二の課題である。これら課題への取り組みの成果を踏まえ、神代巻を古事記が引き継ぐその具体的な筋道を、本伝と一書の各所伝にわたり古事記の所伝とつき合わせながら探り、古事記の成り立ちの実態に迫ること、これが第三の課題である。そしてどの課題にも、文献学的研究や構造分析などを方法として取り組む一つの実践として、本稿は努めて自覚的であろうとする。
著者
川端 咲子
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.89-103, 2012-11-24

宝永七年に刊行された青木鷺水の浮世草子『吉日鎧曽我』は、甚だしく演劇色の強い作品である。全七巻の内、首巻と尾巻に挟まれた一巻から五巻が、首巻尾巻の登場人物が見物した浄瑠璃の内容という、いわゆる入子型劇中劇の形式を取っており、その部分には浄瑠璃らしさを醸し出す工夫が凝らされている。劇中劇部分だけではなく、首巻と尾巻においても歌舞伎のお家騒動物を意識した筋立て、台詞劇である歌舞伎を彷彿とさせる会話のみで進む文体の利用を見ることが出来る。当時の演劇の様子を知る補完資料としても、首巻末尾にある人形浄瑠璃の口上部分は、当時の口上の形態を知る資料となるだけでなく、当時の演劇界、特に京都の浄瑠璃界の情報が読み取れる。また、あまり明確な情報のない大津の芝居についても示唆するところがあるのである