著者
中村 潔
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.247-269, 2017-11-25

明治二十七年七月二十五日、夏目金之助は伊香保温泉松葉屋旅館で小屋保治と対談。その直後、松島・瑞巌寺漂泊の旅があり、深い厭世に苦しんでいたことは周知のこととされる。帝国大学寄宿舎を出て、学友菅虎雄宅に寄食したが再び放浪。小石川区表町の尼寺法蔵院に下宿。菅虎雄の紹介で、鎌倉円覚寺塔頭帰源院で参禅。然し齋藤阿具宛書簡に、「遂に本来の面目を撥出し来たらず」とある。翌二十八年四月に、帝大での研究生活から離れ、高等師範学校・東京専門学校を辞職して愛媛県尋常中学校に赴任。すべてを捨てての松山行きとして、これまた周知の事実。こうした事に関連して、昨秋本学「国語国文学会」に報告した。以後書簡の順序を整理し、小屋保治の人物像に触れることにより、金之助の失意を理解する一助とした。その理由は、漱石作品の多数に失意を主題とするものが見られ、それらの原点として小屋保治と楠緒子の存在は無視することが出来ない。本稿は、これを裏付けるために金之助書簡の検討に加え、礒部草丘の一文にも触れることにした。
著者
清水 哲朗 加藤 博 山下 巌 斎藤 智裕 竹森 繁 中村 潔 穂苅 市郎 山田 明 島崎 邦彦 小田切 治世 坂本 隆 唐木 芳昭 田沢 賢次 藤巻 雅夫
出版者
一般社団法人日本消化器外科学会
雑誌
日本消化器外科学会雑誌 (ISSN:03869768)
巻号頁・発行日
vol.23, no.3, pp.753-757, 1990-03-01
被引用文献数
6

食道の小細胞型未分化癌に対し,温熱療法を併用した集学的治療を施行し,約9か月の生存を得られた症例を経験したので報告する.症例は75歳男性.昭和62年7月より嗄声,嚥下困難が出現,近医にて食道癌と診断され,11月16日当科入院となった.入院後の諸検査により,ImEiIuにわたる切除不能食道癌で,生検により小細胞型未分化癌と診断された.11月30日より放射線療法計47Gy,免疫・化学療法として,BLM計65mg,CDDP計150mg,5FU計4,500mg,VP-16計180mg,OK432計57.2KE,PSK99gを投与し,これらに局所温熱療法9回を加えた集学的治療により,症状はもちろん,食道造影上も,腫瘍陰影が消失した.しかし,昭和63年7月になり,多発性肝転移により再入院,8月6日死亡した.放射線・温熱併用療法の局所に対する効果は期待されるが,より有効な化学療法の検討が必要であると考えられた.
著者
伊藤 守 杉原 名穂子 松井 克浩 渡辺 登 北山 雅昭 北澤 裕 大石 裕 中村 潔
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1998

本研究から、住民一人ひとりの主体的参加と民主的でオープンな討議を通じた巻町「住民投票」が偶発的な、突発的な「出来事」ではない、ということが明らかになった。巻町の行政が長年原発建設計画を積極的に受け止めて支持し、不安を抱えながら町民も一定の期待を抱いた背景に、60年代から70年代にかけて形成された巻町特有の社会経済的構造が存在した。「住民投票」という自己決定のプロセスが実現できた背景には、この社会経済的構造の漸進的な変容がある。第1に、公共投資依存の経済、ならびに外部資本導入による大規模開発型の経済そのものが行き詰まる一方で、町民の間に自らの地域の特徴を生かした内発的発展、維持可能な発展をめざす意識と実践が徐々にではあれ生まれてきた。第2に、80年以降に移住してきた社会層が区会や集落の枠組みと折り合いをつけながらも、これまでよりもより積極的で主体的に自己主張する層として巻町に根付いたことである。「自然」「伝統」「育児と福祉」「安全」をキーワードとした従来の関係を超え出る新たなネットワークと活動が生まれ、その活動を通じて上記の内発的発展、維持可能な発展をめざす経済的活動を支える広範な意識と態度が生まれたのである。こうしだ歴史的変容が、町民に旧来の意思決定システムに対する不満と批判の意識を抱かせ、自らの意思表明の場としての「住民投票」を可能にしたといえる。