著者
トムソン 木下 千尋 尾辻 恵美
出版者
独立行政法人国際交流基金
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.49-67, 2009-03-19

ステレオタイプ的な「女ことば」「男ことば」は、「言語資源」として、様々なアイデンティティーの構築に貢献する(中村2007)。本稿ではビジネス日本語の教科書を取り上げ、その教科書を巡る日本語教育をジェンダーの視点から検討した。従来の教科書分析を発展させ、教科書の内容分析だけでなく、教科書著者チームとの質疑応答、授業観察、教師と学習者へのインタビューをデータとし、教科書がどのように作成され、ジェンダーが表現され、そして、それがどのように使われ、学ばれるかを考察した。分析結果、熟練の教師が教えた場合でも教科書を批判的に使いこなすのは難しいこと、教科書にまつわる事象は非常に複雑であることが明確となり、「言語資源」としての「女ことば」「男ことば」を世界の日本語教育自分のものとして使いこなせるように学習者を支援するためには、女同士、男同士の会話の提示だけではなく、解説やタスクを入れる必要があることがわかった。本稿は、このような複雑な状況を理解するために、教科書分析の多面的な展開を提唱する。
著者
熊谷 由理 深井 美由紀
出版者
独立行政法人国際交流基金
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.177-197, 2009-03-19
被引用文献数
1

本稿では、クリティカル・リテラシーの概念がどのように日本語教育の教室活動に取り入れられるのかを、米国東部の大学における中級前半のコースで行われた実践を基に考察する。 外国語学習を通してものごとをクリティカル(批判的)に考える力を養うことは、外国語教育の目標の1つである。 批判的思考能力は 学習者の言語レベルに関わらず、言語運用能力を伸ばすのにかかせない要素である。なぜなら、自分の考えを自分の言葉で表現するためには、教師や教科書が提示する「知識」を単に受け入れるだけでは不十分であり、様々な情報を自らの知識や経験を基に分析・批判する力が必要だからである。 筆者は日本語学習にクリティカル・リテラシー活動を取り入れる試みとして、教科書の読み物の1つを書きかえるというプロジェクトを実施した。プロジェクトで使われたのは日本の学校制度についての読み物で、日本の教育制度の説明の後、アメリカの大学に関する記述がある。学習者は各自関連資料を集めて得た知識を教科書の読み物の内容と比較・分析し、クラス全体で話し合った後、それを基に協働で教科書の読み物をウィキを利用して書きかえるという作業を行った。この学習者が書き換えた読み物は、今後教科書に採用されることを目標としている。 本稿では、まずクリティカル・リテラシーの基本的概念を概観し、「教科書書きかえ」プロジェクトの作業手順を紹介する。そして、データ(話し合いの内容、書きかえたテキスト、アンケートによる学習者の意見等)を基に、その結果と可能性を報告・考察する。
著者
陳 昭心
出版者
独立行政法人国際交流基金
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-15, 2009-03-19

本稿は、「日本語教育文法では学習者の母語の感覚とズレが生じやすいところに焦点を置くべきである」という考えのもとに、日本語母語話者と中国語を母語とする日本語学習者の「結果の状態のテイル」と「ある/いる」の使用傾向の違いに注目し、どのような種類の「結果の状態のテイル」が「ある/いる」との使い分けで問題になるのかを提示する。 日本語母語話者105名と中国語を母語とする日本語学習者120名に対する質問紙調査を行ったところ、その結果は、3 つのグループに分けられた。すなわち、(1)日本語母語話者と中国語母語話者が両方とも「ある/いる」を使用する場面(例えば、「冷蔵庫を開けたら……」という場面では「ケーキがある」)、(2)両方とも「結果の状態のテイル」を使用する場面(例えば、先生の研究室から明かりが見えている場面では「(先生は)いらっしゃるみたいね。電気がついているから」)、(3)日本語母語話者が「結果の状態のテイル」を使用するのに対し、中国語母語話者は「ある/いる」を使用する場面(例えば、「お客さんが来ている」に対して「お客さんがいる」、「財布が落ちている」に対して「財布がある」)、の3つのグループである。 (3)のような日中母語話者間で使用傾向が異なった場面では「移動を表わす動詞の使用」と「中国語では隠現文の中の出現文でも表現できること」の2つの特徴が挙げられる。「出現文」は人や事物の出現を表わす。人や事物の「出現」の事象が結果的に「存在」になると捉えることができるため、中国語を母語とする日本語学習者は存在を表わす「ある/いる」を使用しがちであると考えられる。このことから、中国語を母語とする日本語学習者に教える際は、「移動」を表わす「結果の状態のテイル」が「ある/いる」の「類義表現」として取り扱われてもよいと考えられる。