- 著者
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陳 昭心
- 出版者
- 独立行政法人国際交流基金
- 雑誌
- 世界の日本語教育. 日本語教育論集 (ISSN:09172920)
- 巻号頁・発行日
- vol.19, pp.1-15, 2009-03-19
本稿は、「日本語教育文法では学習者の母語の感覚とズレが生じやすいところに焦点を置くべきである」という考えのもとに、日本語母語話者と中国語を母語とする日本語学習者の「結果の状態のテイル」と「ある/いる」の使用傾向の違いに注目し、どのような種類の「結果の状態のテイル」が「ある/いる」との使い分けで問題になるのかを提示する。 日本語母語話者105名と中国語を母語とする日本語学習者120名に対する質問紙調査を行ったところ、その結果は、3 つのグループに分けられた。すなわち、(1)日本語母語話者と中国語母語話者が両方とも「ある/いる」を使用する場面(例えば、「冷蔵庫を開けたら……」という場面では「ケーキがある」)、(2)両方とも「結果の状態のテイル」を使用する場面(例えば、先生の研究室から明かりが見えている場面では「(先生は)いらっしゃるみたいね。電気がついているから」)、(3)日本語母語話者が「結果の状態のテイル」を使用するのに対し、中国語母語話者は「ある/いる」を使用する場面(例えば、「お客さんが来ている」に対して「お客さんがいる」、「財布が落ちている」に対して「財布がある」)、の3つのグループである。 (3)のような日中母語話者間で使用傾向が異なった場面では「移動を表わす動詞の使用」と「中国語では隠現文の中の出現文でも表現できること」の2つの特徴が挙げられる。「出現文」は人や事物の出現を表わす。人や事物の「出現」の事象が結果的に「存在」になると捉えることができるため、中国語を母語とする日本語学習者は存在を表わす「ある/いる」を使用しがちであると考えられる。このことから、中国語を母語とする日本語学習者に教える際は、「移動」を表わす「結果の状態のテイル」が「ある/いる」の「類義表現」として取り扱われてもよいと考えられる。