著者
松田 真希子 タン ・ティ・キム・テュエン ゴ ・ミン・トゥイ 金村 久美 中平 勝子 三上 喜貴 Makiko MATSUDA Thi Kim Tuyen THAN Minh Thuy NGO Kumi KANAMURA Katsuko NAKAHIRA Yoshiki MIKAMI
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.21-33, 2008-06-30

本研究は、ベトナム人日本語学習者のための日本語の漢語とベトナム語の漢越語の対照分析である。現代ベトナム語は漢字を使用しないが、語彙には漢語からの借用語(漢越語)が多いため、韓国語・日本語と同様に漢字文化圏に属する。そのため、ベトナム語母語話者は、日本語を学ぶ際に学習ストラテジーとして漢越語知識を活性化させていることが明らかになっている(Tuyen 2003)。しかし、実際に漢越語知識がどの程度日本語学習に効果があるかはまだ明らかにされていない。そこで本研究では、ベトナム人学習者が日本語を学ぶ際、漢越語の知識がどの程度日本語学習に役立つかを明らかにすることを目的に、日本語能力試験出題語彙全約8,000語に占める二字漢字語約4,000語における漢越語との意味の一致状況を調査した。その結果、 (1)二字漢字語においては全体の5割が一致語や類似語である。 (2)1級と2級の二字漢字語については日越漢語の一致や類似が6割近くに達し、更に語彙全体に占める二字漢字語の比率も1級56%、2級46%と高くなっている。 (3)4級語彙については日越の漢字語彙の一致度は多くとも2割以下である。3級も同様に一致度は低い。 (4)和製漢語と漢越語の一致率は6割以上であり、学術専門用語であれば更に一致する可能性がある。ということを明らかにした。これにより、漢越語知識は日本語の習得に役に立つが、特に効果が発揮されるのは中級以降であること、また学術専門用語の学習には漢越語知識が役に立つ可能性が高いことが明らかになった。ただし日本語学習における漢越語の効果については個々の意味の対応の調査だけでなく、書字や音との関係性も踏まえて漢字語彙の認知処理の状況を調べる必要がある。今後の課題である。
著者
トムソン 木下 千尋 尾辻 恵美
出版者
独立行政法人国際交流基金
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.49-67, 2009-03-19

ステレオタイプ的な「女ことば」「男ことば」は、「言語資源」として、様々なアイデンティティーの構築に貢献する(中村2007)。本稿ではビジネス日本語の教科書を取り上げ、その教科書を巡る日本語教育をジェンダーの視点から検討した。従来の教科書分析を発展させ、教科書の内容分析だけでなく、教科書著者チームとの質疑応答、授業観察、教師と学習者へのインタビューをデータとし、教科書がどのように作成され、ジェンダーが表現され、そして、それがどのように使われ、学ばれるかを考察した。分析結果、熟練の教師が教えた場合でも教科書を批判的に使いこなすのは難しいこと、教科書にまつわる事象は非常に複雑であることが明確となり、「言語資源」としての「女ことば」「男ことば」を世界の日本語教育自分のものとして使いこなせるように学習者を支援するためには、女同士、男同士の会話の提示だけではなく、解説やタスクを入れる必要があることがわかった。本稿は、このような複雑な状況を理解するために、教科書分析の多面的な展開を提唱する。
著者
川崎 享子 カースティ マックドゥガル Kyoko KAWASAKI MCDOUGALL Kirsty メルボルン大学言語学応用言語学科 ケンブリッジ大学言語学科 Candidate University of Melbourne Candidate University of Cambridge
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.41-55, 2003-09-29

男女の言葉遣いの差を表すものの最も顕著なものとして終助詞があげられる。最近では、これまで女性専用とされてきた「のよ」「わよ」等の表現が使われなくなってきており、特に若い女性の間では従来「男ことば」とされてきた表現の使用も見られることを指摘する研究も多いが、教科書の会話では登場人物の年齢に関わりなく女性の発話にはいわゆる「女ことば」が多用されている。本論文は話し手の性を示唆する終助詞の使い方に焦点をあて、中級の教科書の会話と実際の会話データを比べて、教科書中の会話がどの程度実際の言語使用を反映しているか論じる。教科書中の女性話者は実際のデータのどの年齢層よりも女性的終助詞の使用が多く、伝統的な女性のステレオタイプを映し出しているように思える。実際の会話のデータでは年齢が低いほど終助詞の使用も低く、一番若い年齢層の終助詞使用は、教科書中の男性話者のそれとほぼ一致する。また、教科書中の男性話者の終助詞使用は、人物によって、また教科書によって差が見られるのに対して、女性話者はどの教科書でも使える環境では必ず「女ことば」を使うという傾向が見られる。この教科書の会話と実際の言語使用の差は、学習者の学習意欲、文化理解、または母語話者とのコミュニケーションに何らかの影響を与えるものと思われる。One of the key features by which Japanese speakers traditionally denote separate men's and women's languages is sentence final particles (SFPs). In recent years it appears that female speakers are shifting from using the traditional feminine forms to neutral and even masculine forms, whilst in Japanese language textbooks a more traditional, gender-specific portrayal of language is maintained. This study compares the distribution of gender-associated SFPs in Japanese language textbook dialogues with that in natural conversation across several age groups, to investigate the extent to which Japanese teaching materials reflect actual spoken language. Female characters in the textbooks examined used feminine SFPs more often than real female speakers from all age groups, indicating that textbooks are promoting a more traditional and stereotypical view of women's language. In the natural conversation data, the younger the age group, the smaller was the number of feminine SFPs used, with the youngest group's usage of SFPs actually resembling that of male characters in the textbooks. It is argued that the discrepancy found between Japanese language as presented in foreign language textbooks and as spoken in Japanese society has significant implications for Japanese language teaching.
著者
近藤 正憲 Masanori KONDO
出版者
国際交流基金日本語事業部
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.15, pp.175-192, 2005

戦前の中東欧の日本語教育についてはまだ知られていないことが多い。しかし、政治的、経済的な交流の深まりとともに中東欧地域はこれまでになく日本人に身近な存在になりつつあり、 現時点でこの地域の日本語教育の歴史について研究することは意味のあることであると考える。 本稿は20世紀初頭にハンガリーではじめて出版された日本語教科書を題材に、出版された当時の日本についての知識と、背景となった社会状況を明らかにすることを目的とする。ハンガリーではじめての、ハンガリー語で書かれた教科書は1905年に出版された。同書は日本に長期滞在した経験のあるハンガリー語母語話者が自らの経験と知識を総動員して書き上げた著作であると考えられる。今日の目から見ると教科書としては難点が多いとは言うものの、 母語で書かれた教科書の出版は日本語学習の大きな障害の一つを取り除いた点で高く評価されるべきである。また、同書の出版という事実そのものが当時のハンガリー人一般の日本に対する興味の高まりを物語っている。この日本への関心の高まりは日露戦争という政治的事件が契機となったものであるが、この背景には当時のハンガリー人自身が持っていた反露意識と、高揚するナショナリズムが存在していたと考えられる。この反露意識の裏返しとしての親日意識は自ずと限界があった。極東において帝国主義的性格を強める日本がロシアとの協調関係を築き、足元のバルカン半島でスラヴ系諸民族による反オーストリア=ハンガリーの運動が激化するにつれ、日本に関する興味関心は次第に退潮していった。中東欧に限らず、ある地域の日本語教育の歴史を振り返ることは、その国や地域や民族の対日認識の歴史そのものと向き合う作業であり、それを知ることは外国で日本語を教えるものにとっては特に大切なことであると考える。While Central and Eastern Europe is becoming an increasingly popular area for Japanese people and tourism alike, it is widely recognized that little is known about Japanese language education before World War II in this area. However, a publication at the beginning of the 20th century signalled a landmark in this field. This paper examines this landmark publication, which is the first Japanese textbook written in the Hungarian language. It aims to clarify the knowledge about Japanese in this book and the social and historical background that motivated its publication. The first Japanese language textbook in Hungary was published in 1905. This book was written by a Hungarian speaker who had stayed in Japan for a long period. The author fully utilized his experience and knowledge in his writing. From today's viewpoint, the textbook seems a little crude and involves many mistakes or misunderstandings. Nevertheless, the publication of this textbook in the readers' mother tongue should be highly regarded because it allowed greater understanding of Japanese study in Hungary. Besides its worth as a textbook, the publication itself indicates the rise of Hungarian people's interest toward Japan at that time. I believe that the Russo-Japanese War (1904–05) stimulated Hungarian nationalism and their anti-Russian attitude, and that this historical situation prompted the publication of the textbook. To look back upon the history of the Japanese language education is to look at the history of the local people's recognition of Japan and the Japanese people. As far as Japanese language education is carried out in non-Japanese society, it is especially important for Japanese teachers in foreign countries to get to know the history of the Japanese language education in the places where they teach.
著者
熊谷 由理 深井 美由紀
出版者
独立行政法人国際交流基金
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.177-197, 2009-03-19
被引用文献数
1

本稿では、クリティカル・リテラシーの概念がどのように日本語教育の教室活動に取り入れられるのかを、米国東部の大学における中級前半のコースで行われた実践を基に考察する。 外国語学習を通してものごとをクリティカル(批判的)に考える力を養うことは、外国語教育の目標の1つである。 批判的思考能力は 学習者の言語レベルに関わらず、言語運用能力を伸ばすのにかかせない要素である。なぜなら、自分の考えを自分の言葉で表現するためには、教師や教科書が提示する「知識」を単に受け入れるだけでは不十分であり、様々な情報を自らの知識や経験を基に分析・批判する力が必要だからである。 筆者は日本語学習にクリティカル・リテラシー活動を取り入れる試みとして、教科書の読み物の1つを書きかえるというプロジェクトを実施した。プロジェクトで使われたのは日本の学校制度についての読み物で、日本の教育制度の説明の後、アメリカの大学に関する記述がある。学習者は各自関連資料を集めて得た知識を教科書の読み物の内容と比較・分析し、クラス全体で話し合った後、それを基に協働で教科書の読み物をウィキを利用して書きかえるという作業を行った。この学習者が書き換えた読み物は、今後教科書に採用されることを目標としている。 本稿では、まずクリティカル・リテラシーの基本的概念を概観し、「教科書書きかえ」プロジェクトの作業手順を紹介する。そして、データ(話し合いの内容、書きかえたテキスト、アンケートによる学習者の意見等)を基に、その結果と可能性を報告・考察する。
著者
朱 春日 Chunri Zhu
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.89-106, 2009-03-19

日本語の語彙的複合動詞の組み合わせは、他動性調和の原則、主語一致の原則などにより制約されているが、語彙的複合動詞の中には、このような諸制約から外れた不規則な組み合わせの複合動詞が存在する(例:打ち上がる、舞い上げる)。これらの不規則な複合動詞は、自・他対応する複合動詞から派生されたと指摘されてはいるものの、具体的にどのような場合に派生されやすいのかについては考察されていない。本稿では、主に「上げる」「上がる」を後項とする語彙的複合動詞を取り上げ、「他動詞+非対格自動詞」と「非対格自動詞+他動詞」型の不規則な複合動詞が派生されやすい場合と派生されにくい場合について探った。その結果、「他動詞+非対格自動詞」型の不規則な複合動詞が派生されやすいのは、」後項動詞が実質的な意味を持つか持たないかに関わらず、前項動詞が実質的な意味を持たない場合と」前項が抽象的な意味を、後項が実質的な意味を持つ場合で、派生されにくいのは、(1)後項動詞が実質的な意味を持つか持たないかに関わらず、前項動詞が物理的な意味を表す場合と(2)前項が抽象的な意味を、後項が実質的な意味を持たない場合であることが分かった。「非対格自動詞+他動詞」型の複合動詞の派生においては、「他動詞+非対格自動詞」型の複合動詞に比べ、その数が限られており、「自動詞+自動詞」型の複合動詞と自・他対応しているのも少ないことが明らかとなった。

2 0 0 0 IR 複合語短縮

著者
日比谷 潤子 Junko HIBIYA 慶應義塾大学国際センター助教授 Associate Professor International Center Keio University
出版者
国際交流基金日本語国際センタ-
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.8, pp.47-65, 1998

日本語教育の上級では、いわゆる生教材を使った授業がよく行なわれる.そこで頻繁に取り上げられる新聞などをみると、複合語短縮の事例が多数みられる.この複合語短縮というのは、語形成過程の一つで、単独に現れうる語を二つ並列して複合語をつくった後に、それを短縮するものである.短縮された語形の中には一過的なものも多く、辞書などにまとまって載ることはあまりない.本研究では、まずこの現象に関する先行研究、イミダス'95、大学生を対象とした調査、個人的な収集の四つの手法を組み合わせて、複合語短縮の事例を365語集めた.それをもとにして、この過程のメカニズムを検討したところ、「2モーラ+2モーラ→4モーラ」というパタンがもっとも生産的であることが、はっきりした.これで説明できない事例は365語の約20%にあたるが、この例外をタイプ別 に分類した.
著者
茂木 俊伸 森 篤嗣 Toshinobu MOGI Atsushi MORI
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.139-153, 2006-08-31

本研究は、「階段に座っての食事」「全力を尽くしての結果」のように、テ節を内部に含む名詞句(「テノ名詞句」と呼ぶ)について、(1)主要部の被修飾名詞の特性、(2)名詞句内のテ節の意味・用法、(3)テノ名詞句の統一的な意味、 という三つの観点から分析を行なったものである。本研究では、まず、先行研究の記述の整理を行ない、問題となる点を明らかにした上で、形態的な基準に基づいて被修飾名詞を「述語性名詞」と「非述語性名詞」に分類し、それぞれの名詞とテ節との関係が異なることを指摘した(上記(1)(2))。先行研究で中心的に扱われてきた述語性名詞の場合、文(動詞句)に並行的な構造を持っており、テ節と名詞とは連用修飾に相当する意味的関係にある。この構造的特性から、テノ名詞句において、一部の用法のテ節のみが生起可能であることが説明される。一方、非述語性名詞の場合、文に並行的な構造を持っておらず、連用修飾との関係は薄い。むしろ、この非述語性名詞には、「外の関係」の連体修飾に相当する意味的関係を持った名詞の多くが該当するということが指摘できる。以上のように、本研究では、従来は明確な整理がされてこなかったテノ名詞句を二つに区分した上で、さらに、二つのタイプのテノ名詞句でそれぞれ観察される制限から、テノ名詞句全体に共通する意味的特徴を抽出した(上記(3))。この特徴は、「時間的展開の内包」であり、最終的には、テ節が持つ一般的な特徴に還元できるものである。
著者
陳 昭心
出版者
独立行政法人国際交流基金
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-15, 2009-03-19

本稿は、「日本語教育文法では学習者の母語の感覚とズレが生じやすいところに焦点を置くべきである」という考えのもとに、日本語母語話者と中国語を母語とする日本語学習者の「結果の状態のテイル」と「ある/いる」の使用傾向の違いに注目し、どのような種類の「結果の状態のテイル」が「ある/いる」との使い分けで問題になるのかを提示する。 日本語母語話者105名と中国語を母語とする日本語学習者120名に対する質問紙調査を行ったところ、その結果は、3 つのグループに分けられた。すなわち、(1)日本語母語話者と中国語母語話者が両方とも「ある/いる」を使用する場面(例えば、「冷蔵庫を開けたら……」という場面では「ケーキがある」)、(2)両方とも「結果の状態のテイル」を使用する場面(例えば、先生の研究室から明かりが見えている場面では「(先生は)いらっしゃるみたいね。電気がついているから」)、(3)日本語母語話者が「結果の状態のテイル」を使用するのに対し、中国語母語話者は「ある/いる」を使用する場面(例えば、「お客さんが来ている」に対して「お客さんがいる」、「財布が落ちている」に対して「財布がある」)、の3つのグループである。 (3)のような日中母語話者間で使用傾向が異なった場面では「移動を表わす動詞の使用」と「中国語では隠現文の中の出現文でも表現できること」の2つの特徴が挙げられる。「出現文」は人や事物の出現を表わす。人や事物の「出現」の事象が結果的に「存在」になると捉えることができるため、中国語を母語とする日本語学習者は存在を表わす「ある/いる」を使用しがちであると考えられる。このことから、中国語を母語とする日本語学習者に教える際は、「移動」を表わす「結果の状態のテイル」が「ある/いる」の「類義表現」として取り扱われてもよいと考えられる。
著者
李 徳泳 吉田 章子 Duck-Young LEE Akiko YOSHIDA オーストラリア国立大学日本センター オーストラリア国立大学日本センター Japan Centre Faculty of Asian Studies Australian National University Graduate School of Asian Studies Japan Centre Australian National University
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.223-237, 2002-06-28

「けど」は日本語の会話においてもっとも頻繁に使われる表現の一つであるが、特に「んだ」と共起して「んだけど」の形で用いられる場合が多い(本研究のデータは「けど節」全体の 58% が「んだ + けど」)。これは、「んだ」と「けど」が組み合わされることによってそれぞれの機能や特性が結合し、会話で頻繁に用いられる何らかの効果を生み出しているのにその理由があると考えられるのである。本研究の目的は、会話における「けど」の役割や「んだ」 の特性を調べ、これらの結合のメカニズムを明らかにすることである。 分析の結果をまとめると、まず、発話に「けど節」が主節(本稿では「関連要素」)と一緒に現れた場合に、「けど節」は「前置き」または「補足」としての役割を果たすが、ここで「んだ + けど」の組み合わせは、聞き手の注意を喚起する働きを持つ。また主節は現れず「けど節」が単独で使われた場合には、「んだ + けど」は、一方では話し手の気持ちを一通り表し、他方ではそれがあまり強く直線的にならないように抑える二重的な働きを持つ。この二重的な働きにより話し手は自分の気持ち感情を過不足なく表すことができ、また聞き手の注意を喚起する働きにしても、主節における主メッセージを相手に理解してもらう上で重要である。このようにして「んだけど」の表現は、円滑なコミュニケーションを行なう上で重要なストラテジーとして好まれるのだと考えられる。
著者
野原 美和子 Miwako NOHARA インドネシア日本語・日本文化センター日本語学校 Japanese Language and Culture Centre Indonesia
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.101-113, 1999-06-30

学習者の多様化に伴い、「人間中心主義」(縫部1991)を基調とする教師の学習支援的な役割が求められてきている。教師の学習支援的役割とは、偏に、「言語習得を促進するような学習環境を整えること」と言えるが、日本語教師が実際に教育現場でどのような活動を行なって環境整備をしているのかは推測の域を脱し得ていない。本稿は、言語習得を促進すると考えられる多数の要因の中から学習者の自発的な発話を採り上げ、それを導く教師の学習支援的言動について考える。 本稿では、先ず、学習者の自発的な発話が言語習得に与える影響を見、その後、自発的な発話の分類を行なった。自発的な発話は「積極的な自発的発話 (積極自発)」と「消極的な自発的発話(消極自発)」に分類されるが、学習者が抱いた問題の直接的な克服手段となる積極自発のみに焦点を当て、その内容と生じた状況・要因を授業分析を通 して特定した。それにより、積極自発を導いた教師の言動について考察を行なった。 総体的に見ると、積極自発の内容が何であれ、一方向的な説明等の状況よりインターアクションがあり交渉の行い易い状況を増やすことが積極自発の増加につながることが分かった。そのような環境を作り出していくことが、積極自発に関する教師の学習支援的言動であると言える。
著者
青山 友子 Tomoko AOYAMA クイーンズランド大学 アジア言語・研究学科 Department of Asian Languages and Studies The University of Queensland
出版者
国際交流基金日本語国際センタ-
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.7, pp.1-15, 1997
被引用文献数
1

パロディには、1)原典、2)模倣(敬愛)、3)作り変え(批評性)が不可欠である。また、多くの場合、4)滑稽味を伴う。その語源「パラ」には、対立と親密性の両義が含まれている。本稿はこうしたパロディの特徴、とりわけその二重性と批評性、カーニヴァル的な再生予祝機能に注目し、それを利用した日本語教授法を考察する。 四技能習得の手段としてパロディを用いる場合、とくに読み・書きでは、能動的・開放的な作業を促すことができる。それとともに、文学離れの現状や日本に対する固定観念に対処するためにも、パロディ使用は有効である。その場合、従来文学テキストを扱うときにありがちだった大作家や名作、日本らしさ志向、小説偏重に捕われずに、翻訳や読解以外の方法を積極的に取り入れたい。 例として、筒井康隆による『サラダ記念日』のヤクザ版パロディ、「カラダ記念日」と、井上ひさしの『吉里吉里人』の一節を使う授業を取り上げる。前者では、短歌や文語文法についての予備知識もない学生に、比較的短時間で本歌とパロディを比べさせ、自作のパロディ短歌を作らせるところまで持っていく。後者では、『坊っちゃん』他名作の冒頭の吉里吉里語訳と日本語の原文、すなわちパロディの原典とを比べ読むことによって、学習者は、日本人なら誰でも知っている(はずの)名文に触れるとともに、パロディ特有のカーニヴァル的転倒を体験することができる。 限られた授業時間では、長大な文を扱うことはできない。しかし、その場限りの断片ではなく、過去や未来とつながるものをめざしたい。それには、パロディが大いに役立つと考える。The aim of this article is to explore various possibilities of using parody for Japanese-language teaching. Parody requires: 1) a prior text, 2) imitation, and 3) transformation. While 2) is often associated with respect for 1), 3) is closely connected with the subversive and carnivalesque nature of parody. Parody pre-serves its object at the same time as it revolts against it. This structural and attitudinal ambivalence can also be explained etymologically: "para" means both "counter/against" and "beside/near." Given this double-sidedness, parody can be used as an effective tool in second-language teaching, reducing fear and encouraging active participation of the learner. Use of parody in language classes can also contribute to alleviating the general tendency away from literature and the stereotype preconceptions regarding Japan. Yet this is by no means an attempt to revive the traditional reading/translation of literary texts in language class. Texts should be selected not on the basis of their canonicity or "Japaneseness," but for their regenerative and critical merit. Genres other than fiction should also be taken into consideration. Two examples of using parodic texts for a late intermediate (or early advanced) Japanese course are presented. First, Tsutsui Yasutaka's "Karada Kinenbi," which parodies Tawara Machi's Salad Anniversary. In a relatively short period of time, students with no prior knowledge acquire a basic understanding of tanka, literary/poetic style, and parody to the extent that they can appreciate Tsutsui's text and create their own parodies of Salad Anniversary. The second example involves a short excerpt from Inoue Hisashi's Kirikirijin. Celebrated texts by Soseki, Kawabata, and others are "translated" into the Kirikiri language. These "translations" accompanied by the protagonist's comments provide the students with an entertaining and dialogic introduction to the modern Japanese literary canon.
著者
茂木 俊伸 森 篤嗣 Toshinobu MOGI Atsushi MORI
出版者
国際交流基金日本語事業部
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.16, pp.139-153, 2006

本研究は、「階段に座っての食事」「全力を尽くしての結果」のように、テ節を内部に含む名詞句(「テノ名詞句」と呼ぶ)について、(1)主要部の被修飾名詞の特性、(2)名詞句内のテ節の意味・用法、(3)テノ名詞句の統一的な意味、 という三つの観点から分析を行なったものである。本研究では、まず、先行研究の記述の整理を行ない、問題となる点を明らかにした上で、形態的な基準に基づいて被修飾名詞を「述語性名詞」と「非述語性名詞」に分類し、それぞれの名詞とテ節との関係が異なることを指摘した(上記(1)(2))。先行研究で中心的に扱われてきた述語性名詞の場合、文(動詞句)に並行的な構造を持っており、テ節と名詞とは連用修飾に相当する意味的関係にある。この構造的特性から、テノ名詞句において、一部の用法のテ節のみが生起可能であることが説明される。一方、非述語性名詞の場合、文に並行的な構造を持っておらず、連用修飾との関係は薄い。むしろ、この非述語性名詞には、「外の関係」の連体修飾に相当する意味的関係を持った名詞の多くが該当するということが指摘できる。以上のように、本研究では、従来は明確な整理がされてこなかったテノ名詞句を二つに区分した上で、さらに、二つのタイプのテノ名詞句でそれぞれ観察される制限から、テノ名詞句全体に共通する意味的特徴を抽出した(上記(3))。この特徴は、「時間的展開の内包」であり、最終的には、テ節が持つ一般的な特徴に還元できるものである。This paper describes noun phrases that include a te-clause (called "te-no noun phrases") from the following three viewpoints: (1) characteristics of the modified noun, (2) meaning and usage of the te-clause, and (3) meaning of the te-no noun phrases. First, the head nouns in these noun phrases can be classified into "predicative nouns" and "non-predicative nouns," based on morphological criteria. Predicative noun snot only have a structure parallel to verb phrases but also have structural restrictions on the occurrence of the te-clause with in the noun phrase. On the other hand, non-predicative nouns do not show such a parallelism; they have a relation of modification between the te-clause and the head noun, similar to the non-case relational relative clause in Teramura's (1977) sense. This paper also finds that a schema of temporal development can be extracted from these noun phrases, which can be reduced to a general meaning of te-clauses.
著者
曺 喜澈 Hee Chul CHO 国立国語研究所 National Language Research Institute
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.4, pp.61-73, 1994-06-01

これまでの漢字文化圏の学習者に対する漢字教育は、すでに漢字の下地があるものとみなされ、非漢字文化圏の学習者に対する漢字教育に比べてみると、相対的になおざりにされてきた感がある。 韓国人の既習の漢字能力を大いに活用して、日本語の教育に臨むべきであるが、安易に両国語の類似性だけを強調して、日韓両国の漢字の異同を見逃してはいけない。日韓両国の代表的な漢字使用の基準である、常用漢字と基礎漢字には、字種および字 体はもちろん、音や訓などにも数多くの違いがみられる。さらに、使用頻度や実態にもかなりのずれがみられる。したがって、日本語学習や教育においてはいうまでもなく、教材や辞書・字典など の作成においても両国の漢字の位相をよく工夫・研究し、韓国人の日本語学習者のための教育方法を講じなければならない。本稿は、主に日本の「常用漢字」と韓国の「基礎漢字」を対照比較しつつ、日本語の漢字教育を行なう際に注意すべき点をまとめ、 韓国人学習者のための漢字の学習法・指導法の改善に資することを期したものである。
著者
菅井 三実 Kazumi SUGAI
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.113-135, 2007-06-30

本稿は、現代日本語の「ニ格」に認められる多様な用法を包括的に考察し、認知言語学的な手法によって一元的に特徴づけるとともに、特に周辺的な現象として扱われて来た[起点]および[動作者]の用法について、意味分析に基づいた統一的な説明を与えるものである。本稿で言う認知言語学的アプローチとは、意味を解釈と規定する意味観に基づく点であり、言語話者の解釈に依存する分析をいう。 第1節では、「ニ格」の意味役割を概観した上で、 空間的な用法において、自動詞の主格NPまたは他動詞の対格NPが与格NPに《一体化》するという観点から一元化され、同時に《一体化》に《融合性》《密着性》《到達性》《接近性》という程度差を認めることで、個別の意味役割を一元的に整理できることを示した。第2節では、「ニ格」の用法のうち非空間領域の用法を取り上げ、空間次元と並行的に、《一体化》という単一の軸の上に整理できることを確認した。 第3節では、周辺的な意味として、「友人に本を借りる」のような[起点]の用法を取り上げ、主格NPから与格NPへのエネルギー伝達を前提とする点で、[起点]の用法が[着点]の基本的含意を継承しており、移動主体との乖離を前景化する「カラ格」と弁別的に区別されることを具体的に示した。 第4節と第5節では、受動文の動作者標識としての「ニ格」を取り上げ、(1)受動文においても「ニ格」は主格または対格へのエネルギーの到達が保証される点で基本的な意味を保持する、(2)複合辞「ニヨッテ」は〈出来事を引き起こすもの〉をプロファイルする、(3)「カラ格」は、主格NPと動作者相当句とが離脱した状態にあることをプロファイルする、 という点で弁別的に区別されることを例証した。 本稿の分析を通して、「ニ格」の意味を統一的に規定すると同時に、解釈によって多様な振る舞いを見せる「ニ格」の用法を統一的に説明できることが示されたと思われる。
著者
清 ルミ Rumi SEI
出版者
国際交流基金日本語事業部
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.16, pp.107-123, 2006

本論は、「コミュニケーション能力」、「コミュニケーション」が日本語教育のキーワードとして浮上している現状を踏まえ、今後の日本語教育の教育方法、教材開発、教員養成のあり方を探ることを前提に、教科書と現実の言語使用の比較考察を行なうものである。具体的には、先行研究において禁止の機能としては使用されない可能性が明らかにされた「ないでください」(以下「な」と記す)を軸に、「な」が禁止表現として扱われる場面・状況と提出されている表現を教科書から抽出し、それと同じ現実場面を選択して、現実の自然発話データを採取する事例研究を行ない、教科書との比較考察を図った。 調査は、医師が患者の行為を制する場面、美術員が写真撮影をしようとしている客を制する場面の2場面実施した。両場面における自然発話データは、前者の場合は看護師に依頼し、後者の場合は調査協力者が実際にカメラを構えることにより発話を引き出して採取し、分析した。その結果、医師の場合は、患者の生命に危険が及ぶ可能性の低い事項を禁ずる場合には共感性の高い心積もり依頼表現、心積もり誘発表現、あたかも依頼表現の使用率が高く、外科において患者を制しなければ患者に致命的な不利益を与える場合には、肯定依頼表現、断定宣告表現、否定依頼表現の使用率の高いことが明らかになった。 一方、美術館員の場合は、100%が謝罪および呼びかけ表現を使用しており、約半数が規則に関する事実陳述以外の禁止理由に言及し、相手が納得しやすく相手の面子を傷つけないための配慮がみられた。また、62%が動詞を使用せず言い切らない形式で相手に行動変容を促していた。動詞を使用した場合も、写真を撮る立場に立っての不可能表現や、注意する立場からの恩恵表現つき不可能表現が使用され、相手への共感を示すことにより丁寧度の高い表現が使用されていた。医師、美術館員いずれのケースも、「な」の使用は1例もみられなかった。本事例研究の結果から、1.「な」が禁止の機能として学習項目化されている現行の教材は適切ではない、2. 禁止の場面においては相手の面子を傷つけない配慮表現が使用される、という二点について今後の教材開発に向けての教育的視点が見出せた。
著者
近藤 正憲 Masanori KONDO
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.175-192, 2005-11-10

戦前の中東欧の日本語教育についてはまだ知られていないことが多い。しかし、政治的、経済的な交流の深まりとともに中東欧地域はこれまでになく日本人に身近な存在になりつつあり、 現時点でこの地域の日本語教育の歴史について研究することは意味のあることであると考える。 本稿は20世紀初頭にハンガリーではじめて出版された日本語教科書を題材に、出版された当時の日本についての知識と、背景となった社会状況を明らかにすることを目的とする。ハンガリーではじめての、ハンガリー語で書かれた教科書は1905年に出版された。同書は日本に長期滞在した経験のあるハンガリー語母語話者が自らの経験と知識を総動員して書き上げた著作であると考えられる。今日の目から見ると教科書としては難点が多いとは言うものの、 母語で書かれた教科書の出版は日本語学習の大きな障害の一つを取り除いた点で高く評価されるべきである。また、同書の出版という事実そのものが当時のハンガリー人一般の日本に対する興味の高まりを物語っている。この日本への関心の高まりは日露戦争という政治的事件が契機となったものであるが、この背景には当時のハンガリー人自身が持っていた反露意識と、高揚するナショナリズムが存在していたと考えられる。この反露意識の裏返しとしての親日意識は自ずと限界があった。極東において帝国主義的性格を強める日本がロシアとの協調関係を築き、足元のバルカン半島でスラヴ系諸民族による反オーストリア=ハンガリーの運動が激化するにつれ、日本に関する興味関心は次第に退潮していった。中東欧に限らず、ある地域の日本語教育の歴史を振り返ることは、その国や地域や民族の対日認識の歴史そのものと向き合う作業であり、それを知ることは外国で日本語を教えるものにとっては特に大切なことであると考える。
著者
椙本 総子 Fusako SUGIMOTO 大阪外国語大学大学院言語社会研究科 Graduate School of Integrated Studies in Language and Society OsakaUniversity of Foreign Studies
出版者
国際交流基金日本語国際センタ-
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.10, pp.221-239, 2000

本稿の目的は、組織の中で上下関係のある会話者と対等な立場の会話者の会話を比較し、どのような会話の連鎖構造や言語形式で会話を行なうことが会話者の上下・対等関係を示すことに関わるのかを解明することである。本稿では、特に課題解決を導き出すことを目的とする会話を分析の対象にした。 分析から、課題解決の会話の連鎖構造には、指示タイプの命令型と指示仰ぎ型、提案タイプの強制型と自発型の四種があることが明らかになった。さらに、自発型には提案提供要求、提案提供、提案の判定要求、提案の協働作成の四つの方法が観察された。 命令型と強制型が多く、連鎖構造の中で誰がどの位置でどの発話を行なうかが固定したタイプの会話は、上下関係が明確に実践さている会話である。同様に、提案が自由に行える自発型が多くても提案発話を行なう会話者が固定されていたり、提案の決定に関する力をもつ会話者ともたない会話者がわかれている場合も上下関係が実践されている会話だといえる。それに対して、対等関係が実践されている会話はデータでは、自発型の提案の判定要求や協働作成の方法が頻繁に見られた。そこでは、一人の会話者による明示的な提案の提示が避けられ、皆で提案が作り上げられており、それによって会話者は対等な関係であることを示しているのである。これまで、人間関係に応じた会話の方法は、待遇に関わりのある文末表現や語彙の選択によって特徴づけられると論じられてきたが、どのような会話の流れで会話を行なうかも重要であることを本稿では明らかにした。