著者
広中 一成
出版者
一般社団法人中国研究所
雑誌
中国研究月報 (ISSN:09104348)
巻号頁・発行日
vol.62, no.12, pp.1-16, 2008-12-25

本稿は1937年12月,北京に成立した中華民国臨時政府について,日本軍がなぜ政権指導者に王克敏を選んだのかという問題を,日本の華北経済開発と浙江財閥との関係に着目しながら考察したものである。Iでは政権樹立を指導した喜多誠一北支那方面軍特務部長が浙江財閥を利用して華北経済開発を進める構想を作り上げた経緯を検討した。IIでは喜多が浙江財閥の分断を模索する中で,王克敏ら経済的実力者を政権樹立に利用しようとしていたことを明らかにした。IIIでは喜多ら特務部による華北経済開発案が浙江財閥を華北に取り込む意図のもとに作成されたことを指摘するとともに,その計画を実現するために王克敏が迎え入れられたことを明らかにした。
著者
孔 祥吉 馮 青訳
出版者
一般社団法人中国研究所
雑誌
中国研究月報 (ISSN:09104348)
巻号頁・発行日
vol.61, no.6, pp.12-25, 2007-06-25

本稿は,宇都宮太郎の明治33年(1900年)の日記を中心とした日・中の資料に基づき,義和団時期の政治的激動の中での張之洞の動向を分析し,彼に独立,帝王志向と解釈できる動きがあることを論じるものである。八ヶ国連合軍の進攻,西太后,光緒帝の首都脱出という清朝統治の危機的状況の下,短期間ながら張之洞は清朝からの独立,帝王化を志向したようで,そのことは張の腹心の日本側への談話,軍事視察団の対日派遣,軍事力拡充,自立軍の利用などの動きから読みとることができる。だが,八ヶ国連合軍の北京占領後,講和が成立し清朝の存続が明白になると,張之洞はそのような考えを直ちに断念したのであった。