著者
長谷部 史彦
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.34, pp.165-186, 2019

はじめに1. オスマン朝期カイロにおける石鹼の供給2. ハサン・パシャの施政とカイロの市場動向3. 『マバーヒジュ』にみえる石鹼騒動おわりに研究ノート
著者
村越 貴代美
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.35, pp.301-326, 2020

はじめに一 琵琶の源流二 秦漢から魏晋の琵琶三 南北朝から唐代の琵琶おわりに
著者
小林 強
出版者
大東文化大学
雑誌
人文科学 (ISSN:18830250)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.21-101, 2007-03
著者
斎藤 直樹
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.24, pp.109-131, 2009

第1節 北朝鮮の核兵器開発(1) プルトニウム計画1. 1994年10月の米朝枠組み合意以前のプルトニウム原爆の保有2. 2003年核兵器開発再開後のプルトニウム生産(2) 高濃縮ウラン計画(3) 2006年10月9日の核実験第2節 北朝鮮の運搬能力(1) 北朝鮮の弾道ミサイル 1. スカッド・ミサイル2. ノドン・ミサイル3. テポドン1号ミサイル4. テポドン2号ミサイル5. 新型中距離ミサイル開発(2) 北朝鮮のミサイル技術移転This article attempts to survey and examine both developments of nuclear weapons and ballistic missiles of North Korea.
著者
石井 明
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.25, pp.225-270, 2010

1. 今日のヴィオラ・ダ・ガンバと本稿の目的2. 20世紀初期から1970年代以前におけるヴィオラ・ダ・ガンバ3. 1970年代におけるヴィオラ・ダ・ガンバの製作状況4. 1980年代,過去に存在した楽器製作方法の再発見とその実践The viola da gamba was a popular musical instrument in Europe between the sixteenth and eighteenth centuries. There were numerous types and sizes of the instrument, all affectionately played and enjoyed particularly by non-professionals like the aristocrats and bourgeois. The popularity of the viols, however, sharply declined towards the eighteenth century, especially at the dawn of the French Revolution. The revival of the viola da gamba became one of the essential elements in the Early Music movements of the early twentieth century. Many string instrument builders began attempting to manufacture viols, especially after the Second World War. By then, however, the tradition of the viola da gamba building had been entirely disappeared. The modern viola da gamba builders first imitated and adopted the technique used by the violin building. They eventually learned that the viol making is an entirely different matter from building violins or cellos. Today, various and numerous pieces of information on historical instrument making became available, and the viola da gamba builders of the twenty-first century finally began producing a true (truer) copy of the viols. At the same time, however, the modern viol builders now face another problem. The builders of the historical instruments today need to re-evaluate the aim and purpose of the viol making. Should they keep searching the true essence of the viol making of the past, or should they regard the viola da gamba as an instrument of the modern times as well as an artistic output of modern instrument builders? To find an answer to this question, this article looks at the history of the modern viol making and compares the modern Early Music instrument building with the modern Early Musi performances.
著者
松本 典久
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.24, pp.45-108, 2009

はじめにチョムスキーの生い立ちペンシルヴェーニア大学社会批評家としてのチョムスキー無政府主義者チョムスキー逆風のなかでグローバリゼーションへの対応9.11事件
著者
上野 理恵
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.23, pp.177-203, 2008

はじめに1. 倫理的個人主義2. 歴史風俗画の登場3. 歴史のドラマ化4. 倫理的個人主義から個人主義へおわりに
著者
河野 哲也
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.15, pp.1-28, 2000

序 障害は「個性」か?1. 「個性」概念の分析2. 「障害」概念の分析3. 現在の特殊教育の問題点3-1 医療還元主義の問題3-2 社会還元主義の問題4. 個性主義の実像5. あるべき方針としての個人主義
著者
堀江 聡 Hoffmann Damascius
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.19, pp.17-49, 2004

プラトンによって創設されたアカデメイアの最後の学頭ダマスキオス(紀元後460年頃生れ、538年以降没) の主著『第一の諸始原についてのアポリアと解』の第I巻第3部(R.I, 41-66)を以下に訳出する。底本には、ビュデ版 を用いたが、リュエル版 も参考にした。翻訳としては、上記ビュデ版の対訳の他、ガルペリヌの仏訳 を参照した。< >内はギリシア語原文上の補足箇所の訳出であり、{ }内は、文意を掴むための訳者による補いである。改行および章分けは、ビュデ版のギリシア語テキストにしたがった。ギリシア語原文にはないが、ビュデ版訳者の章ごとの小見出しを採録し、各章の冒頭にゴチック体で附加した。さらに、[R+数字]により、リュエル版のページを併記した。
著者
堀江 聡
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.18, pp.29-45, 2003

プラトンによって創設されたアカデメイアの最後の学頭ダマスキオス(紀元後460年頃生れ,538年以降没)の主著『第一の諸始原についてのアポリアと解』の第I巻第2部(R.I, 30-41)を以下に訳出する。底本には,ビュデ版を用いたが,リュエル版も参考にした。翻訳としては,上記ビュデ版の対訳の他,ガルペリヌの仏訳を参照した。< >内はギリシア語原文上の補足箇所の訳出であり,{ }内は,文意を掴むための訳者による補いである。改行および章分けは,ビュデ版のギリシア語テキストにしたがった。ギリシア語原文にはないが,ビュデ版訳者の章ごとの小見出しを採録し,各章の冒頭にゴチック体で附加した。[R+数字]により,リュエル版のページを併記した。
著者
石井 明
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.26, pp.1-56, 2011

The viola da gamba was a popular musical instrument in Europe between the sixteenth and eighteenth centuries. There were numerous types and sizes of the instrument, all affectionately played and enjoyed particularly by non-professionals like the aristocrats and bourgeois. The popularity of the viols, however, sharply declined towards the eighteenth century, especially at the dawn of the French Revolution.The revival of the viola da gamba became one of the essential elements in the Early Music movements of the early twentieth century. Many string instrument builders began attempting to manufacture viols, especially after the Second World War. By then, however, the tradition of the viola da gamba building had been entirely disappeared. The modern viola da gamba builders first imitated and adopted the technique used by the violin making. They eventually learned that the viol building is an entirely different matter from constructing violins or cellos. Today, various and numerous pieces of information on historical instrument making became available, and the viola da gamba builders of the twenty-first century finally began producing a true (truer) copy of the viols.At the same time, however, the modern viol builders now face another problem. The builders of the historical instruments today need to re-evaluate the aim and purpose of the viol making. Should they keep searching the true essence of the viol making of the past, or should they regard the viola da gamba as an instrument of the modern times as well as an artistic output of modern instrument builders? To find an answer to this question, this article looks at the history of the modern viol making and compares the modern Early Music instrument building with themodern Early Music performances.
著者
成田 和信
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.16, pp.1-28, 2001

本稿の目的は,「実践理性practical reasonは存在する」という主張を擁護することにある。ここで私が「実践理性」と呼ぶのは,我々が思慮de-liberationに基づいて一定の行為へと動機付けられるときに,その動機motiveを生み出す働きをする理性のことである。たとえば,ある事柄Eを目的として定め,どうすればEを達成できるか考えたすえに「行為Aを行えばEが達成できる」と判断し,その判断に基づいてAを行おうと思うときに,この思いが理性の働きによって生まれるとすれば,その理性は実践理性である。 実践理性の存在と能力に関して三つの立場がある。まず,「実践理性は存在しない」という立場がある。たとえばヒュームは,この立場に立つと考えることができる。次に,「実践理性は存在するが,それは(それによる動機付けがなされる以前から行為者が持っている)欲求と協同しなければ動機を生み出すことができない」という立場がある。この立場は,欲求と協同して動機を生み出すco-produce理性の存在を認める。私はこの立場を「合理的ヒューム主義」と名付ける。この立場を「ヒューム主義」と呼ぶのは,それがヒュームと同じく,いかなる行為の動機付けmotiva-tion(したがって実践理性による動機付け)にも欲求が必要になると主張するからである。「合理的」という言葉を付したのは,この立場が,鹽ヒュームとは異なり,(欲求と協同して働く)実践理性の存在を認めるからである。この立場に与している哲学者としては,たとえば,アルフレッド・ミールなどを挙げることができる。最後に,「実践理性は存在し,それは欲求と協同しなくとも,それだけで動機を生み出すことができる」という立場がある。この立場は,その起源をカントに求めることができるので,「カント主義」と呼ばれている。たとえば,トマス・ネイゲル,クリスティン・コースガード,ジーン・ハンプトンなどはこの立場に立つ。 私は二番めの立場,つまり,合理的ヒューム主義の立場に共感を覚える。この立場を擁護するためには,少なくとも次の二つのことを示さなければならない。(1)実践理性は存在する。(2)実践理性は欲求と協同しなければ機能しない。(2)の擁護は稿を改めて行うことにして,本稿では(1)の擁護を試みたい。 実践理性の存在の擁護を試みると言っても,本稿の議論は次の二つの点で限定されている。まず,実践理性を包括的に扱うわけではない。ここでは,「道具的動機付けinstrumental motivation」,つまり,目的の手段となる行為への動機付けだけに注目し,そこで働く実践理性,すなわち,「道具的実践理性instrumental practical reason」の存在を擁護するにとどまる。道具的実践理性の他に「非道具的実践理性non-instrumental practi-cal reason」が存在するかという問題は,実践理性をめぐる論争における争点のひとつになっているが,本稿ではとりあえず道具的実践理性の存在に焦点をしぼる。次に,道具的実践理性の存在の擁護を試みると言っても,体系的な理論構築に基づいてその存在を全面的に立証するわけではない。ここでは,道具的実践理性の存在の否定にコミットしている二つの理論,すなわち,ひとつはヒュームの動機論,もうひとつは「動機含意説」と呼べるような理論を批判的に検討し,それを通じて道具的実践理性の存在を部分的に擁護するにとどまる。このように本稿での試みは限定されているが,実践理性の存在の証明という難問への取り組みの端緒にはなるだろう。

2 0 0 0 IR 快さと楽しさ

著者
成田 和信
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-29, 2010

1. 心的事象に関する基本概念2. 快さとは何か3. 楽しさこの論文では,快さと楽しさという,似てはいるが異なる二つの心的事象をとりあげて,それぞれがどのような心的事象であるのかを考えてみたい。 これらの心的事象を解明することは,それ自体で哲学的に興味深いことであると同時に,快楽主義Hedonism を評価するうえで重要である。快楽主義といっても,いろいろな事柄に関する快楽主義がある。たとえば,「人は常に快楽を求めて行為する」という動機に関する快楽主義,「快楽だけが唯一それ自体で価値がある」という内在的価値に関する快楽主義などがあるが,ここで念頭においているのは,幸福に関する快楽主義である。幸福に関する快楽主義とは,「幸福は快楽から構成される」という考え方である。この考え方によれば,人生が幸福かどうかは,そこに含まれる快楽によって左右される。(以後,幸福に関する快楽主義を単に「快楽主義」と略して記す。)だが,何をもって「快楽」とするかによって,同じ快楽主義といっても,その中身が変わってくる。たとえば,快楽として,快さpleasantness だけを考える快楽主義を考えることもできるし,また,L. M. サムナーSumner などが示唆するように(Sumner 1996: 108-109),快さばかりでなく楽しさenjoyment をも含める快楽主義,あるいは,幸福を構成するのは快さではなく楽しさであると主張する快楽主義を構想することもできる。快さと楽しさは,よく似てはいるが,異なる心的事象であり,その相違のゆえに,これらの心的事象のうちどれを「快楽」の中に含めるかによって,快楽主義の評価も変わってくる。したがって。快楽主義をきちんと評価するためには,まずは,快さと楽しさのどこが似ていて,どこが異なるのかを明確にする必要がある。この論文でこれらの心的事象について考察する背景には,このような事情がある。 とは言っても,我われが日常において使用している「快さ」や「楽しさ」という概念は,その輪郭がぼけているために,それらを明確に区別することはとても難しい。にもかかわらず,快楽主義の評価に役立つようにそれらを区別するという目的からすると,それらにある程度の明確な輪郭を与えなくてはならない。このような事情のために,ここで語ることは,我われの日常的な理解と微妙にずれるかもしれない。だが,そのずれをなるべく大きくしない仕方でそれら二つの概念の輪郭を描くことが,この論文の目的である。
著者
今村 純子
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.23, pp.23-34, 2008

はじめに1. 「わたくし」が「わたくし」で「ある」ということ2. 第二の誕生3. 本質と属性4. 「現象としての死」と「本質としての死」5. 言葉と欲望結びにかえて
著者
小菅 隼人 森 繁哉
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.35, pp.47-107, 2020

はじめに幼少時代土方巽との出会い : ストリップ劇場から舞踏という問い方 : 生きる習慣として舞踏北方舞踏派との出会い体を晒すということ舞踏とキリスト環境について : 雪と白さということ演劇と舞踏道路劇場について身体と環境 : 幽霊体と道路劇場柳渕・稲作技術の踊りシリーズマントさんとアイちゃん : 共同体の喪失舞踏と (ローカルな) 政治性今後のこと
著者
新井 和広
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.36, pp.77-105, 2021

はじめにハドラマウトに関する史料 (書籍) と所蔵状況, 入手方法ハドラミー関連の伝記集の形式ハドラミー関連の伝記集おわりに
著者
曹 峰
出版者
大東文化大学
雑誌
人文科学 (ISSN:18830250)
巻号頁・発行日
no.13, pp.17-35, 2008-03