著者
安齋 貢
出版者
大東文化大学
雑誌
日本文学研究 (ISSN:03862070)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.33-44, 2007-02-15
著者
広井 大三
出版者
大東文化大学
雑誌
大東法学 (ISSN:02870940)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.一二一-一六九, 1985-03-31
著者
今城 光英
出版者
大東文化大学
雑誌
経営論集 (ISSN:13462059)
巻号頁・発行日
no.2, pp.95-145, 2001-08
著者
今井 秀和
出版者
大東文化大学
雑誌
日本文学研究 (ISSN:03862070)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.67-76, 2007-02-15
著者
磯貝 富士男
出版者
大東文化大学
雑誌
大東文化大学紀要. 人文科学 (ISSN:03861082)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.177-197, 2008-03

本稿は、平氏政権から鎌倉幕府に至る日本における武家政権成立という歴史現象を十二世紀前半以来の社会的矛盾の展開の中から解明しようとするための作業の一階梯として試みたものである。分析対象は、崇徳天皇が長承・保江の飢饉への対策を求めたのに応じて、藤原敦光が保延元年七月二十七日に提出した「勘申」であって、この飢饉で生じた社会的矛盾の基本的あり方を明らかにしようとしたものである。敦光の視野に入っていた問題状況としては、中央における財政難問題、国司ルートを通じての徴税問題、その社会において生じていた私的高利貸し問題等があったが、中心軸は徴税に関する問題であった。その国司ルートを通じての徴税に関しては、検田を行なわないで利田請文による場合には強制出挙というだけでなく未進が負債とされるという問題が生じており、また検田手続きを経る場合でも公田官物率法を高くするという問題が生じる等、過酷な重税が現地農村社会を圧迫し疲弊させるという事態が展開していた。このような国司に依る徴税が横行している中で、神人・悪僧が、神威・仏威を悪用して国司の徴税にも応じないという状況が生じていた。その結果、中央に納められるべき物資が不足することになり、中央官司に勤務する人々の月俸などが滞る事態となっていた。社会状況としては、都で低利で借りて、地方で高利の貸出しを行なうという業者が生まれ、その厳しい取り立てによって追い詰められ、逃亡したり、妻子を奴婢に売ったりさせられる人々が続出していた。この私的高利貸し活動は、国司に依る過酷な徴税と相まって、飢饉状況下、公私の高利貸し資本が農村を収奪するという状況を生じさせていた。鳥羽院政期は荘園寄進が続出し領域型荘園の成立期とされるが、国司による徴税問題を中心に論じた敦光勘申には、神人・悪僧問題への言及はあるものの、荘園乱立問題への言及がみられないという特徴があった。

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著者
澤田 雅弘
出版者
大東文化大学
雑誌
大東文化大学漢学会誌 (ISSN:04149572)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.217-240, 2003-03-10
著者
安 世舟
出版者
大東文化大学
雑誌
大東法学 (ISSN:02870940)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.383-413, 2006-10

「編集部まえがき」本稿は、平成一八年三月末に定年退職された安教授の「最終講義」を活字化したものである。わが法学部では、定年退職を予定されている教員に対して学期末の適当な時期に「最終講義」をお願いする慣行があり、安教授の「最終講義」もこの慣例にも基づいて、平成一八年一月一三日(金曜日)の午後時半からの第三時限を利用して、東松山校舎第二号館二一一番教室において行われた。まず、古川陽二学部長より学部を代表して安教授の定年退職をお祝いするセレモーの意味を込めた学部主催の「最終講義」の意義についての説明と、安教授の本学における功績や学問についての簡単な紹介を兼ねた挨拶があり、その次に、内田健二政治学科主任より安教授の経歴と研究業績の紹介があった。その後、以下のような安教授の「最終講義」が行われた。
著者
馬場 宏二
出版者
大東文化大学
雑誌
経済論集 (ISSN:02874237)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.79-87, 2003-04-30

まことに偶然のきっかけから見付けた。経済学者で「経済成長」という語を初めて使ったのは、ヨーゼフ・シュムペーターである。その『経済発展の理論』の初版に、「経済成長」 Wachstum der Wirtschaft という文字が出てくる。それが「経済成長」なる語の初出のようである。もっとも、これがすぐ、今日の「経済成長」の流行に繋がったわけではないし、意味上も今日の用法と全く同義とは解しきれないないところがある。しかし、多くの論者が「経済成長」の創案者だろうと漠然と予期しているアルフレッド・マーシャルは、「企業成長」とは述べたものの、「経済成長」という語は終に使わなかった。しかるべき経済学者で「経済成長」と述べたのは、どうやらシュムペーターが最初らしいのである。