著者
石井 正稔
出版者
佛教文化学会
雑誌
佛教文化学会紀要 (ISSN:09196943)
巻号頁・発行日
vol.2019, no.28, pp.L79-L103, 2019
被引用文献数
1

『毘沙門天王経』は、不空三蔵によって漢訳された経典である。この経典は、義浄訳の『金光明最勝王経』中「四天王護国品」の内容と一部、対応箇所がみられる。<br> 前稿において、これら両経典の対応箇所について取り上げ、構造部分を対比し考察をおこなった。<br> 本稿では、前回ふれられなかった、両経典の内容の部分について比較検証した。既に両経典がほぼ対応関係にあることは指摘しているが、改めて『毘沙門天王経』は、「四天王護国品」よりも内容が整理され、手法などが詳細に説かれている。<br> そして、「四天王護国品」では、あくまで多聞天の持つ如意宝珠陀羅尼とその功徳を説く内容となっているが、『毘沙門天王経』では毘沙門天の心真言つまり毘沙門天自身とその功徳を説いている経典といえよう。
著者
長尾 光恵
出版者
佛教文化学会
雑誌
佛教文化学会紀要 (ISSN:09196943)
巻号頁・発行日
vol.2019, no.28, pp.19-46, 2019

唐代初期の浄土教者である懐感の主著『群疑論』には薬師信仰と往生極楽の関係性についての問答が収録されている。その問答において対論者は薬師仏名の聞名と憶念による往生極楽の是非を問い、それに対し懐感は薬師仏に関する実践行は直接的な往生極楽の業ではなく補助的なものに過ぎないとの結論を下す。この問答から唐代初期に薬師信仰を以ての往生極楽思想が存在していたことが窺える。そこで本稿では『群疑論』と同じく七世紀後半に成立したとされる慧観『薬師経疏』(S二五五一)を用い、その薬師信仰の実態を検討する。その結果として、確かに薬師仏を対象とした供養による願生極楽思想が存在し、かつ唐代初期において阿弥陀信仰と薬師信仰は実践に基づく願生極楽という点において接点を有していたことを指摘したい。