著者
泉 利明
出版者
千葉大学国際教養学部
雑誌
千葉大学国際教養学研究 = Journal of Liberal Arts and Sciences, Chiba University (ISSN:24326291)
巻号頁・発行日
no.4, pp.1-15, 2020-03-31

[要旨] 19世紀のフランスでは、俗語や隠語に関する著作が数多く出版された。これらの研究は、まだ言語学的な科学性を伴っていなかった。しかし、とりわけ隠語に向けられた関心は、この時代のフランスの社会状況や人間に対する見方と深く結びついていると思われる。本稿では、主に研究書、辞書の序文や項目、文学作品などを対象としながら、19世紀フランスで、隠語という特殊な言語表現が、どのように捉えられ、それについて何が書かれているかを検討する。まず、この時代に隠語が増大し、隠語とみなされる表現が拡大した状況を確認し、続いて、単語としての隠語の分析方法の特徴を見て、隠語に対する否定的な考えと肯定的な考えを対比させながら検討する。最後に、隠語に関する記述から、そこにどのような19世紀的特徴があるかを探ることにより、この時代の社会状況と言語の結びつきを示す。
著者
髙橋 信良
出版者
千葉大学国際教養学部
雑誌
千葉大学国際教養学研究 = Journal of Liberal Arts and Sciences, Chiba University (ISSN:24326291)
巻号頁・発行日
no.5, pp.55-70, 2021-03-31

[要旨] 19世紀後半、自然主義演劇の時代に演出家が専門職となったことは周知の事実である。それでは、なぜこの時代に演出家が独立した職種となったのであろうか。本論は、この疑問を解く鍵が照明技術の発達と演劇理念の変遷にあると考え、当時ヨーロッパ演劇の中心地であったパリの演劇事情について考察したものである。ロウソクからガス灯まで、容易に消灯することのできない劇場は観劇の場であると同時に社交の場でもあったが、電気照明による客席の消灯が観客を芝居に集中させることになる。照明の技術的革新と相まって、自然主義演劇が写実的舞台制作を提案するようになる。そこで必要とされたのが専門職としての演出家であった。その後、過度の写実性への反動として現れた象徴主義演劇によって、演出家は、戯曲をリアルに再現するだけではなく、戯曲の解釈を舞台に具現化する役割も担うようになる。この変遷のなか、現在まで続く演出家の役割が定まったと考えられる。
著者
泉 利明
出版者
千葉大学国際教養学部
雑誌
千葉大学国際教養学研究 = Journal of Liberal Arts and Sciences, Chiba University (ISSN:24326291)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.57-70, 2017-03

[要旨] 本論は、『人間喜劇』に登場する多くの聖職者について、バルザックの宗教思想および社会観と、小説内で聖職者が果たす役割の観点から、考察したものである。十九世紀前半のフランス社会において、フランス革命とそれに続く一連の出来事で、キリスト教をめぐる状況が大きく揺れ動いた。そこで結果として生じたのは、聖職者の多様性である。バルザックは、自己の宗教思想を主張するのではなく、多様な聖職者像を作品ごとに描き分ける。本論では、教会内の上下関係、聖職者と信者の結びつき、カトリック教会が提示する道徳の意味、信者の信仰のあり方などの問題を取り上げ、複数の小説における共通点を検討し、聖職者像や聖職者と信者の関係の多様性が、物語の多様性を生みだしていることを示した。
著者
見城 悌治
出版者
千葉大学国際教養学部
雑誌
千葉大学国際教養学研究 = Journal of Liberal Arts and Sciences, Chiba University (ISSN:24326291)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-23, 2018-03-31

[要旨] 総力戦体制下では、戦時に適応する肉体の鍛錬が求められていく。1936年、駐日満州国大使館、日本陸軍などの意向の下で発足した「満州国留日学生会」は、「日満一体」の実を果たすことが期待された団体であったが、その活動の一環として、秋に留日学生たちの運動会を催していた。当初は、「親睦懇親」が主であったが、参加学生の規律や秩序が足りないという批判も出るなか、1938年からは「体育大会」と名称替えをし、団結心や日本への一体感を養成しようとする意図が強くなり、1941年には、日本人学生も参加する形で実施されるに至る。しかしながら、留日学生たちは、日本への従属を強いるかの政治性に秘かに抵抗し、あるいはまた肉体活動を忌避する「読書人(中国の伝統的知識人)」的気質も有していたこと等から、必ずしも積極的とは言えない態度で臨んだ。そこに日本と留日学生の間の齟齬、軋轢が垣間みえるのである。