著者
服藤 早苗
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 (ISSN:13470515)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.325-340(15-30), 2012-12

4 0 0 0 IR 呪術師の誕生

著者
齋藤 正憲 Masanori SAITO
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 (ISSN:13470515)
巻号頁・発行日
no.18, pp.27-36, 2018-12
著者
若宮 由美
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 (ISSN:13470515)
巻号頁・発行日
no.12, pp.181-194, 2012-12

On October 13, 1894 the ballet "Rund um Wien" by Josef Bayer was performed in the Vienna Court Opera in order to celebrate the 50th anniversary of the musician life of Johann Strauss junior. After that, this work continued being performed at the Vienna Court Opera over 64 times till 1906. But the ballet may have been revised after the premiere, because of the vulnerability of the story. In fact, the Austrian National Library posesses the three handwriting scores of the ballet. By solving the genealogy of sources, the author got the proofs that the ballet was revised after the premiere. It is concluded that "Rund um Wien" was revised several times. By revisions, the whole work became shorter and the scene where Strauss's motifs were quoted was especially reduced 30 percent.
著者
若宮 由美
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 (ISSN:13470515)
巻号頁・発行日
no.11, pp.157-169, 2011-12

In 1894 the ballet "Rund um Wien" was composed by Josef Bayer in order to celebrate the 50th anniversary of the musician life of Johann Strauss junior, and performed in the Viennese Court Opera. The 3rd scene of this ballet consists of the motifs of Strauss. On October 13 of the premiere the applause to Johann Strauss did not die down after the end of the 3rd scene. The music of the 3rd scene is contained in melodies of Johann Strauss's "Sinngedichte" op.1 and the other early works. These quotations praised the starting point of Johann Strauss. Also after that, this work continued being performed at the Viennese Court Opera over ten years. The ballet may have been revised after the premiere.
著者
上野 昌之
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 (ISSN:13470515)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.211-224, 2011-12

アイヌ語は、アイヌ民族の独自言語である。かつて樺太、千島、北海道の三方言があったと言われるが、現在母語話者が残っているのは北海道方言のみとなっており、その母語話者も人数としては極めて少ない。こうした状況は言語学的には危機言語、つまり消滅の危機に瀕した言語として考えられている。アイヌ語の母語話者が減少した背景には、歴史的な要因が大きく関わっている。幕末から明治期の対アイヌ政策がもとらした帰結といえる。アイヌ語の衰退は、アイヌ民族の日本語への転換、日本化が進行してたことを意味する。言語を媒体とした相互の意志・思想・感情の世代間の継承行動の喪失が生じ、民族共同体に統一性が失われ、これまでの日常性が崩壊し、伝統的共同体の解体へと至ることになる。民族的アイデンティティが揺らぎ民族の存在が危ぶまれる状況になっていった。しかし、今日アイヌ民族は民族の権利回復をめざす活動を行っている。その中でアイヌ語の復興活動の持つ意味は大きいものになっている。本稿では、アイヌ語の衰退を歴史的な事実からたどり、アイヌ民族への教化により彼らの習慣、生活様式が変質を強いられていく過程を概観し、その際学校教育がアイヌ語の衰退に大きく関与していたことを明らかにする。次にアイヌ語のように危機言語と位置づけられる言語が衰退に導かれるプロセスを追い、その意味を考察する。そして、民族集団の持つ言語の権利を踏まえ、言語保護のための国際的潮流を参照する。そして最後に、アイヌ語の復興活動の一つとして地域的に繰り広げられているアイヌ語教室について、平取二風谷アイヌ語を例にその活動を概観し、行われている活動の中からアイヌ語復興にとって必要な事柄、復興の意義を考えることにする。
著者
西澤 秀行 Hideyuki NISHIZAWA
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 (ISSN:13470515)
巻号頁・発行日
no.21, pp.53-64, 2021-12

南米ペルー中央高地南部のアヤクチョ谷では、中期ホライズン期の始まり(紀元550-600年頃)に古代アンデス世界初となる国家社会「ワリ」が誕生した。ところが、それより早い前期中間期の後半にもなると、アヤクチョ地方の地元社会「ワルパ」が南海岸ナスカ社会と接触や交流を始めるようになった。このことは、「クルス・パタ」様式土器とよばれるワルパ文化の土器からうかがい知ることができる。本稿は、ワリ遺跡で近年実施された発掘調査により出土したクルス・パタ様式土器に焦点を当て、そこで分類された3つのタイプを記述紹介するとともに、それら異なるタイプの時間的な変遷について論じた。さらに、のちの時代に登場するワリ文化の土器様式とクルス・パタ様式との関係についても若干の考察をくわえた。