著者
小田桐 弘子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-16, 2005

もし、「ミニヨンの歌」が「レモンの木は花咲き…」ではなく原詩の通りKennst du das Landの直訳ではじまっていたらどうであったろうか。「レモン」の訳語によって日本近代詩史が始まったことは既に先学により、実証されているところである。小論は、このレモンからの連想である梶井基次郎の「檸檬」をつないで、私観を述べたものである。
著者
田中 紀子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.A81-A92, 2003

Seven (1995) では現代の大都市を舞台として、残虐を極めた連続殺人事件が起きる。本稿では映画と小説の両方を取り上げ、そこに描かれた都市の諸相をおさえ、また小説のみに扱われている都市と田舎の対比に着目する。作品の主人公は、犯人捜査の任務に就いた二名の警察官の片方、生来都市で暮らしその暗黒面を知り尽くしているベテランの警部補である。彼と、彼とは対照的な人物である田舎町から移ってきたばかりの若手の刑事、その妻、そして殺人鬼の性格と生き方を明らかにし、彼らをめぐる人間関係を探ってゆく。さらに、重要な問題提起と考えられるErnest Hemingway の For Whom the Bell Tolls (1940) の中の一節、"The world is a fine place, and worth fighting for" がどのように作品に導入され、この一節が現代都市においてどのような意味を持ち、作品の結論にどのように反映されているのかを見てゆく。
著者
丹羽 博之
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.15-29, 2004

第一章では、乃木希典「金州城下作」と唐代の李華の「弔古戦場」の用語・表現の類似を指摘し、乃木は『古文真宝集』などに収められている名文を参考にして作詩したことを考察。第二章では、武島羽衣作詞「花」の二番の歌詞は『源氏物語』「源重之集」の和歌を利用したものであることを指摘。また、「見ずや〜」の表現は漢詩の楽府体の詩に多く見られる表現を応用したことを指摘。第三章では、「仰げば尊し」の歌詞も『孝経』や『論語』の文章を下敷きにしていることを指摘。
著者
大井 映史
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.A55-A67, 2004

本論は死の間際に想起される思い、もしくは夢を描くアメリカ作家の作品を任意に三つ取り上げ、死に向かい合う主人公たちの生の最後の在り様を論じようとするものである。人間の無意識、すなわち本能世界は、差し迫る死の現実に対して、何を語り得るのか、語り得ないのか。いずれ死すべき人間は、生死の境をさ迷いながら、如何に死を準備して何を契機に死を受け容れるのか。最終的には全て捨て去り、肉体の衣を脱いで、この世を去るのが宿命である。死の間際に改めて許される生は、無論、現実的な視覚の捕捉しうるものではあり得ない。それでも、そこに最後の生が有るのであって、いずれ人は皆、その世界に入るのである。この世の生は、死を生きることの中に確かめられるものなのだ。
著者
古田 榮作
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.35-71, 2003

「方廣佛華嚴經」の「入法界品」は善財童子の求道の旅を描き、さまざまな善智識と出会うことによって彼の信仰の深まり、即ち修行者としての成熟を位置づけるものである。佛道を窮めようと発心した善財童子は、文殊師利菩薩と出会い、その素質と性向の良さから、この童子は普賢行を修めるべき人物とされ、善知識を訪ねて普賢行を達成するよう勧められる。最初に文殊師利菩薩から功徳雲比丘に教えを受けるよう勧告されて彼を訪ねる。功徳雲比丘から善財は「普門光明観察正念諸佛三昧」についての教えを受け、「憶念諸佛」を学び、功徳雲比丘は修行を達成するためには、海雲比丘を訪ねるよう勧められ、海雲比丘を訪ね、海雲比丘に「普眼經」を学び、思念することで事物のありのままの状態を捉えることを学び、更なる修行のために善住比丘を訪ねるよう勧められる。そこで善財は善住比丘を訪ね、「無礙法門」を教えられ、一層の修行のために良醫彌伽への法門を勧告される。良醫彌伽を訪ねた善財は彼から「菩薩所言不虚法門」を教えられ、更に信仰を深めるために解脱長者を訪ねるよう勧められ、彼を訪ね、「如來如來無礙法門」を教えられることになる。善財の修行は十地の第一段階の「信」にあるが、善智識の教えの中で「認識」の深まりがあり、信仰がより深化されていくことが明確になっていく。
著者
藤井 千年
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.A105-A131, 2005

この小論は公共図書館におけるボランティア活動の現況を紹介し、更には図書館ボランティアを核とした図書館業務の民間への委託に関するさまざまな問題を考察しようとするものである。公教育の一端を担ってきた公立図書館が、NPOをはじめ民間の一企業に運営の全般を委託することへの危倶・反論も当然大きなものがある。図書館の本来の使命を再確認する中で、図書館の民間委託問題を考察するものである。図書館学課程における授業科目との関連としては「図書館経営論」をはじめ「図書館サービス論」「児童サービス論」「生涯学習概論」などが関係するものと思われる。
著者
吉田 暁史
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.A113-A134, 2006

ネットワーク環境における主題検索研究に関しては、あまり顕著な進展はない。その中で、FASTという主題検索システムが登場した。LC件名標目表の豊富な語彙をほぼそのまま借用し、統語論的結合については簡略化したシステムである。LC件名標目表は、意味論的側面、統語論的側面の両方で、大きな問題を抱えている。本論ではLC件名標目表において、名辞の形、意味論的関係性、統語論的結号の各側面について検討する。次にFASTがどのような目的で、どのような経緯で出現したかを論じる。さらに上記それぞれの側面で、LC件名標目表をどのように継承し、LC件名標目表とどのように異なるかを調べる。最後にネットワーク情報資源の検索にとってあるべき姿を論じる。結論としては、(1)もはや事前結合索引にこだわるべきではなく、事後結合索引の方向に向かうべきである、(2)件名典拠ファイルは、語彙管理の部分と統語論的結合部分とに分離し、FASTはそのうちの語彙管理部分をLC件名標目表と共有すべきである、と指摘する。
著者
平川 祐弘
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.163-183, 2005

ハーンの『因果話』は松林伯円の『百物語』を基に英語で再話した怪談だが、嫉妬した女の手が、死後も相手にくっついたまま離れないという恐ろしい話である。ハーンは原作者と違って平和な風景の中で話を始めることで怪談の効果的な結びをきわだたせた。アイルランドの怪談作家ルファニュもThe Handという作品で白い手という身体の一部分の神出鬼没を描いたが、その手が出没する動機が説明されておらず、そこに読者の側の不満が残る。読者は怪談の中でも合理性のある話の筋を求めているからである。超自然的な現象であろうともハーンの『因果話』には女の嫉妬という動機があった。同様にモーパッサンのLa Mainにも復讐という動機が超自然的な、切断され、鎖に繋がれた手による相手の殺害を説明している。モーパッサンの『手』を読むと、その中に用いられた蜘蛛のイメージをハーンが『百物語』を再話する際にも用いたことが知られる。ちなみにハーンはモーパッサンの『手』の英訳者でもある。
著者
古田 榮作
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.31-60, 2006

善財童子の求道の旅は続く。本稿では、妙徳円満天、崔夷の二人の教えで、菩薩の十地を極め、更に摩耶夫人、天主光童女、遍友童子、善知衆藝童子、賢勝優婆夷、堅固解脱長者、妙月長者、無勝軍長者、 毘最勝婆羅門、徳生童子、有徳童女に教えを受ける。摩耶夫人以下の善知識から解脱を説かれ、徳生童子と有徳童女の二人からは善知識の果たす役目、善知識に依って可能となることなどを教示される。
著者
古田 榮作
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.123-162, 2005

善財童子の求道の旅は続く。既に二十名の善知識との巡り合いによって修行は十住・十行の段階を終えている。本稿では青蓮華香長者を皮切りに十人の善智識に巡り合い、教えを受けて、十廻向を学ぶ。すべての香のことに通じている青蓮華香長者、海産資源・海の気候を熟知し、海路を知り尽く、海難を避け、安全で迅速な航海に長けている自在海師、世事を善法に遵って巧みに処理する無上勝長者、世間に善根を長じさせる師子奮迅比丘尼、訪れる者を歓喜させ、欲を無くさせ、清浄な心にさせるという婆須蜜多女人、法を分別し、衆生に顕現し、一切諸備を見知するという安住長者、衆生の悩み・願いを聞き届け、成就の道を示すといわれる観世音菩薩、善知識に接し、佛のおられる所を護念し……、多聞多知が重要であるとする正趣菩薩、衆生を攝取饒益載育し、衆悪を遠ざけ、常に愛語で接すべきだとする大天、諸佛の自在神力を受持している安住道場地神が十廻向を教示する。安住道場地神は過去譚をもって善財に解き明かす。十廻向を会得した善財は、更に十地の段階へと進む。この段階を教示する善知識は、婆娑婆陀夜神、甚深妙徳離垢光明夜神、喜目観察衆生夜天、妙徳救護衆生夜天、寂静音夜天、妙徳守護諸城夜天、開敷樹華夜天、願勇光明守護衆生夜天、妙徳円満林天、瞿夷女である。『華嚴經』の核心とされる十地に関することの多数を「人法界品」では神・天に教示させていることも特筆すべきである。本稿では十地を教示する善知識のうち願勇光明守護衆生までの五人の善知識との出会いを考察した。
著者
古田 榮作
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.51-106, 2004

善財の求道の旅は続けられる。次に出会ったのは海幢比丘である。深い三昧の中で不思議な現象が顕現する。海幢比丘の足元からは、無数の長者と無数の婆羅門とが、手に手に数々の生活必需品を持って現れ、貧窮者に施し、その窮境を救い慰めており、その両膝からは数多の刹帝利と婆羅門とが立ち現れ、自ら悪を離れ善を修め、真実の道理に安んじ、大衆に向かって妙なる声で道徳を守れと説いており、その体の幾つかの部分から無数の仙人・龍・夜叉・菩薩などが現れ仏教の教えをさまざまな方法で説き明かしている。善財はこの不思議な光景を目の当たりにして菩薩無量無作荘厳普門法門に触れることができ、海幢比丘の相を観察して六ヶ月以上もの時が経った。三昧から目覚めた比丘は、「この三昧は普眼捨得三昧と名づけ、あらゆるさとりの門戸を普く見きわめて、活殺自在に捨てたり得たりできるもので、般若波羅蜜によって得られる境地であり、何事においても、何物においても障るところのないものです。私はこのことだけを体得しているに過ぎません。これ以上のことは海潮国の捨優優婆夷にお聞きなさい。」と言われ、海潮国の捨優優婆夷を訪ねる。休捨優婆夷の姿を見ることができた者は誰でも即座に一切の疾病を癒され、心の穢れを離れ、邪な見解を除かれ、あらゆる障を滅することができた。優婆夷は善財に「私はたった一つの教えの入り口に達しただけです。私を見、私を知り、私に親しんだ方々は、決して虚しい結果に終わることがないだけです。私を見るお方は、必ず無上菩提において退転することがありません。私は錠光仏といわれるみ仏が世にお出ましになられた時に、このみ仏の所で出家求道し、浄行を積み、み仏に仕えて教えを身につけました。それから三十六恒河沙の諸仏に仕えて一切諸仏の智慧を了知し、菩薩の大心を発し、無量の願行を修習してきました。ありとあらゆる国々を浄め、生きとし生ける者を教え導かない限りは、永遠に仏果を証すことはできません。私はこの離憂安穏幢という法門を存じているだけです。これ以上のことは毘目多羅仙人にお尋ねになられるといいでしょう。」と善財に更なる善智識を求めての旅を続けるよう勧める。こうして善財は更に毘目多羅仙人、方便命婆羅門、彌多羅尼童女に出会い十住の境地に達し、善現比丘、釈天主童子、自在優婆夷、甘露頂長者、法寳周羅長者、普眼妙音長者、満足王、大光王、不動優婆夷、随順一切衆生外道に尋ねて、十行の境地に達し、仏道をより深く理解していく。
著者
辻 成史
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.A1-A24, 2004

第二次大戦後欧米の美術史研究は、長期に亘って E. Panofsky の主導の下に展開されたイメージ解釈学-イコノロジー-の強い影響の下にあった。1980年頃を境に、いわゆる New Art History を始めとしてイコノロジーに対する批判が顕在化してくるが、それとてもイメージを記号と看做すという点においては、本質的に前者と決定的に袂を別つに至らなかった。両者に通底していたのは、イメージと言語、あるいはイメージと超越的客観の間に暗黙のうちに前提されていた同一性/同時性であり、その記号論的根拠を脱構築することなくしては、イコノロジーのみならず、十九世紀以来続いてきた近代主義的美術史学の限界突破の難しいことが次第に明らかとなってきた。欧米の美術史学には、1990年頃を境にこの方向に沿っての展開が著しい。本論の著者はこの数年、美術史学の根本をなす可視性/不可視性の問題をさまざまな方角から取り上げてきたが、今回はプラトンから8世紀初頭のダマスコスのヨハネに至る古代-初期ビザンティン思想における「質料/物質」概念の変遷を通覧し、プラトン自身その晩年に示唆するに至った作品の存在論の反イデア的根源-「コーラ」-に注意を向けてみたい。
著者
松村 昌家
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.103-120, 2003

幕末にヨーロッパ諸国に向けての使節団派遣のお膳立てをした駐日英国公使オールコックは、その準備の過程で、外交問題とは直接に関係のない二つのプランを練っていた。一つは、一八六二年五月一日に行われる第二回ロンドン万国博覧会の開会式典に、使節団の代表数名を送りこむこと。そして万博会場に日本製品を展示することによって、日本に対するイギリス側の関心を引きつけること。二つとも日英交流史における画期的な出来事であったにもかかわらず、従来あまり注目された形跡がない。本稿では、六二年万博開会式典に臨んだ七名の使節団代表者たちの、文字どおりの異国体験に注目するとともに、この日のパフォーマンスとして仕組まれた「ピクチャー・ギャラリーズへの大行進」が、いかなるものであったかを解き明かす。特に「ピクチャー・ギャラリーズ」は、イギリスにおける万博文化史のなかで、きわめて重要な意味をもっているのだ。日本から送られた展示品は、大部分がオールコックの蒐集になるものであったとはいえ、万博における日本の初参加であったことに変わりはない。これを使節自身はどう見たのか、そしてイギリス側からの評価はどうであったのか。やはり見逃してはならない興味深い日英交流史のひとこまであったのである。