著者
吉田 里緒 佐藤 瑶子 飯島 久美子 辻 ひろみ 香西 みどり
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成28年度大会(一社)日本調理科学会
巻号頁・発行日
pp.53, 2016 (Released:2016-08-28)

【目的】スチームコンベクションオーブン(以下、スチコン)は、大量調理施設等で広く利用され、ゆでる、蒸す等の調理も可能である。加熱時には温度、時間、蒸気量の設定が必要であるが、これらを考慮した根菜類の加熱時間の設定に関する報告は見られない。そこで本研究では、スチコンでジャガイモを蒸し又はゆで加熱する際の中心温度及び硬さの予測から試料が適度な硬さになるまでの最適加熱時間を算出し、実験により検証した。【方法】スチコン(tanico,TSC-10GB)を用いて、設定温度100℃、設定蒸気量100%で試料を加熱した。試料は2cm角ジャガイモとし、加熱中の庫内温度、水温、試料中心温度を測定した。蒸し加熱は穴あきホテルパンを使用し、ゆで加熱はホテルパンに水と試料を合計3kg(重量比1:1)入れた。蒸し加熱では庫内温度、ゆで加熱では水温に基づき、試料中心温度及び硬さの変化をプログラム計算により予測し、適度な硬さになるまでの最適加熱時間を算出した。実際に試料を加熱し、硬さの測定(テクスチャーアナライザー)及び官能評価(5段階評点法)を行った。【結果】スチコンでの蒸し及びゆで加熱中の試料中心温度の実測値は予測値と概ね一致した。2cm角ジャガイモの最適加熱時間は、蒸し加熱で10.2分だった。ゆで加熱は16.2分であり、その内訳は水温上昇11.4分、沸騰継続4.8分だった。実際に加熱した試料は官能評価によりいずれも適度な硬さと評価された。ゆで加熱では、ホテルパンの枚数が多くなるほど水温上昇が緩慢になり、水温が99℃になるまでの時間はホテルパンの枚数と直線関係が認められた。そのため、最適加熱時間もホテルパンの枚数が増えるほど長くなり、ホテルパンを10枚使用したときは1枚使用したときよりも加熱時間を9.2分延長する必要があった。
著者
小瀬木 一真 友竹 浩之
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成28年度大会(一社)日本調理科学会
巻号頁・発行日
pp.202, 2016 (Released:2016-08-28)

【目的】長野県は様々な山菜が食べられている地域である。長野県で採れる山菜には、ナズナ、フキノトウ、ノビル、タラ ノメ、コシアブラ、コゴミ、ゼンマイ、ワラビ、ウド、ギョウジャニンニク、オオバギボウシ、ウコギなどがある。その中 でもウコギは、長野県南部の飯田・下伊那地方を中心に消費されており、地域性のある山菜である。地元では「ウコギ」の ことを「オコギ」と呼び、昔から人々に親しまれている。ウコギの調理法としては、おひたしが最も一般的である。本研究 では、地域食材としてのウコギの価値を高め、普及を行うことを目的とし、ウコギの抗酸化活性及びポリフェノールの解析 を行った。また、ウコギの地域性を確認するために、アンケートを行った。【方法】ウコギに 70%メタノールを加え、75℃の湯浴中で 30 分間抽出を行った。得られた抽出液及びポリフェノール標品を薄層クロマトグラフィーに供し、n-ブタノール:酢酸:水(62.5:12.5:25,v/v/v)で展開した。発色剤には 0.04%DPPH エタノール溶液及びフォーリンチオカルトフェーノール試薬:水:エタノール(1:1:2,v/v/v)を用いた。抗酸化活性は DPPH 法、総ポリフェノール量はフォーリンチオカルト法で測定した。また、I 短期大学の学生 81 名に対し、(ウコギを知っ ているかどうか、ウコギを食べたことがあるかどうか)アンケート調査を行った。【結果】薄層クロマトグラフィーの結果から、ウコギにはケルセチンやケンフェロールは含まれていなかった。また、アン ケートの結果から、ウコギを知っている人の割合は、上伊那地方 25.0%、飯田・下伊那地方 70.6%であった。ウコギを食べ たことがある人の割合は、上伊那地方 25.0%、飯田・下伊那地方 55.9%であった
著者
須川 妙子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成28年度大会(一社)日本調理科学会
巻号頁・発行日
pp.70, 2016 (Released:2016-08-28)

講演番号が     入ります   『東亜同文書院大旅行誌』の食の記述にみる近代日本青年のアジア観     ―台湾の例を中心にー     ○須川 妙子     (愛知大短大)       【目的】1907~1944年に中国の現地調査を目的として行なわれた東亜同文書院生の大調査旅行の記録として、書院生が日誌として記した大旅行誌がある。行程中の書院生の心情が縷々記述され、特に食に関する記述からは、現地に対する心情や外地における母国への郷愁等を読みとることが出来る。植民地支配下にあったアジア各地においては中国内陸部とは異なる心情をもっていたことに着目し、書院生が「植民地アジア」の中でみた現地の生活文化について探る。本報告では日本統治下にあった台湾を主に取り上げる。 【方法】『東亜同文書院大旅行誌』を史料とした。大調査旅行行程に台湾が含まれる班の記録から食に関する記述を抽出し、前後の行程や現地での待遇、当時の世情などと照らし合わせて東亜同文書院生の現地に対する心情を導きだした。  【結果】台湾における書院生は、「台湾の中の日本」をみることで心身の安定を保ち、過酷な内陸部行程への英気を養う、もしくは内陸部行程中の労苦を癒していた。日本植民地下で開発発展した北投温泉では、立ち並ぶ飲食店に日本的な温泉街の風景を見出し、知識人の居住地区(青田街)に卒業生らを訪ね、日本家屋にて日本料理のもてなしをうけていた。また、台北を「小巴里」と表現し、生育期に日本で見聞きしてきたいわゆる「ハイカラ文化」も享受していた。近代日本の文化の様相である「和洋の折衷文化」を台湾で満喫する様子からは、現地本来の文化を直視せず、その「支配者層の文化」を享受する地と捉えていたといえる。