著者
池田 政章
出版者
立教大学
雑誌
立教法学 (ISSN:04851250)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.63-160, 2011-03-31
著者
木下 毅
出版者
立教大学
雑誌
立教法学 (ISSN:04851250)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.16-122, 1972-09-20

一イギリス法に伝統的な共通的錯誤の考え方によれば、「契約の目的物の存在に関する当事者双方に共通の錯誤は契約を無効とするのであって、契約にもとづいて支払われたものは、これを取り戻すことができる」とされている。問題は、両当事者がともに契約の基礎的事実について錯誤に陥っていたときは、その事実の性質が何であろうと、常に契約が無効であると解すべきか、それともそれより狭く、目的物の存在に関する共通的錯誤の場合にかぎって無効であると解すべきであるか、という点にあった。この点に関し、チェッシャは次のような問題提起をしていること、本節の冒頭において述べたとおりである。すなわち、「実際に生じた問題が、目的物の不存在(res extincta)と権原の不存在(res sua)の場合に限定されるならば、共通的錯誤という独立した法理の存在を示唆することは余計なことになる。なぜなら、契約の不成立を錯誤それ自体に帰することは不必要なことだからである。したがって、表見上の契約は、イギリスにおいてもローマ法と同様、単に契約の目的物が存在しないことを理由に無効となるということになろう。しかしながら、目的物の不存在と権原の不存在の事例は、より広範な法理に基礎をおいたより広いカテゴリーのいくつかの例である、と従来示唆されてきた。すなわち、両当事者がある根本的事実に関して錯誤したときは、常に当該錯誤は契約の存在にとって決定的となる、と示唆されてきたのである。もしこの見解が先例によって支持されるなら、コモン・ローは、共通的錯誤という独立した法理を承認していることが認められなければならないことになる」と。したがって、共通的錯誤という独立した法理が認められるか否かは、目的物の存在以外の基礎的事実に関する共通的錯誤が契約の法的拘束力を否認しうるか否かにかかっている。二ところで、右に述べてきたところからも明らかであるように、共通的錯誤の事例とされているもののうち、(1)目的物の現実的存在に関する錯誤および(2)目的物の擬制的存在に関する錯誤が根本的錯誤となることが示唆されたであろう。右の二つの場合のうち、目的物の擬制的存在に関する錯誤とは、アトキン裁判官のいう「ある性質の存在」に関する錯誤のことであり、イギリス法上は、目的物の擬制的存在を理由として契約の法的拘束力を否認するためには、当該錯誤が共通的錯誤であることを要し、次節において明らかにされるごとく、一方的錯誤である場合には契約の法的拘束力は否認されない。アトキン裁判官をしていわせれば、「契約の目的物の性質に関する錯誤は、一層困難な問題をひきおこしている。このような事例では、錯誤は、それが両当事者の錯誤であり、かつ、その性質がなければ、目的物をそれが信じられていたものと本質的に異ならしめるようなある性質の存在に関してでないかぎり、同意に影響を及ぼすものではない」のである。前述のゴムパーツ対バートレット事件、クリフォード対ワッツ事件、スコット対クルスン事件、およびシェイク兄弟会社対オクスナー事件の四事件は、かかる数少ない目的物の擬制的存在に関する共通的錯誤の事例といえよう。これらの事例は、目的物の性状に関する錯誤のうちの特殊な事例であり、いずれも「ある性質の存在」に関する共通的錯誤があった事例である。換言すれば、目的物の性状に関する錯誤が、「存在」に関している場合に、法は共通的錯誤を理由として契約の法的拘束力を否認してきた、といってよい。かくしてイギリス法は、原始的不能(res extincta, res sua)と目的物の性状に関する錯誤(error in substantia)という全く相異なる法理を、「存在」に関する両当事者に共通の錯誤という決定規準を用いて、一つの独立した法理として発展させてきたということができる。三では、以上の諸事例において錯誤による法的構成が強調されてきた理由は、一体何であろうか。この点は、英米錯誤法の歴史に関してすでに指摘しておいたごとく、共通的錯誤の法理が大陸法的な錯誤理論の影響を受けて成立したという系譜的理由によるものと思われる。しかし、この法理は、その後独自の発展をとげ、イギリス法に伝統的な固有の法理と呼ばれるまでにその独自性を有するに至った。この法理がいかなる点で大陸法的錯誤理論からの独自性を有するかといえば、それが黙示的停止条件と同一の法理に基づいているという点においてである。このように、共通的錯誤の法的構成は、比較法的には大陸法系にみられないユニークなものであり、その法理の根底をなしている考え方は黙示的停止条件というドイツの行為基礎論の先駆的発想である。共通的錯誤を、法的保護という機能的観点から、わが国を含めた大陸法と比較してみた場合、その第一の態様である目的物の現実的存在に関する錯誤の場合には、法的保護の範囲はかなり類似しているが、動産売買法六条の規定からも明らかであるように、不能が規定されていても、約束者(売主)の善意が契約義務からの免責の要件となっており、他方、不能な事項について現実的な履行の請求権を認めることは理論的に不可能であるとしても、マックリー事件にみられるように、履行に代る損害賠償の請求権を認めることは可能であり、したがって、原始的に不能な事項を目的とする契約についても、損害賠償債務の成立を認めて契約を有効とする道が開かれている。このように、イギリス法においては、原始的不能→契約の当然無効といった法的ドグマは存在していないのであり、かかる場合にも両当事者間の関係を比較衡量して契約の拘束力から免責するという点にその重点がおかれているとみられる。第二の態様である目的物の擬制的存在に関する錯誤の場合には、それに対応する大陸法上の目的物の性状に関する錯誤の場合に比して、その法的保護の範囲はきわめて限局されているといってよい。そしておそらくその最大の理由は、イギリス法では大陸法にみられない善意不実表示の法理が、錯誤と詐欺の中間に位置する第三の法的カテゴリーとして、その間隙を埋める機能を果たしているからであると考えられる。この善意不実表示の法理は、当事者の意思というよりもむしろ禁反言に基づく当事者の関係を重視する関係理論に、その法理的基礎を有している。この第三の独立した法的カテゴリーである善意不実表示の法理を度外視してイギリス錯誤法を論ずることは、法を機能的に比較するかぎり、あまり意味がないと思われる。一イギリス契約法における一方的錯誤に関する決定規準は、すでに述べてきたところからも明らかであるように、サヴィニー的な同一性・属性の二分法にその基礎をおいている。すなわち、一方的錯誤により契約の法的拘束力を否認しうる場合を、サヴィニーの影響を受けたポロックおよびアンスン以来の伝統的分類にしたがつて、取引行為の内容と区別された取引行為の種類に関する錯誤、当事者の属性と区別された当事者の同一性に関する錯誤、および、目的物の性質と区別された目的物の同一性に関する錯誤の場合に限定してきた。そして、サヴィニーのいわゆる第四のカテゴリーに属す目的物の性状に関する一方的錯誤を、法的拘束力を否認する根本的錯誤の分類から排除し、この種の問題解決を、錯誤と詐欺の中間的型態である善意不実表示(an innocent misrepresentation)の領域に移したのである。したがつて、イギリス法に特有な善意不実表示の法理が存在しているために、サヴィニーの同一性・属性の二分法による錯誤の決定規準を、心理的な動機の問題に介入させることなしにより徹底しえたと評することができよう。ローソンによれば、イギリス法は、目的物の性状に関する一方的錯誤に対し、法的拘束力を否認する法的効果を与えるべきである、と示唆したことは未だかつて一度もなかつたのである。また他方において、取引行為の種類に関する錯誤、当事者の同一性に関する錯誤、目的物の同一性に関する錯誤を理由として契約の法的拘束力を否認しうるためには、一方当事者の錯誤を相手方が知つていたかまたは知りうべき理由を有していたという禁反言の法理に基づく当事者間の関係に基礎をおいた解決をはかろうとしている点が注目される。二しかし、総じて、イギリス法における一方的錯誤の領域においては、大陸法的な意思理論の影響はかなり強いものがあつた。特にサヴィニーに傾倒したポロックの影響は、一時はコモン・ロー的伝統を圧倒する程強いものであつた。しかしながら、彼は比較法的アプローチの危険を十分認識しており、そのことの故に、彼の比較法学の基礎は、サヴィニーの理論のなかにイギリス法的要因を識別することにあつたともいえよう。ローソンが指摘しているように、確かに「イギリス法は、当事者の誘因となる錯誤の種類と合意を排除する錯誤の種類との間のサヴィニーの区別を継受してきた」ことは事実であるが、サヴィニーの本質的錯誤と動機的錯誤の決定規準を、取引行為の種類とその内容、当事者の同一性とその属性、目的物の同一性とその性質というより客観的規準におきかえ、心理的要素を含む目的物の性状に関する錯誤を一方的錯誤のカテゴリーから排除することにより、サヴィニーの理論をより徹底しえたと評価することが可能であろう。そして今日の動向としては、前述したローソンの学説やデヴリン裁判官の判決意見に代表されているごとく、錯誤の問題を両当事者間に発生した損失と利得の再配分という原状回復法的観点から解決していこうとしているように見受けられる。かかる動向は、意思理論から関係理論への移行の一側面として把握し評価することも許されよう。換言すれば、錯誤の法制度は、当事者の意思に基づく制度から、当事者間の関係を合理的に規律する客観的な制度に変容しつつあるということができる。