著者
勝部 伸夫
出版者
日本経営学会
雑誌
經營學論集 第86集 株式会社の本質を問う-21世紀の企業像 (ISSN:24322237)
巻号頁・発行日
pp.14-21, 2016 (Released:2017-03-23)

株式会社は資本集中という機能をフルに発揮して巨大化し,今や社会に不可欠な制度となった。では専門経営者に率いられた巨大株式会社は誰のために,どのように動かされるのか。また大企業はどのようにチェックされるのか。これはコーポレート・ガバナンスの問題であるが,それは実際には,経営者資本主義から株主資本主義への転換を推進するものとして登場した。すなわち資本主義の危機が進行する中,グローバリゼーションの進展と新自由主義思想の台頭を背景として,株主利益の最優先が声高に叫ばれ,国もそれを法制度改革等の面からサポートする流れが加速した。しかし,会社は株主のものだ,と言って済ますことはできない。株主の責任,株式会社の責任が問われる事態が進行しており,改めて株式会社とは何であり,その本質はどこにあるかを根本から問い直す必要が出てきていると言えよう。
著者
三和 裕美子
出版者
日本経営学会
雑誌
經營學論集 第86集 株式会社の本質を問う-21世紀の企業像 (ISSN:24322237)
巻号頁・発行日
pp.86-95, 2016 (Released:2017-03-23)

現代資本主義においては,経済活動を通して生み出された富は,生産手段に投下されるよりも,金融市場に向かい,国債,株式,デリバティブ市場の急速な取引技術の革新によって,さらに取引残高が増加する。この結果,大規模な資金を運用する年金基金,投資信託などの機関投資家,富裕層の資産運用を主に行うヘッジファンドなどの行動が金融市場や企業に及ぼす影響が大きくなり,「もの言う株主」などとして注目を集めるようになった。また,今日企業を支配するファンドも出現し,取引先に対する関係保持や新規市場開拓,技術革新,労使関係等に無関心,あるいはそれらを軽視し,ときには法令遵守にも留意しないという最低限のコーポレート・ガバナンスさえ機能しない状況を生み出している。現代社会におけるファンドの影響力は投資先企業にとどまらず,企業支配や国家にまで及んでいる。本稿では,経済の金融化との関連でファンドの企業支配の実態と問題点を明らかにし,現代株式会社への影響を考える。
著者
中條 秀治
出版者
日本経営学会
雑誌
經營學論集 第86集 株式会社の本質を問う-21世紀の企業像 (ISSN:24322237)
巻号頁・発行日
pp.29-36, 2016 (Released:2017-03-23)

本報告の論点の第1は,中世キリスト教に由来するcorpus mysticum(神秘体)という概念が株式会社の本質に深くかかわるという主張である。ここではカントロビッチの『王の二つの体』という著作で展開されるcorpus mysticumが社会制度に援用される歴史的展開を概観し,corpus mysticumという概念が教会から国家へと援用され,やがて各種の永続性を志向する団体に伝播する経緯を確認する。 第2の論点は,会社観には二つの流れが存在するという主張である。一つはcompany という用語で示される「共にパンを食べる仲間」としての「人的会社」の流れであり,もう一つはcorpus mysticumという人間以外の観念体を立ち上げるcorporationという用語で示される「物的会社」の流れである。 大塚久雄の『株式会社発生史』を批判的に検討すると,ソキエタス(societas)の中心人物に匿名的に投資する分散型コンメンダ(commenda)と「会社そのもの」に投資する集中型コンメンダの二つのパターンがあることは明白である。大塚はこの両者を共にマグナ・ソキエタス(magna societas)として同じものとして扱うが,この二つのマグナ・ソキエタスは性格の異なる会社観として捉えられるべきものである。この考えを推し進めれば複線型の株式会社発生史となる。つまり,一つはソキエタスの性格を残したcompanyへの流れであり,これは合名会社・合資会社につながる。他は「会社それ自体」がcorpus mysticum として法人化するcorporation,つまり株式会社への流れである。
著者
米川 清
出版者
日本経営学会
雑誌
經營學論集 第86集 株式会社の本質を問う-21世紀の企業像 (ISSN:24322237)
巻号頁・発行日
pp.F2-1-F2-8, 2016 (Released:2019-10-01)

サイモンとトゥベルスキー=カーネマンの「限定合理性」へのアプローチの決定的相違点を明らかにする。また,トゥベルスキー自身も,当初,合理的選択からのシステム的逸脱に対する新古典派的説明を,「見当外れの弁護人」と酷評した。歳月は流れ,トゥベルスキー=カーネマンは,やがて主流派の効用概念の補正の側に宗旨替えをする。完全合理的なはずの人間が犯すエラー研究が標準理論の修正へと向かった時,「限定合理性」の主張は,主流派の思弁的な領域に埋没した。現在,2つの「限定合理性」が存在するが,サイモンの側に立ち,トゥベルスキー=カーネマンの「限定合理性」に批判的検討を加える。
著者
風間 信隆
出版者
日本経営学会
雑誌
經營學論集 第86集 株式会社の本質を問う-21世紀の企業像 (ISSN:24322237)
巻号頁・発行日
pp.F25-1-F25-9, 2016 (Released:2019-10-01)

ドイツでは「共同決定」制度の法制化により,利害多元的統治モデルが制度化されている。しかし,1990年代後半以降,EU統合とグローバル化の急速な展開,伝統的安定株主の「消滅」と外国人機関投資家の圧力,さらには「新自由主義」的思潮の下での「株主価値重視経営」の喧伝の下で,「協調型資本主義」の「終焉」とまで主張されてきた。同時に,この時期,ドイツ固有の企業統治システムを維持するドイツ企業も存在したが,なかでも欧州最大の自動車会社に躍進したフォルクスワーゲン社はポルシェ・ピエヒ一族の過半数所有という形で資本市場からの圧力を遮断し,「長期連帯主義」に依拠した伝統的企業統治を維持してきた。しかし,2015年9月に発覚したVWディーゼルエンジン排ガス規制不正スキャンダルは,巨額のリコール・損害賠償費用,ブランド価値の棄損等,大きな打撃を受けている。本稿は,まず特に2000年代以降のVWの多元的企業統治の経路依存的進化の具体的在り様をたどるとともに,このインサイダー型企業統治構造が有する,克服すべき課題も明らかにする。
著者
西村 香織
出版者
日本経営学会
雑誌
經營學論集 第86集 株式会社の本質を問う-21世紀の企業像 (ISSN:24322237)
巻号頁・発行日
pp.F9-1-F9-9, 2016 (Released:2019-10-01)

人々が協働するときには,それぞれの異なる考え方にいかに対応し,それをまとめていくのかが重要な課題となってくる。しかも,組織や社会をとりまく環境は常に変化しており,組織のマネジメントは,その変化に応じていかなければならない。M. P.フォレットは,相異する考えから統一的解決を導き出し,同時に新たな多様性を創発させていく過程を,統合の過程として示した。そして,統合とは思考の統合としてあるのではなく,活動の統合としてあると捉え,関係し合うおのおのの主体的な経験によって統合が実現していくことを明らかにしたのである。フォレットは,経験の本質を,人間の可能性および新しい形態の喚起にあると捉える。すなわち,経験において人々の概念が知覚されたものと統合されて自律的に展開し,そこから新たな可能性や関係性が喚起されていくと捉えるのである。こうしたフォレットの経験と統合の理解は,現代組織のマネジメントに対しても,従来の考え方の行き詰まりを超える新たな活動の枠組みを示唆するものであると考えられる。