著者
横井 由利
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.27, pp.69-92, 2019-01

壮麗なヴェルサイユ宮殿を作り太陽王と称されフランスに君臨したルイ14世の時代、お洒落の達人としてヨーロッパからロシアまで名を馳せたマリー・アントワネットの時代を経て、「モードの都」パリのイメージは確立していった。19世紀に入ると、イギリスより移り住んだシャルル・フレデリック・ウォルトは現在のオートクチュールのシステムを考案し、その後登場するデザイナーによってオートクチュールビジネスは多様化し発展するが、70年代以降は、時代の変化に伴い衰退と再生を繰り返すことになる。本稿では、オートクチュールのビジネスシステムと文化的な側面を紐解き、スピードと量が問われるデジタル時代にあって、多くの職人の手と時間をかけて完成するオートクチュールの服は、モード界に必要か否か、またそのあり方について論じていく。
著者
山下 奨
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.29, pp.81-92, 2020-01

連結会計または企業結合会計の基準設定においては、在外子会社の換算については言及されることはあまりなかった。本稿では、外貨建のれんの帰属をめぐる議論をもとに、のれんの帰属と連結基礎概念の関係等を検討している。外貨換算会計の先行研究においては、のれんが在外子会社の資産であれば決算日レートで換算、のれんが親会社の資産であれば取引日レートで換算という外貨換算会計固有の結びつきと、経済的単一体説によればのれんは子会社の資産、親会社説によればのれんは親会社の資産という連結会計における結びつきが暗黙裡に結合的に議論されており、外貨換算会計と連結会計の重なり合う領域において、議論が錯綜しているようにみられた。本稿では、後者の連結会計における結びつきについて、親会社説によっても子会社の資産との結びつきの可能性があることを示している。さらに、親会社の資産とする場合には、非支配株主に帰属するのれんを認識しようとする全部のれん方式と矛盾があるように考えられること、のれんを子会社の資産とすることは、経済的単一体説から導かれるとされる全部のれん方式とも整合的であることを指摘している。のれんが子会社の資産であることと整合的な他の会計処理として、プッシュダウン会計を示している。
著者
山澤 成康
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.31, pp.1-18, 2021-02

本研究は、政府の景気局面判断がどのようなメカニズムでなされているのかを機械学習の手法を使って実証的に検討したものだ。被説明変数を、政府の景気基準日付に基づく景気局面(拡大期=0、後退期=1)、説明変数を景気動向指数(先行、一致、遅行)のすべての構成指標27系列(前期差)とした。サンプルを教師データと評価データの2つに分けて予測精度を調べるホールドアウトテストでは、手法の違いによりばらつきはあるが、おおむね良好な結果となった。次に外挿テストを行った。2012年3月の景気の「山」までを教師データとしてそこから先を予測するケースと2012年11月の景気の「谷」までを教師データとしてそこから先を予測するケースの 2種類を行い、局面判断ができるかを検討した。決定木を使うと概ね的中することがわかった。次に決定木を使って、景気局面判断に各指標がどのように使われているかについて調べた。2014年以前の景気局面判断は簡明で、DIとその差分の2つでほぼ判断ができていた。しかし、2014年の消費税率引き上げ以降は、局面判断の基準が変わっていることがわかった。2018年以降、公式の局面判断では景気後退のサインが出ていないが、従来の手法では景気後退のサインが頻繁に出ていることが確認できた。最後に、決定木の予測をランダムフォレスト、勾配ブースティングなどアンサンブル予測も行って、予測が改善するかどうかを検証した。結果は決定木を使った場合と同様だった。
著者
小川 功
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.10, pp.1-18, 2010-10

京都の洛西地区の地主・名望家グループの風間八左衛門,小林吉明らは町村長・議員等として地域の行政・政治に関わる一方,明治30 年代から40 年代にかけて地元の嵯峨・嵐山の地域振興,観光振興を目論み,名勝旧跡の保存・紹介,嵐山焼など名産品の開発を行う傍ら,1、温泉会社,2、遊園会社,3、水力電気,4、銀行等を共同で発起した。本稿ではこのうち嵐山温泉,嵯峨遊園両社を取り上げたが,彼らは外人観光客を対象とした名所案内,環境整備等にも努力し,外人誘致にも貢献した。1、嵐山温泉は無色透明の炭酸冷泉であったが,渡月橋畔から船で嵐峡の清流を遡る風景絶佳の地にある老舗旅館として内外の観光客に愛好された。また2、嵯峨遊園は葛野郡による嵐山公園設置の経費を使用料として調達する意味から,公園内に遊覧客向の建物を数軒新築し飲食・遊興業者に賃貸するという官設公園内の民営代行から出発した。設立に当って同社が「営利を専らとせず,成る可く公衆の利便に資する」旨を謳ったように,京都市内の投資家集団が買収した嵐山三軒家や,嵐山に広大な別荘を建築しようとした内外の資産家等の行動に比し,小林らの行動は地元の振興を第一義とするものであったと評価できよう。しかし3、清滝川水力電気が創立早々に川崎・松方系統の嵐山電車軌道への身売りを余儀なくされたように,巨額の資金を固定化させがちな風間・小林派の関係企業は概して苦難の道を歩み,昭和2 年の金融恐慌で彼らが共同出資した旗艦・4、嵯峨銀行が破綻すると,嵐山焼の廃絶に象徴されるように,上記の両社を除き多くの関係企業の衰退を招いた。その後も彼らの意志を継承する子孫等により,嵐山焼の再興が幾度も企画されたり,近年でも嵐山に本格的な温泉を掘削・導入するなど地元資本による観光振興策が試みられる一方,残念ながら長い歴史を有する老舗旅館・嵐峡館が休業を余儀なくされ,大手観光資本により買収・改名されるなどの変化が見られる。大幅改装後の同館が期待通り内外貴賓の接待所の機能を果すならば創設者の意にも沿う展開であろう。
著者
小川 功
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.7, pp.1-14, 2009-03

現在東京ベイ・エリアは東京ディズニー・リゾートに代表される海浜リゾートの一大集積地である.当該地域の臨海遊園地の先駆として京成電鉄直営の谷津遊園とともに三田浜楽園が有名で,ともに湾岸部の塩田等を埋め立てて築造された.本稿では戦前期に文豪川端康成,太宰治なども滞在して小説の舞台となった日本文学ゆかりの三田浜楽園を取り上げる.事業の永続性にリスクが不可避な観光経営の視点からこの種の観光施設の経営が一般には不安視されていた時期に,いち早く東京湾岸の将来性に着目して一大海浜リゾートを創設した資本家は如何なる人物で,広大な敷地と巨額の建設費はいかなる手段により調達されたのかを明らかにしようとしたものである.すなわち同地は明治初期に高級軍人により塩田として開発され,請負業者などに譲渡され地元の船橋商業銀行の資金で拡張された.この間請負業者の没落,船橋商業銀行の破綻,台風による水害等を経て最終的に塩田の権利を継承したのは京和銀行専務の平田章千代であった.平田塩業により経営された塩田もやがて塩田そのものの採算性の低下に加え,金主の京和銀行の破綻という予期せぬ不幸に見舞われる.こうした環境の激変の最中に昭和2年12月遊園地,温泉旅館,土地建物の経営を目的とする資本金10万円の観光企業・三田浜楽園が設立された.本稿では設立時の三田浜楽園の役員構成等を詳細に分析することにより,京和銀行の人脈との関係を解明しようと努めた.また北海道の「板谷財閥」から海運業で蓄積した豊富なリスクマネーが三田浜楽園の土地を担保として豊富に供給された事実も明らかにした.