著者
徳山 孝子 打田 素之 木谷 吉克 笹崎 綾野 中村 茂
出版者
神戸松蔭女子学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01 (Released:2014-04-04)

本研究は、両国関係者によるコミュニケーションの具体的経緯と男子服意匠の導入経過を明らかにすることで、我が国の洋装文化形成の最も初期の段階に果たした日仏間の交流の実態と意義を解明することを目的とする。今年度は、徳川昭武の購入した領収書(東京大学史料編纂所蔵、民部大輔)の発見から日仏間の交流が明らかになった。1867年4月26日に徳川昭武(民部大輔)一行が日本人として訪れ,洋服を購入した。1か月後の5月26日には、民部大輔用達申渡書が交わされた。商用名刺には、創作した葵紋に刀や剣、日章旗のマーク「FOURNISSEURS BREVETES DE SAI LE PRINCE MIMBOU TAYO-DONO」が記された。男子服の普及・発達は,発祥経路の一つに洋裁店「エス・ブーシェ」の存在が多大であったことが明らかとなった。1882年3月28日エス・ブーシェ会社は解散した。幕末期から明治初期において洋裁店「エス・ブーシェ」と日本人の交流は、男子服史において歴史的に重要な位置を占めた。次に明治5年に着用した明治天皇の軍服に装飾している金モールに着目した。金モール刺繍を日本で製織するようになったきっかけ、製織技術の伝来、製織し始めた人物を明らかにした。中野要蔵は、東京・日本橋区呉服町で「中野屋」という名で洋織物商を営んでいた。最初は、慶応時代に輸入業を始め、外国武官、外交官が来朝した際に、はじめて金モールが何であるかを知ったとされている。1872年の服装制定により、モールが肩章などに多用されることとなった。当初は輸入品で間に合わせていたが不便であったため、機械を購入して金モールを製造し始めたことがわかった。明治12年製造に着手して以来、各地で需要が高まり、東洋派遣米国海軍からの注文、特約店に命ぜられ、宮内省の御用達にもなった。

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講師の中村茂氏の研究課題『幕末から明治維新期の日仏両国関係からみた男子服意匠の経緯と実態』(https://t.co/2VFvjdqkRc …)は中々に興味深いテーマだね。

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