著者
森田 雅子 横川 公子 矢田部 愛 北村 薫子 延藤 久美子 岡田 由紀子 徳山 孝子 西田 徹 坂井 加奈 櫻谷 かおり 天野 敏彦 武藤 恵美
出版者
武庫川女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

国内およびイタリア・アメリカはじめ海外5カ国のフィールドワークを実施し、文献調査やネットアンケート、インタビュー(フィギュア製造業の海洋堂、コレクター)・モニタリング・データベース化の手法を用いた。巡礼地での観光土産との類縁性に着目し、「西洋型先進国」における食玩および食玩の類縁生活財(ミニチュア)の流行の仕組みや象徴的・表象文化的機能と日本的特異性の比較・解明を試み、得た知見の概要を『報告書:研究経緯および資料』に公開した。
著者
徳山 孝子 打田 素之 木谷 吉克 笹崎 綾野 中村 茂 森田 登代子 藤田 恵子 山村 明子 刑部 芳則
出版者
神戸松蔭女子学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

礼服・軍服などの男子服意匠の導入に関わる幕末から明治維新期にかけての日仏間の交流の経緯と実態の一端を明らかにした。①明治天皇の御正服の意匠とAICP校に現存する絵型の比較検証から、礼服などの男子服意匠の導入がフランス支援による事が判った。②訪仏した日本人との交流が深かった洋裁店「オゥギャラリードパリ(S・ブーシェ)」は、男子服の発祥経路の一つとして指摘できた。③ナポレオン3世から徳川慶喜に贈呈された軍服、軍帽等の軍装品に関して、仏軍が定める詳細な仕様書などの資料が得られた。④The Tailor’s guideの技法は『西洋縫裁(裁縫)教授書』を介して伝えられたことが判った。
著者
中村 茂 徳山 孝子 笹﨑 綾野 藤田 恵子 森田 登代子
雑誌
服飾文化共同研究最終報告
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.[94]-[104], 2013-03

本研究は我が国の洋装文化形成の最初期において、礼服・軍服などの男子服意匠の導入に大きな影響を与えた幕末から維新期にかけての日仏間の交流の実態と意義を明らかにすることを目的とする。そのため、パリの服飾専門学校、AICP校*に現存する日本由来の資料を手掛かりに、幕末の将軍徳川慶喜と明治天皇の洋装に関連する資料を調査・収集し、日仏関係者による交流の具体的経緯と男子服意匠の導入経過の解明を目指した。その結果、軍事博物館(パリ)などの調査から、ナポレオンⅢ世から寄贈された慶喜の軍服、明治天皇の礼服の意匠、慶喜の実弟昭武と関わるパリのテーラーなどに関する事実が明らかになった。*Académie Internationale de Coupe de Paris
著者
徳山 孝子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.67, 2015

<br><br><b>目的</b> 幕末から明治期における金モール刺繍の普及について着目した。この時期は西洋文化が導入され、軍服にもフランス、イギリス式が採用され、金モール刺繍が多く用いられた。例えば、金モール刺繍を施した肩章、襟章などがある。このように多くの用途があり、軍服にはなくてはならないものであった。<br>&nbsp; 本研究では、金モール刺繍を日本で製織するようになったきっかけ、製織技術の伝来、製織し始めた人物を明らかにすることを目的とした。 <br><b>方法</b> 研究を進めていくなかで、金モールの製造には中野要蔵が深く関わっていることがわかった。<br><b>結果</b> 東京・日本橋区呉服町で「中野屋」という名で洋織物商を営んでいた。最初は、慶応時代に輸入業を始めていたことがわかった。外国武官、外交官が来朝した際に、はじめて金モールが何であるかを知ったとされている。1872年の服装制定により、モールが肩章などに多用されることとなった。当初は輸入品で間に合わせていたが不便であったため、機械を購入して金モールを製造し始めたことがわかった。明治12年製造に着手して以来、各地で需要が高まり、東洋派遣米国海軍からの注文、特約店に命ぜられ、宮内省の御用達にもなった。
著者
徳山 孝子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.66, 2014

<b>目的</b> 明治天皇は嘉永5(1852)年9月22日、孝明天皇の第二王子として誕生し、明治元(1868)年1月15日、天皇元服される.その時代は、幕末・明治維新を経て、徳川幕府が崩壊し天皇中心とした中央集権体制、藩閥政治へと世の中が変わった.本研究では、国民の新時代を印象づけた明治天皇の御正服(軍服)を取り上げ、その歴史的経緯と意匠を調査収集とその分析により明らかにした. <br><b>方法</b> 皇室では束帯装着は朝儀のみを除いて廃止され、西洋からの礼服導入が始まった.明治天皇の肖像画でその足跡をたどることができる.パリAICP校(Acad&eacute;mie Internationale de Coupe de Paris)には、&ldquo;empereur&rdquo;と記された軍服のデザイン画が残されていた.<br><b>結果</b> 明治天皇の軍服は、AICP校に所蔵されている軍服の絵型と酷似していた.その絵型には「DOLAMN DE L&rsquo;EMPEREUR DE JAPON」と記され、日本の明治天皇の軍服であると推測される.絵型は、首から後ろ肩にかけて菊と唐草文様、前身頃から腰回りも全部菊と唐草文様で縁取り、両脇にスリット、助骨五段(モール二条)に菊花文様の5つボタンであった.
著者
池野 武行 徳山 孝子
出版者
一宮女子短期大学
雑誌
萌芽的研究
巻号頁・発行日
1997

平成10年度では、中国産、ブラジル産、ニュージーランド産プロポリスのうち特に芳香性の強いブラジル産プロポリス1種(スーパーグリーン)を特定した。このプロポリスの従来からの応用・利用は、健康食品のみであったので次の点を開発した。1. アルコール抽出プロポリス(SG)を濃度調節に各プレーとして分散させる。2. 日本人の好きな檜チップ材(8×8mm)に加工してプロポリス芳香をもつ檜チップを開発して、枕の中に入れてリラックスを期待する。3. プロポリス原塊をアルコール抽出した残り分にも芳香性はあるため、これを粒子化して錠剤タイプ製型に持続型芳香剤を開発した。4. 上記の残り分を粉末のまま不織布等に封入して持ちはこび可能な芳香剤とした。とした。