著者
池田 功
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
no.496, pp.1-21, 2014-01

石川啄木と尾崎豊は、生きた時代も異なるし、また短歌という定型文学に才能を発揮した啄木と曲をつけて歌う詞に才能を発揮した尾崎という相違もあるにもかかわらず、ともに二六年の生涯であり、またともに最終学年を自主退学し才能だけがものをいう芸術の世界に運命を賭け成功した点で共通している。さらに権威に対して怖れることなく自らの言葉で表現した点や、一〇代や二〇代の夢や希望、そして恋や苦悩や不安などを赤裸々に歌っている点においても共通している。私はこの二人の人生と作品を考察していきたいと思っているが、拙稿「石川啄木と尾崎豊①―二六年の生涯と自主退学―」では、それぞれの二六年の生涯がともに膨張としぼみという時代であったことや、またとりわけ大きな問題となった最終学年における自主退学の真相を時代背景をからめながら考察した。
著者
大久間 喜一郎
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
no.418, pp.83-99, 2007-03
著者
瀬川 裕司
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
no.369, pp.29-71, 2003-03

1920年代後半、オーストリアは不穏な空気に包まれていた。<赤いウィーン>といわれていた首都にかぎっていえば、巨大住居が計画的に建設されて住宅問題の解決に著しい進展があり、医療・教育施設も改善されて乳幼児の死亡率が大幅に低下するなど好ましい面も見られたが、27年ごろから反社会主義を掲げる<護国団>と社会主義を支持する<防衛同盟>というふたつの私設軍隊がたがいに勢力を拡大し、市街地で衝突を繰り返すようになっていた。衝突は多くの場合、前者が後者を挑発・襲撃するというかたちで始まり、特に後者の側に多くの死傷者が出ていたが、<護国団>が裁判所から厳しい処分を受けることはほとんどなかった。27年7月には、そういった<護国団>の殺人容疑者に対して無罪判決が下されたことに激怒した労働者が暴徒化し、鎮圧しようとした警官隊が発砲したために百人近い死者が出るという事件も起こった。