著者
福本 勝清
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
no.462, pp.103-150, 2011-01

1 0 0 0 IR 弔辞

著者
長岩 寛
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
vol.223, pp.viii-ix, 1989-03-01

八角さん 明治大学教養論集の編集の仲間として、いまここにこうして立っている自分が何かの錯覚であるような気がします。 本年度もまた厄介な編集上の問題が起こって、種田美智子さんを交えて色々と相談したのは、今月のはじめだったではありませんか。 貴方はほんとに長い間、教養論集の編集者として、更には最も煩雑な役割である庶務の仕事を引き受けて、貴方の心血を注いで来られました。また和泉会の役員として明大和泉校舎五十年史の編纂に力を注ぎ、また教養論集総目次作成の大変な仕事を完成されたばかりでした。そしてまた、よりよき教養論集のために、新しい提案をしようと話し合ったのはこの間のことではありませんか。
著者
清水 真木
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
no.436, pp.1-19, 2008-09

日本語の「哲学」という名詞、そして、明治以降、「哲学」という言葉によって日本語に置き換えられてきた西洋近代各国語の語彙に含まれるphilosophy、philosophieなどの言葉が使われる文脈は、大きく二つに分かたれる。すなわち、一方において、「哲学」は、専門的な学問分野としての哲学を指し示すために使用される。しかし、他方において、「哲学」という言葉が、通俗的な意味を担う場面もまた、少なくはない。たとえば、「あの人には哲学がない」「松下幸之助の経営哲学」などの表現に含まれる「哲学」という言葉は、哲学史を構成する哲学、つまり、学問としての哲学、あるいは学問的であることを目指す活動としての哲学を意味するものではない。
著者
石山 徳子
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
no.422, pp.53-79, 2007-03

少々派手な装いのエッフェル塔の隣には小ぶりのスフィンクス。そしてベニスに似せた水路にはゴンドラがゆらゆらとしている。夜になると,巨大な噴水の池では,光と水のエンターテイメント・ショーが華やかに繰り広げられる。もうひとつの人口池で数時間ごとにおこなわれる海賊の戦闘ショーも,観光客の人気を集めている。まるでテーマパークのような様相を呈する,カジノとショービジネスの街,ラスベガス。そのきらびやかな繁華街を抜けると,拡大の一途をたどる住宅街やショッピングセンターが立ち並び,それは典型的なアメリカの郊外の景観である。こぎれいな郊外の外に広がるのが,どこまでも続く乾燥した砂漠の景色だ。この砂漠のメトロポリスから北東にしばらく行くと,高速道路の脇に「ヒッチハイク禁止」という看板が立っている。
著者
大島 田人 八角 真
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
no.191, pp.p93-219, 1986

この"土山と森鷗外"の稿を執筆中の昭和六十年九月現在、「ある小倉日記伝」「鷗外の婢」の作者松本清張氏は、「文芸春秋」誌上に五月から〈二医官伝〉の題で、旧作と同じ小説の形式をもって鷗外論を連載中である。冒頭書出しの部分は土山行の条りで、筆者がこれから綴ろうとしている通り、松本氏も鷗外の土山常明寺墓参について鷗外日記を紹介しながら、その現状を描出している。もっとも新しい土山常明寺検分の記であろう。明治三三年三月一日、小倉第十二師団軍医部長であった森鷗外は、定例の軍医部長会議に出席のため、小倉を発して、三二年六月の着任以来、初めて上京の途についた。三月一日。雨。倉知薬剤官と偕に小倉を発す。午前七時五十五分汽車に上りて、門市(司)に至る。