著者
鶴田 英也
出版者
梅花女子大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2005

・日本心理臨床学会の自主シンポジウム(波多江洋介企画)において、これまでの研究の外観を発表した。具体的内容としては、バウムに対する2種のパースペクティブ、すなわち垂直・水平軸のパースペクティブと柄と地のパースペクティブについて、その発想のもととなったいくつかのモチーフとともに紹介し、さらに臨床例を提示した。・昨年度に根っこ描写ありなしの二枚法で収集したバウムについて、根っこ描写あるいは地平線描写と描き手のしっくり感についての連関について統計的検定を行った。結果、根っこなしの方がしっくり感があるものとして選ばれやすいという結果が得られた。地平線描写としっくり感との連関は見られなかった。また根っこを描いたバウムからより病的な様相を強く感じるということが多く、根っこ描写のもつ特性を得られたことは有意義であったが、それだけに根っこ描写をこちらから指示することの責任の重さを痛感させられる結果であった。なお、この内容については日本箱庭療法学会にてポスター形式で発表した。・再度沖縄にてバウムを収集した。根っこ描写、地平線描写について統計的処理を行った後、梅花女子大学大学院心理臨床学専攻の大学院生数名とケースカンファレンス形式で個々のバウムを検討した。その内容については心理臨床関連の学会誌に投稿発表する予定である。・京都の鞍馬寺から貴船神社にいたる山道にある通称"木の根道"を調査した。木の根道とは、根っこが地表に張り巡らされており、その昔源義経が修行の場としたともされている場所であるが、その一種異様な雰囲気は、沖縄の見事な板根をもつサキシマスオウノキを訪れた時に感じた感覚とも似ているようだった。特に根っこに関するバウムイメージを膨らませる貴重な体験だった。
著者
香曽我部 秀幸 横山 充男 鵜野 祐介 加藤 康子 近藤 眞理子 田中 裕之 富安 陽子 長澤 修一 畠山 兆子 福井 善子 藤井 奈津子 松井 外喜子 高科 正信 香曽我部 秀幸
出版者
梅花女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

研究を始めたとき、「幼児教育・保育の実践をめざすこと」と「児童文学・絵本の創作・伝達・研究を行うこと」は密接に関連すると考えていた。だが、それぞれを目標とする若い女性には、異なる気質が見出され、簡単に2つの目標を合体できないことが、実践的研究からわかってきた。だが、5年間の実践的研究を積み重ねた結果、児童文学・絵本の創作や伝達の実践活動は、幼児教育・保育を目指す若い女性に刺激を与え、新たな技能や知見を獲得し、意欲を生み出していく現象が見出された。すなわち、児童文学・絵本の創作・伝達・研究を巡った実践的な教育は、時間はかかるものの、幼児教育・保育の教育に寄与すると考えられる。
著者
加藤 康子
出版者
梅花女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

近代以前の日本の子どもの読み物の中で、江戸時代中期から明治剛期にかけて出版された絵草紙には、「絵」という視覚的な要素と文章があいまって、読み物の内容を印象深く読者に伝える効果がある。近代以降の子どもの読み物でも、挿絵や絵本は同様である。江戸時代から現代までの子どもの読み物、特に絵草紙や絵本には、英勇譚が少なくない。ただ、近代以前には武士が登場してくるが、近代以降では武士の存在は次第に薄れ、価値観が変容していく。本研究では、江戸時代から現代の子どもの読み物の系譜を辿り、作品分析からその価値観について考察した。これよって、日本の子どもの読み物の中で、どのようなことが読者を夢中にさせたのか、また作り手と読み手のそれぞれが何を求めていたのか、を考えていくきっかけになり、近代以前日本児童文学と近現代日本児童文学の関係を密接にする手だてになり、未来を担う子どもたちの読み物や絵本の体験をどのようにするかという課題への示唆も得られるのではないかと思われる。研究の結果、近代以前日本児童文学では、絵草紙として、上方絵本、草双紙、豆本以外にも武者絵本などがあり、近代以後もそれらを踏襲したような絵本があるが、無学や今回の調査を踏まえれば、日本の英勇譚によく登場する人物は、源義経、源頼光、豊臣秀吉である。この中で注目されるのは、源頼光とその家来たちの英勇譚である。この物語は、個人の人生を辿った史実に近い逸話が物語化されているのではなく、史実とは異なる空想の物語がほぼ同じ内容で、類型化された絵と共に長く伝えられてきていることに特徴がある。また、頼光を中心にしているものの個人の活躍よりも四天王と保昌を加えた六人の集団が活躍するところにも特徴がある。これらの頼光を中心とした一連の物語は、日本の民族が長年にわたって培ってきた、民族の物語の一つといえる。また、史実とは異なる創作物語の英勇譚である江戸後期の『南総里見八犬伝』も集団の架空物語であり、大きな敵に向かって何度も挑戦していく構造に相通ずるところがある。この構図は読者を魅了し、現代の人々が魅了されている「ファンタジー」にも通じるところがあるのではないかと考えている。したがって、日本民族の物語は忘れられつつあるが、それを享受する素地はあり、時代に合わせた復権を試みる意義があると考える。