著者
加藤 康子
出版者
文化経済学会 (日本)
雑誌
文化経済学 (ISSN:13441442)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.36-44, 2016-03

人間の創造性こそが都市経済の今後の担い手であるとする創造都市論において、創造人材とされるクリエイティブクラス以外の市民の潜在力については、ほとんど注目されて来なかった。本研究は、都心でのアートと趣味縁をテーマとした市民有志による活動の場が、クリエイティブクラス以外の市民層が各自の潜在的な創造力を発現させる契機となっている事例に着目し、敷田の「ハーフシフト」概念を応用しながら、その機制(メカニズム)について事例からの分析を試みる。
著者
加藤 康子 三宅 興子 高岡 厚子
出版者
梅花女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

近年、絵本研究は進んだが、国際比較研究は未だ十分とは言えない。そこで、「狐」「イソップ寓話」という観点から、日本、イギリス、フランスの絵本を比較研究した。まず、各国のイソップ寓話受容と絵本化の流れを確認し、狐が中心となっている話をめぐって、挿絵や絵本作品を収集し、比較分析を行った。結果、イソップ寓話の受容は、各国の文化事情を反映して異なっていることが分かった。日本では、外国からの文化導入に特徴が見出される。このように、三ヶ国の挿絵や絵本には、その国情、文化、画家の個性が色濃く反映していることを確認した。
著者
加藤 康子
出版者
東京学芸大学
雑誌
(ISSN:13437518)
巻号頁・発行日
no.30, pp.264-279, 2009-02
著者
加藤 康子
出版者
新潮社
雑誌
新潮45
巻号頁・発行日
vol.36, no.8, pp.88-92, 2017-08
著者
加藤 康子
出版者
文化経済学会<日本>
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.46-54, 2017-09

本研究が対象事例として注目する群馬県前橋市の中心市街地では、商店街の遊休不動産を利用して、民間非営利の市民集団やアーティストが、趣味縁やアートの拠点を構える動きが見られるようになった。本稿は、従来は社会学の領域で扱われてきた趣味縁を、概念の系譜を再確認し、そのうえでまちづくりの文脈において捉え直し、新たな理論的視座を提供することを目的とする経験的研究である。
著者
加藤 康子
出版者
北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院 = Graduate School of International Media, Communication, and Tourism Studies, Hokkaido University
雑誌
国際広報メディア・観光学ジャーナル
巻号頁・発行日
vol.20, pp.35-54, 2015-03

The “OYOYO” is an art community organization operated by members of a civic volunteer group in Sapporo. Through their activities the members of OYOYO attain the skills to overcome the difficulties of daily living in Japanese modern society and empower others wll being. Although OYOYO is a specialized community in arts, why does this community exercise such an empowering function? This paper provides several lines of evidence that an art community organization can function as “the intermediate area where anybody can negotiate a framework of values throughout their actual practices and conversations. This study will explore generating mechanisms of empowerment by participant observation research.
著者
黒石 陽子 三好 修一郎 加藤 康子 山下 則子 有働 裕 山下 琢己
出版者
東京学芸大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

本年度は黒本・青本『曽我武田鞘因縁』(研究代表者 黒石陽子)、黒本『頼光一代記』(研究分担者 加藤康子)について諸本調査、書誌調査、翻刻、内容分析を行い、『叢 草双紙の翻刻と研究27号』に発表した。『曽我竹田鞘因縁』は、『曽我物語』に代表される曽我の伝承が、江戸期にどのような展開を示したのかを明らかにする上で重要な資料である。中世以降、江戸における諸分野の文学や芸能との関係から調査、考察を行った。『頼光一代記』も酒呑童子の伝承と関係し、江戸期に広汎に浸透した伝承が、黒本ではどのように扱われているのかを明らかにしたものである。江戸末期から明治にかけての展開も視野に入れて研究した。また研究協力者は以下の作品を担当し、『叢 草双紙の翻刻と研究27号』に発表した。『和漢/軍配木起源』(丹 和浩)、青本『〔大江山〕』(金ヒョンジョン)、『風流/桃太郎/柿太郎 勇力競』(徳永結美)、黒本・青本『保名丸白狐玉』(書誌的記録の追加・語釈・考察)(ジョナサン・ミルズ)、『〔男鳴神〕』(朴順花)、『昔扇金平骨』(橋本智子)、『昔咄し虚言桃太郎』(笹本まり子)、『縦筒放 唐の噺』(大橋里沙)、黄表紙『嶋台眼正月』(杉本紀子)、合巻『瑠璃紫江戸朝顔』(桧山裕子)。これらについても諸本調査、書誌調査、翻刻、内容分析を行った。さらに平成14年よりデータベースとしての構築をめざし、研究代表者、研究分担者、研究協力者によって継続して作成してきた赤本・黒本・青本の解題原稿を、科学研究費報告書として1冊にまとめた。またこの成果を元に書店からの刊行準備を開始した。18年度中には刊行し、一般に公開できる見通しをつけることができた。
著者
香曽我部 秀幸 横山 充男 鵜野 祐介 加藤 康子 近藤 眞理子 田中 裕之 富安 陽子 長澤 修一 畠山 兆子 福井 善子 藤井 奈津子 松井 外喜子 高科 正信 香曽我部 秀幸
出版者
梅花女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

研究を始めたとき、「幼児教育・保育の実践をめざすこと」と「児童文学・絵本の創作・伝達・研究を行うこと」は密接に関連すると考えていた。だが、それぞれを目標とする若い女性には、異なる気質が見出され、簡単に2つの目標を合体できないことが、実践的研究からわかってきた。だが、5年間の実践的研究を積み重ねた結果、児童文学・絵本の創作や伝達の実践活動は、幼児教育・保育を目指す若い女性に刺激を与え、新たな技能や知見を獲得し、意欲を生み出していく現象が見出された。すなわち、児童文学・絵本の創作・伝達・研究を巡った実践的な教育は、時間はかかるものの、幼児教育・保育の教育に寄与すると考えられる。
著者
加藤 康子
出版者
梅花女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

近代以前の日本の子どもの読み物の中で、江戸時代中期から明治剛期にかけて出版された絵草紙には、「絵」という視覚的な要素と文章があいまって、読み物の内容を印象深く読者に伝える効果がある。近代以降の子どもの読み物でも、挿絵や絵本は同様である。江戸時代から現代までの子どもの読み物、特に絵草紙や絵本には、英勇譚が少なくない。ただ、近代以前には武士が登場してくるが、近代以降では武士の存在は次第に薄れ、価値観が変容していく。本研究では、江戸時代から現代の子どもの読み物の系譜を辿り、作品分析からその価値観について考察した。これよって、日本の子どもの読み物の中で、どのようなことが読者を夢中にさせたのか、また作り手と読み手のそれぞれが何を求めていたのか、を考えていくきっかけになり、近代以前日本児童文学と近現代日本児童文学の関係を密接にする手だてになり、未来を担う子どもたちの読み物や絵本の体験をどのようにするかという課題への示唆も得られるのではないかと思われる。研究の結果、近代以前日本児童文学では、絵草紙として、上方絵本、草双紙、豆本以外にも武者絵本などがあり、近代以後もそれらを踏襲したような絵本があるが、無学や今回の調査を踏まえれば、日本の英勇譚によく登場する人物は、源義経、源頼光、豊臣秀吉である。この中で注目されるのは、源頼光とその家来たちの英勇譚である。この物語は、個人の人生を辿った史実に近い逸話が物語化されているのではなく、史実とは異なる空想の物語がほぼ同じ内容で、類型化された絵と共に長く伝えられてきていることに特徴がある。また、頼光を中心にしているものの個人の活躍よりも四天王と保昌を加えた六人の集団が活躍するところにも特徴がある。これらの頼光を中心とした一連の物語は、日本の民族が長年にわたって培ってきた、民族の物語の一つといえる。また、史実とは異なる創作物語の英勇譚である江戸後期の『南総里見八犬伝』も集団の架空物語であり、大きな敵に向かって何度も挑戦していく構造に相通ずるところがある。この構図は読者を魅了し、現代の人々が魅了されている「ファンタジー」にも通じるところがあるのではないかと考えている。したがって、日本民族の物語は忘れられつつあるが、それを享受する素地はあり、時代に合わせた復権を試みる意義があると考える。