著者
荊木 美行
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.1-32, 2015-03

二〇一二年七月に発見された集安高句麗碑は、広開土王碑・中原高句麗碑につぐ、高句麗時代の数少ない金石文として話題を集めた。最近、正式な報告書である『集安高句麗碑』が刊行され、日本でも入手できるようになったのをきっかけに、同書の概要を紹介しつつ、この碑文について検討を加えたのが、小論である。集安高句麗碑は、広開土王碑と関係が深く、時期的にも近いものと考えられるが、高句麗王陵の守墓制度が故国壤王やその子の広開土王の時代に整備されたことをうかがう格好の史料である。
著者
荊木 美行
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.1-45, 2018-03

『日本書紀』は『古事記』とならぶ貴重な古典として、古来、多くの研究者によって、その研究が進められてきた。そうした研究の成果は、校訂本・読み下し文・現代語訳の作成や注釈といった形で世に問われてきた。とりわけ、明治以降は、洋装本の普及と相俟って、『日本書紀』のテキストの出版が盛んにおこなわれ、昭和前期には複数のものが相次いで刊行され、大いに普及した。これらテキスト・注釈書の発行が記紀研究の進展と関係することは云うまでもない。小論は、明治以降に刊行された『日本書紀』の原文・読み下し文・現代語訳・注釈を網羅したリストで、これによって、近現代における『日本書紀』研究の歩みを俯瞰しようとしたものである。
著者
桐村 喬
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.114-92, 2018-03

本稿では、代表的な位置情報付き SNS ログデータであるTwitter データに注目し、どの程度の空間的スケールでの観光行動が行われているかを明らかにしながら、観光行動分析におけるTwitter データの有用性と限界について若干の考察を加える。分析に用いるのは、2012年4月から2015年3月までの3年度分の位置情報付きの Twitter データであり、ツイートに利用されたアプリの情報がモバイル機器向けのアプリであるものに絞り込んだものである。本研究における論点は主に2つである。 まず、Twitter データは近年様々な地理的分析において用いられているが、データのもつ地理的特性については十分に議論されていない。日本全国のTwitter データから最も投稿の多い地域を居住地として判定して、居住地別にユーザー数を集計すると、東京、大阪の二大都市圏への偏在が認められた。また、伊勢市において、観光客の実態調査に基づく居住地と比べると、Twitterユーザーのほうが二大都市圏により偏在する傾向が認められた。観光行動の分析を行う場合は、居住地ごとに分析するか、あるいは居住地の偏りを補正したうえで分析する必要があると考えられた。 次に、Twitter データについては、2015年4月下旬以降、付与される位置情報が大きく変化し、従来学術研究に活用されてきたポイント単位のデータの大部分はチェックインサービスを通したものに限られるようになり、分析可能な空間単位は実質的にポイントから市区町村へと変化した。伊勢志摩地域を事例としてポイント単位のデータで観光行動分析を行った結果、伊勢市内の特定の地域間の行動と鳥羽市や志摩市との間の行動が確認された。伊勢志摩地域の場合、前者は2015年4月以降では詳細に分析することは難しいが、後者は今後も問題なく分析できるものと考えられる。位置情報の変更の結果、ポイント単位のデータは、全体を代表するものではなくなったため、今後の市内移動の分析においては、市区町村単位のデータも併用する必要があると判断された。
著者
荊木 美行
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.1-43, 2016-03

継体天皇朝に勃発した磐井の乱については、『古事記』『日本書紀』や『筑後国風土記』逸文に記述があるほか、『国造本紀』にもわずかながら記載されるなど、六世紀前半の事件としては関聯史料に恵まれている。とくに、『古事記』は、武烈天皇以下推古天皇に至るまでの部分は、政治的事件にふれた記述はほとんどない。そうしたなか、継体天皇段にみえる磐井の乱は異例の言及といってよい。小論は、これまでの研究の蓄積を踏まえながら、これら諸史料の相互の関聯性や信憑性について再考したものである。卑見によれば、この乱に関する史料としては、『古事記』の記録する内容が、本来の素朴な伝承としてもっとも信頼がおけると思う。『日本書紀』は乱の詳細を記録するが、その勃発を当時の調整半島情勢と結びつけて説明する点などに疑問が残る。また、風土記の記載は、磐井の墓とみられる岩戸山古墳に関する貴重な記録ではあるが、八世紀前半に採訪されたもので、そこにみえる伝承もどこまで二百年前の実情を伝えたものかは疑わしい点もある。ただ、こうした伝承は、風土記の撰者の創作などではなく、あくまで現地で採録されたものであろう。
著者
長谷川 明紀
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.186-158, 2017-03

醍醐寺蔵『諸経中陀羅尼集』の最初に掲載されている法華経陀羅尼と『法華経山家本』の法華経陀羅尼は、慈覚大師点本に由来するとされているので、両本における漢字加点が比較検討された。仮名、声点に加えて、ダッシュ(-) 印が醍醐寺本における加点に含まれる。このダッシュ印は、悉曇文字一字が漢字二文字を用いて音訳される場合、この漢字間に導入されていると結論された。 陀羅尼では、上声および去声の声点は、悉曇字に従ってそれぞれ短音および長音を識別する記号として代用されることが知られている。これら両本での声点を比較して、『法華経山家本』の声点の幾つかは時代の経過につれて変化しているものの、両本は慈覚大師を源流とする事を示す多くの共通した特徴をもつことが明らかにされた。 Since Lotus Sutra dhāran・īs in the first set of "A Collection of Dhāra n・īsin Sutras " stored in Daigo-ji Temple and contained in "The Hokekyo Sangebon " are believed to have their origins in a text of Jikaku Daishi(Ennin), the guiding notes added beside the kanji of the dhāran・īs were compared between these two texts.In addition to kana and accent marks, dash (-) marks are involved in the guiding notes in the Daigo-ji text. Each of the dash marks was concluded to be introduced between the two kanji into which a single original siddham・ script was transliterated.In dhāran・īs, the accent marks of jyosho (high pitch) and kyosho (rising pitch) are known to be substituted for the marks distinguishing between short and long sounds, respectively, according to the siddham・ scripts. The comparison of the accent marks between the two texts leads us to the conclusion that both texts have many common characteristics suggesting the origin from Jikaku Daishi, while some of the accent marks in "The Hokekyo Sangebon " were subject to alteration in the process of time.
著者
山本 智子
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.71-53, 2017-03

特別支援学校では,児童生徒の実態が個々に異なるため個別の指導計画が作成され指導が行われている。計画は「個別」であっても学習集団があり,その集団を生かしながら個別指導を充実させることが教師には要求されている。集団の中で育つことが学校で学ぶ価値である。しかし,その取り組みが十分であるとはいえない現状もある。ここでは普段行われている授業の中に見られた知的障害児に対する「難しいからいいよ」という教師の対応をネガティブな評価に基づくものと捉えた。そして、先達の授業研究の成果や教師をめざす学生の考えをもとにネガティブな評価の改善点を整理した。その結果,特別支援学校における教師の評価は,教師論や教育論とも関係し,授業づくりに影響することが示唆された。そこで、授業づくりのもとになる記録することとそれを整理することの習慣化についての必要性を提起した。 In Special Needs Schools, the content of instruction is designed on an individual basis because the kind and degree of disability varies from student to student. In order to meet individual needs, every student has a different teaching plan, however, they still learn together in groups. The teachers are required to enhance their individual instruction, taking advantage of the benefits of learning in groups. Group learning at school is extremely valuable since students are brought up in groups.Nevertheless, currently this approach leaves something to be desired. In this study, we consider that teachers'words to students with intellectual disabilities, such as "You don't have to work on this because it is too difficult for you,"which is a common expression in class, derive from negative evaluation. Taking into consideration the achievements of predecessors in their research and the opinions of students aiming to be teachers, we organized ideas to improve the negative evaluation. As aresult, it was revealed that in Special Needs Schools, teachers' evaluation is related to their theories about how teachers and education should be and this influences the design of the classes. Thus the importance of constant recording and arranging of records that are the basis for designing classes cannot be overemphasized.
著者
長谷川 明紀
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
no.55, pp.186-158, 2017-03

醍醐寺蔵『諸経中陀羅尼集』の最初に掲載されている法華経陀羅尼と『法華経山家本』の法華経陀羅尼は、慈覚大師点本に由来するとされているので、両本における漢字加点が比較検討された。仮名、声点に加えて、ダッシュ(-) 印が醍醐寺本における加点に含まれる。このダッシュ印は、悉曇文字一字が漢字二文字を用いて音訳される場合、この漢字間に導入されていると結論された。 陀羅尼では、上声および去声の声点は、悉曇字に従ってそれぞれ短音および長音を識別する記号として代用されることが知られている。これら両本での声点を比較して、『法華経山家本』の声点の幾つかは時代の経過につれて変化しているものの、両本は慈覚大師を源流とする事を示す多くの共通した特徴をもつことが明らかにされた。 Since Lotus Sutra dhāran・īs in the first set of "A Collection of Dhāra n・īsin Sutras " stored in Daigo-ji Temple and contained in "The Hokekyo Sangebon " are believed to have their origins in a text of Jikaku Daishi(Ennin), the guiding notes added beside the kanji of the dhāran・īs were compared between these two texts.In addition to kana and accent marks, dash (-) marks are involved in the guiding notes in the Daigo-ji text. Each of the dash marks was concluded to be introduced between the two kanji into which a single original siddham・ script was transliterated.In dhāran・īs, the accent marks of jyosho (high pitch) and kyosho (rising pitch) are known to be substituted for the marks distinguishing between short and long sounds, respectively, according to the siddham・ scripts. The comparison of the accent marks between the two texts leads us to the conclusion that both texts have many common characteristics suggesting the origin from Jikaku Daishi, while some of the accent marks in "The Hokekyo Sangebon " were subject to alteration in the process of time.
著者
川島 一晃 芳賀 康朗 望木 郁代
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.92-72, 2017-03

心理学を専攻することに決めた初学者がどのような学習上の課題を体験し、どのような学びを得ているかについての質的な検討はあまりなされてこなかった。本研究の目的は、学生が経験する学習上の課題とプロセス、そして取り組みから得られるメリットについて探索的に検討し、示唆を得ることであった。心理学を専攻している学生5 名を対象に、卒業研究に対する取り組みについて半構造化面接を実施した。修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)を用いて分析し、最終的に10 のカテゴリーと13 の概念が得られた。< 興味・関心> から出発した卒業研究の取り組みは、< 自分で調べる>作業を経て、< 第一のつまづき[知識不足]> を経験する。< 知識の整理の工夫> に勤めながら< 心理学概念につなげる> ことに成功すると進展するが、次に< 第二のつまづき[停滞]> を経験する。< 思考の整理の工夫> を繰り返し、自身のテーマと向き合う中で< 研究の方向性の定着> に至り、< 研究の楽しさの発見> を経験するという、学生の取り組みのプロセスモデルが得られた。 Qualitative consideration about challenges and outcomes on what kind of learning is given to beginners who have decided to major in psychology has not been examined enough. The purpose of the present study was to consider the merit and the challenges of the learning experiences, and the process of beginners’graduation study. Semi-structured interviews about the learning experience were conducted with five participants.That material was analyzed with a modified grounded theory approach (M-GTA), which resulted in 10 categories and 13 concepts. Beginners started to study from their “interests”, and “searched the materials”, but they experienced “their first failure [the lack of their knowledge].” The“Acquisition of knowledge” helps to “connect their interests to psychological constructs” which enables them to advance their studies.However“ the second failure[delay]” brings trials and errors to beginners to “settle the direction of the study.”Settling the direction enables beginners to discover “ the taste of their study.”
著者
荊木 美行
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.1-43, 2016-03

継体天皇朝に勃発した磐井の乱については、『古事記』『日本書紀』や『筑後国風土記』逸文に記述があるほか、『国造本紀』にもわずかながら記載されるなど、六世紀前半の事件としては関聯史料に恵まれている。とくに、『古事記』は、武烈天皇以下推古天皇に至るまでの部分は、政治的事件にふれた記述はほとんどない。そうしたなか、継体天皇段にみえる磐井の乱は異例の言及といってよい。小論は、これまでの研究の蓄積を踏まえながら、これら諸史料の相互の関聯性や信憑性について再考したものである。卑見によれば、この乱に関する史料としては、『古事記』の記録する内容が、本来の素朴な伝承としてもっとも信頼がおけると思う。『日本書紀』は乱の詳細を記録するが、その勃発を当時の調整半島情勢と結びつけて説明する点などに疑問が残る。また、風土記の記載は、磐井の墓とみられる岩戸山古墳に関する貴重な記録ではあるが、八世紀前半に採訪されたもので、そこにみえる伝承もどこまで二百年前の実情を伝えたものかは疑わしい点もある。ただ、こうした伝承は、風土記の撰者の創作などではなく、あくまで現地で採録されたものであろう。