- 著者
-
中牧 崇
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 地理学評論 (ISSN:13479555)
- 巻号頁・発行日
- vol.75, no.7, pp.492-507, 2002-06-01 (Released:2008-12-25)
- 参考文献数
- 13
- 被引用文献数
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3
4
本稿は,群馬県藤岡市高山地区(旧美九里村の一部)を事例として,交通の近代化の中で山村がどのように段階的に変容したかについて実証的に分析したものである.また,山村の形成主体で,かつ交通の利用主体としての住民をより具体的に取り上げるため,交通の近代化を交通体系の変化だけでなく,住民の交通利用形態の変化についても分析した.地形的障害の克服に着目した交通体系の変化では,住民は道路の建設や乗合バスの運行実現に主体的に関わるなど重要な役割を果たした.山村と都市との結合に着目した住民の交通利用形態の変化では,1960年代前半以降に住民の行動範囲は藤岡市の中心部へ次第に拡大したことにより,高山地区は近郊山村としての性格を強め始めたといえる.さらに,1960年代後半以降には住民の行動範囲が藤岡市の中心部を飛び越えて,高崎市や前橋市などの地方中心都市にも及んだ.これは通勤や買物での自家用車の利用,高等学校への通学での鉄道やバイクの利用が増加したためである.このような動きは都市からの影響に関係していることが指摘できる.