- 著者
-
佐々木 雄一
- 出版者
- 日本政治学会
- 雑誌
- 年報政治学 (ISSN:05494192)
- 巻号頁・発行日
- vol.70, no.1, pp.1_248-1_270, 2019 (Released:2020-06-21)
- 参考文献数
- 65
明治憲法下の日本政治は、首相や内閣の力が弱く、割拠的だったとされる。憲法に 「内閣」 の語はなく、国務大臣単独輔弼が原則であり、首相は十分な権限を持たず、内閣はしばしば閣内不一致で瓦解した。内閣の外には軍や枢密院などの機関が分立的に存在し、内閣による政治統合を妨げていた。こうした割拠性は、当初、元勲・元老が統合者の役割を担っていたために深刻な問題を生じさせなかったが、1930年代以降、本質的な欠陥を露呈した、という。 以上のような見方は大きく修正する必要があるというのが本稿の議論である。歴代内閣を通観すれば、明治憲法体制においても、首相の下で内閣が一体となって政治運営をおこなうのが常態だった。首相の他大臣に対する指導力が制度的に担保されず閣内不一致で内閣がしばしば瓦解したとか、元老が統合していたために円滑な政治運営がおこなわれたといった事実は存在しない。また、枢密院は内閣と並立するような機関ではなく、軍も元来は内閣の統制が及ばない存在ではなかった。 「割拠」 論は辻清明の戦時中の同時代的な問題意識に端を発し、長年通説として広く受け入れられているが、明治憲法体制の実態に関する具体的な分析と裏づけを欠いているのである。