著者
萩谷 昌己
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.59, no.9, pp.778-781, 2018-08-15

2018年6月の「第16回未来投資会議において示された大学入学共通テストに「情報I」の試験を入れる方針に賛同します」と題する本会の提言の意図に関して解説する.特に,この提言が決してIT産業のためだけではなくて,日本社会全体の発展を意図したものであることを述べる.そして,高等学校の情報科の現状について述べるとともに,大学入学共通テストに「情報I」を入れるためには,大学の多くの専門分野が情報科の素養を求める状況が不可欠であることを指摘する.最後に,一般情報教育および専門基礎教育の中の情報教育を体系化し,高校の情報科との連続性を明確にする必要性について説く.特に,応用情報学の体系化について述べる.
著者
嵯峨井 勝 ウィンシュイ ティンティン
出版者
一般社団法人日本衛生学会
雑誌
日本衛生学雑誌 (ISSN:00215082)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.220-229, 2015 (Released:2015-09-26)
参考文献数
47
被引用文献数
4 4

Traffic-related air pollution is a major contributor to urban air pollution. Diesel exhaust (DE) is its most important component of near-road and urban air pollutions and is commonly used as a surrogate model of air pollution in health effects studies. In particular, diesel exhaust particles (DEPs) and nanoparticles in DEPs are the components considered hazardous for health. It is widely known that exposure to DEPs is associated with mortality caused by respiratory and cardiovascular diseases. Recently, evidence has been accumulating showing that DEPs and nanoparticles may cause neurodegenerative disorders. Here, we introduce evidence suggesting their association with these disorders. The chemical components and the translocation of DEPs and nanoparticles to the brain are described in part 1. In part 2, we introduce the mechanism of development of neurodegenerative diseases such as stroke, Alzheimer’s disease, and Parkinson’s disease via oxidative stress and inflammatory events. Furthermore, there are many lines of epidemiological evidence showing that the particulates impair cognitive function and ability of memory through oxidative and inflammatory events in the brain. These lines of evidences are supported by many animal experiments on neurological disorders.
著者
小室 隆 山室 真澄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

日本全国のの平野部の湖沼では戦後の1950年代からの高度経済成長期を通じて、周辺田畑での除草剤使用や(山室ほか 2014)、人口増加や産業の近代化に伴いう、富栄養化がの進行しにより、湖沼水質や植生が劇的に変化をした。2003年には「自然再生推進法」が制定され、日本全国の湖沼においてもNPOや地方自治体によって自然再生活動が実施されている。しかしながら、それらの活動の多くは再生目標の時代設定や対象種の選定が、必ずしも科学的根拠に基づいて行われておらず、人々の主観的な考えに基づき実施されている例が散見されるいるとは言えない状況にある。即ち、本来ならば、湖沼環境が激変する高度経済成長期以前の状況を定量的に把握した上で、産・官・学の協働で再生目標などを設定すべきであるが、。しかし当時の状況が容易に再現できないことから、本来その水域に無かったり、環境悪化後に一時的に繁茂した植物が再生の名の下に植栽される例が散見される。必ずしもそのような状況ではない。 本研究では関東平野で最も水域面積が広く、自然再生アサザの保全・再生活動が行われている霞ヶ浦(西浦)を対象とした。霞ヶ浦は水域面積200km<sup>2</sup>、平均水深4mと浅く、富栄養化の進行した平野部湖沼である。霞ヶ浦も他の平野部湖沼と同様に戦後から高度経済成長期を通じて水生植物が激減した湖沼である(山室・淺枝 2007)。 浮葉植物(Floating-leaved plant)に分類されるのアサザ(<i>Nymphoides peltata</i>)の霞ヶ浦での植栽・保全活動による影響について加茂川・山室(2016)によりは、アサザ植栽を行った消波施設陸側では、底質の細粒化と有機物濃度と全粒化物硫化物の濃度の増加がを確認されておりし、環境への影響環境が悪化していると指摘しているが懸念される。本研究ではこのアサザの生育状況について、霞ヶ浦湖岸全域を対象に調査することで、植栽・保全事業による効果を検討することを目的とした。<br> 本研究では2010年と2015年の2度に渡り、霞ヶ浦湖岸全周を対象に踏査を行い、アサザが生育している地点を地図に落とし、写真撮影を行った。その際、生育している地点の座標、アサザの状態も同時に記録した。2度の調査でアサザの生育地点の変化傾向、そしてと繁茂面積を求めた。面積の計算にはArcGISを用い、踏査の際に撮影した写真から基準長(生育場所で距離がわかる対象物を同じ画角内に収まるように撮影し、Google Earthや地形図から長さを求めた求めた長さ)を求め算出し、アサザの繁茂面積を求める際にスケールとして用いた。この手法によりアサザ植栽による湖岸環境の変化を検討した。また、2009年に国土交通省関東地方整備局霞ヶ浦河川事務所が行ったアサザ分布調査結果を用い比較検討を行った。<br> 2015年にでは155地点でアサザの繁茂が確認された。植栽事業は右岸の鳩崎、古渡、中岸の石田、根田、左岸の永山の計5地点で行われた。これら植栽地のうちアサザを確認できたのは根田と永山の2地点分布は右岸2地点、中岸2地点、左岸11地点で左岸側に集中していた。2のみで、残りの13地点の大部分は自然に進入したと判断された。2015年に2009年から2015年にかけて4地点で生育は確認できず、それらはいずれも右岸側の鳩崎に集中していた。生息繁茂が確認された地点のはは舟溜りや波消堤消波堤の内側のなど、波や風の影響を受けない地点に集中していた。 &nbsp;<br> 霞ヶ浦では2000年に緊急対策として消波工が設置され、アサザの植栽・保護を行った。このことからも分かるように、アサザは本来、波が高い霞ヶ浦で広く分布できる植物ではなく、高度経済成長期以前に生息が確認された地点は全て入り江や湾の最奥部に限定されていた(西廣ほか 2001)。現在アサザが繁茂している場所が人工的に消波された場所や水路であることからも、アサザは霞ヶ浦本来の自然環境に適応した植物ではないと言える。緊急対策が行われた理由として、アサザは霞ヶ浦でしか種子生産できないとの主張があった。これは霞ヶ浦ではサンプル数が多く他では少なかったことが原因で、霞ヶ浦以外でも種子生産されていることが報告されていることからも(藤井ほか 2015)、霞ヶ浦で事業を行う科学的根拠は無かったと考えられる。 &nbsp; &nbsp;&nbsp;
著者
Shinji Suzuki Nobuo Tsurusaki Yoshinori Kodama
出版者
Arachnological Society of Japan
雑誌
Acta Arachnologica (ISSN:00015202)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.79-86, 2006 (Released:2007-04-10)
参考文献数
28
被引用文献数
2 2

We surveyed habitats of an endangered burrowing wolf spider Lycosa ishikariana (Saito 1934) along the San'in coast of Tottori and Shimane Prefectures, southwestern Honshu, Japan. The species was found from eight sites covering seven different beaches from Inasa Beach (Izumo City) in the east to Toda Beach (Masuda City) in the west in Shimane Prefecture for the first time. This extends the southwestern limit of the species' range ca. 160 km westward from the Yumigahama Beach of Tottori Prefecture, the present southernmost record. In the coast of Tottori Prefecture, the species was found from 17 sites that exceed known number of records in the area. The apparent increase of the number of habitats of the species in Tottori Prefecture is probably due to a shift of survey season from the mid summer to June when density of the burrows culminates by the recruit of newly hatched spiderlings. Simple logistic regression analyses suggested that presence/absence of the species is related to any of the sand grain sizes, sorting indices, areas, lengths and maximum widths of the sandy beaches, though a multiple logistic regression analysis revealed that beach areas and sand grain size were the most significant factors. According to the models obtained, requirements for the occurrence of species were estimated to be areas>0.0313 km2 (total length>985 m, width>60 m) of sandy beach, and sand grain diameter>0.33 mm.
著者
安倍 素子
出版者
学校法人 尚絅学園 尚絅学園研究紀要編集委員会
雑誌
尚絅大学研究紀要 A.人文・社会科学編 (ISSN:18816290)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.A1-A14, 2018-07-21

平安時代の作品『うつほ物語』には物語本文に「絵解」とよばれる本文が混在している。このため、この作品は絵と深い関係にあったとされる。江戸時代延宝五年(1677)、全巻に挿絵が入った版本が刊行された。この挿絵が、従来の「絵解」とよばれる本文の影響を受けて制作されたものかどうかを検討した。その結果、約4分の1の絵が「絵解」とよばれる本文に関係づけられた。「絵」の制作者が「絵解」に注目した可能性は高い。
著者
中西 久実子 村上 正行 上田 早苗
出版者
教育システム情報学会
雑誌
教育システム情報学会誌 (ISSN:13414135)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.61-70, 2018-07-27

<p>In 2008 and 2009, we practiced Cooperative Learning (CL) twice between learners of Japanese as a second language in Hong Kong and trainees to be a Japanese teacher in Kyoto by using SNS. The questionnaire after CL showed that 2008-CL was not fully activated in terms of 'social presence' and 'social support'. In 2009-CL, we improved the following points to get the students to feel social presence and social support; 1) corrections should be directly written in SNS, not in attached files, so that they are visible, 2) some of the functions of SNS are refined, 3) CL is performed in a group, not in pair, 4) corrections are given not only to a part of the learners' essays, but also to all parts, 5) instructors take the role of facilitators. Due to these improvements, 2009-CL became more activated than 2008-CL.</p>
著者
水野 幸一 仲島 麻里可 足利 光平 中野 恵美 松田 史郎 宮﨑 秀和 佐々木 俊雄 原田 智雄 明石 嘉浩
出版者
公益財団法人 日本心臓財団
雑誌
心臓 (ISSN:05864488)
巻号頁・発行日
vol.45, no.8, pp.972-979, 2013-08-15 (Released:2014-09-17)
参考文献数
13

近年,高齢化に伴い日本人の動脈硬化性疾患が増加してきたが,一方で発症年齢の若年化が問題となっている.特に急性心筋梗塞では,若年期での発症機序や冠危険因子の関与などは現時点で見解が一致していない.当院で2006年2月開院以後2011年1月までの5年間で急性心筋梗塞に対して緊急経皮的冠動脈インターベンション(percut­ aneous coronary intervention;PCI)を施行した218症例中の35歳以下の5症例の臨床的背景,冠危険因子,冠動脈病変背景および臨床経過を今回検討したので報告する.5例とも男性,喫煙者で,4例が夜間から早朝の土木作業や運転などの不規則勤労者であった.4例がBMI 25.0以上の肥満であり,冠危険因子では4例が高血圧,5例ともに脂質異常症があり,1例のみ糖尿病,家族歴があった.臨床的には5例ともに来院時Killip分類Ⅰ,冠動脈1枝病変で,緊急PCIを施行して早期に再灌流が得られ合併症なく退院した.その後5例とも再狭窄を生じず,心血管イベントの再発も認めていない.以上の共通点は,対極的な86歳以上の緊急PCI施行症例と比較することにより一層鮮明になった.今回経験した5症例は,当院の急性心筋梗塞で緊急PCIを施行した症例の3%未満と低頻度であったが,臨床的背景,冠危険因子などで多くの共通点が認められた.臨床経過では,5例とも短期的には予後良好であったが,長期的予後まで考慮すれば生活習慣の改善を中心に,冠危険因子のより厳格な管理が重要と考えられた.
著者
刀川眞
雑誌
情報処理学会研究報告情報システムと社会環境(IS)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.27(2006-IS-095), pp.59-62, 2006-03-16

サマータイム制の導入による情報システムへの影響について事前に検討すべきであるという問題提起を受け、研究会が中心となり予備的検討を行った。具体的には、サマータイムの開始と終了に応じて情報システムが認識するタイマを変更する場合と変更しない場合とに分け、航空機運行システムの影響や食品衛生法との関係など、幾つかの想定事象を抽出した。結論として、情報システムへの影響は多岐に渡ると考えられ、対応策を提示するには現場で生じる具体的事象をより多く収集しなければならないが、サマータイム制導入の動きは、それほど高まっているとは言いがたい。このため現時点で十分な情報を入手することは困難なため、社会的にサマータイム導入の機運が高まってきた時点で、再度、検討の継続を判断するものとした。
著者
山田 奨治
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.19, pp.15-34, 1999-06-30

オイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』は、日本文化論として広く読まれている。この論文では、ヘリゲルのテクストやその周辺資料を読み直し、再構成することによって、『弓と禅』の神話が創出されていった過程を整理した。はじめに弓術略史を示し、ヘリゲルが弓術を習った時点の弓術史上の位置づけを行った。ついでヘリゲルの師であった阿波研造の生涯を要約した。ヘリゲルが入門したのは、阿波が自身の神秘体験をもとに特異な思想を形成し始めた時期であった。阿波自身は禅の経験がなく、無条件に禅を肯定していたわけでもなかった。一方ヘリゲルは禅的なものを求めて来日し、禅の予備門として弓術を選んだ。続いて『弓と禅』の中で中心的かつ神秘的な二つのエピソードを選んで批判的検討を加えた。そこで明らかになったことは、阿波―ヘリゲル間の言語障壁の問題であった。『弓と禅』で語られている神秘的で難解なエピソードは、通訳が不在の時に起きているか、通訳の意図的な意訳を通してヘリゲルに理解されたものであったことが、通訳の証言などから裏付けられた。単なる偶然によって生じた事象や、通訳の過程で生じた意味のずれに、禅的なものを求めたいというヘリゲル個人の意志が働いたことにより、『弓と禅』の神話が生まれた。ヘリゲルとナチズムの関係、阿波―ヘリゲルの弓術思想が伝統的なものと錯覚されて、日本に逆輸入、伝播されていった過程を明らかにすることが今後の研究課題である。
著者
岡 寛 小山 洋子 中村 満行 松本 美富士 西岡 久寿樹
出版者
一般社団法人 日本臨床リウマチ学会
雑誌
臨床リウマチ (ISSN:09148760)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.45-50, 2014-03-30 (Released:2015-05-30)
参考文献数
18

線維筋痛症(Fibromyalgia:FM)は,全身に広範囲な痛みを主訴とする原因不明の疾患で,本邦に推定で200万人以上存在する.痛みの強さの評価は,従来Visual Analog Scale(VAS),Numeric Rating Scale(NRS)等によって行われてきたが,これらは主観的である.痛みを定量化できれば痛みの認知療法となり治療は格段に進化すると考えられる.昨今,痛みを定量的に評価できる痛み定量化システム(Pain Vision®)がニプロ社より実用化され,患者の持つ痛みを客観的に評価される事が可能になった. 我々はACR1990の分類基準を満たすFM患者83人の痛みを,現在のNRSとPain Vision®で測定し,比較検討した.その結果,Pain Vision®によるFM 患者の男性閾値は9.35±2.64μA(平均±SD),女性閾値は7.93±2.30μAであったが,FM の女性で閾値の低い集団が一定の割合存在した.Pain Vision®による痛み度は男性649.91±312.94,女性688.08±526.65,と男女ともに著明な高値を示し,FM 患者の痛み度は対照群の関節リウマチ(Rheumatoid arthritis:RA)患者の痛み度346.23±335.82より有意に高かった(P<0.0001).さらにFM 患者の女性では痛みの閾値が低く,疼痛知覚過敏との関連が示唆され,これに対して,RA患者では,閾値の低下はなかった.NRSの平均は,FM患者5.7±2.0とRA患者5.5±2.2では差がなかったが,FM患者ではNRSスコアが高いほど,痛み度が高い傾向が認められた(P=0.0177). Pain Vision®による痛み度の測定は,FM患者の痛みの病態を知るうえで,優れていると考えられる.
著者
森 良和
出版者
玉川大学教育学部
雑誌
論叢 : 玉川大学教育学部紀要 (ISSN:13483331)
巻号頁・発行日
pp.117-134, 2016

ウィリアム・アダムズ(三浦按針)の日本人妻の人物像については従来ほとんど踏み込んだ研究はなされていない。史料がごく限られるからである。しかし,これまでは特に吟味されることなく,夫人の出自と名前が「馬込勘解由の娘おゆき」とされることが多かった。本稿では主に当時来日していた西洋人の記録を検証しながら,これらについて改めて考察し,自身の見解を示していく。
著者
本岡 拓哉
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100305, 2014 (Released:2014-03-31)

第二次世界大戦の終戦直後からおよそ1970年代終わりまでの間、都市部の河川敷の中には居住の場として存在していたところも多かった。すなわち、戦災都市の河川敷にはセルフビルドのバラックが建ち並び、「不法占用/不法占拠」「スラム」というレッテルを受けながらも、河川敷は居住の場としての機能を有していたのである。とりわけ住宅差別を受けた在日コリアンなどの社会的周縁層、経済的社会的弱者たちもそうした河川敷に留まることとなったが、その一方で、都市部の河川敷は養豚業や廃品回収業などにも適した環境であったため、かれらはこうしたインフォーマルな労働によって賃金を獲得することも可能であった。しかし、戦災復興による都市化、さらには1964年の「新河川法」制定を契機に、河川敷の整備は進み、その景観は大きく変容し、河川敷居住は消滅していくことになった。本報告では、戦後期に最も大規模な形で河川敷居住が見られた熊本・白川(一級河川、流域面積480km²)を事例に取り上げ、戦後の「河川敷」居住に対する行政(熊本市、熊本県、建設省)の対応を辿り、1970年代までそれが存続した要因について明らかにする。
著者
加藤 宏幸 KATOU Hiroyuki
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
言語と文化
巻号頁・発行日
pp.199-212, 1993-03-20

サン・テグジュペリSaint-Expéry(1900-1944)のほとんどすべての作品にはその背景に砂漠が存在している.『星の王子さま』Le Petit Prince(1943)の24章で砂漠に不時着した飛行士は次のように述べている。「ぼくはいつも砂漠がすきだった。砂丘の上に座る。何も見えない。何も聞こえない。しかしながら,何かが沈黙の中で輝いている……」1)。サン・テグジュペリがどうして砂漠を一生涯愛し続けたのか,彼にとって砂漠はどのような意味を持っていたのかについて,彼の砂漠での実際の体験,彼の作品の背景として存在する砂漠を通して明らかにしたい。
著者
設楽 薫
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.96, no.7, pp.1142-1159,1255-, 1987-07-20 (Released:2017-11-29)

Historians specializing in Muromachi politics during the rein of the 10th shogun Ashikaga Yoshiki 足利義材 have thus far focused their attention on his banishment in 1493 (the Meio Incident), which resulted in the assumption of power by the Hosokawa family. Very little interest, however, has been shown toward the problem of Yoshiki's shogunal governance itself. By analyzing the characteristics and background of Yoshiki's direct judgments (gozen sata 御前沙汰), the author attempts to redress this imbalance and also to improve our understanding of the actual status of Yoshiki's reign. The shogun's direct judgments were usually recorded in the ukagaigoto kiroku 伺事記録, a record kept by the officials who screened matters for the shogun's approval. The record for 1490 and related documents illuminate the shifts in procedure and personnel affairs after the Onin War. The judgment process originally took place only in the presence of the shogun, but Yoshiki always received applications and transmitted his decisions through a rapporteur (moshitsugi 申次). Two reasons for this change can be adduced : (1)the new process provided an effective means of dealing with the increasing number of suits and applications, regardless of when the next shogunal audience was scheduled or what personnel were on duty ; and (2)the shogun's cloistered father, Yoshimi, exercised the real power within the administration, although he had himself never been shogun. The rapporteurs were selected from among those long-term confidents of Yoshimi and Yoshiki, such as HAMURO Mitsutada 葉室光忠, TANEMURA Gyobu 種村刑部 and ISSIKI Jibu 一色治部. Yoshimi and his son lacked confldent retainers within the court at the time of Yoshiki's succession, because Yoshimi had been the very leader of anti-shogun Western force during the Onin War (1467-1477). Yoshimi and Yoshiki therefore tended to place greater trust in their long-term confidents than in those who newly came into service at Yoshiki's court. As close retainers these rapporteurs were entrusted with supervising matters involving the shogun's direct judgment. The shogun's liege vassals can be divided into the three categories : (1)those who had served with him before the Onin War, that is, men who were not hereditary servants of the bakufu ; (2)those who came to serve under Yoshimi during the Onin War ; and (3)those who came into service after Yoshiki's succession. Most of the persons whose names came up in gozen sata documents represented categories (1) and (2). Shogunal confidence in them was 'high' but his reliance on them inevitably led to feelings of estrangement on the part of hereditary servants of the bakufu. This, in turn, hastened the decline of Yoshiki himself in the Meio Incident.
著者
坂西 友秀
出版者
埼玉大学教育学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教育学部 = Journal of Saitama University. Faculty of Education (ISSN:18815146)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.331-354, 2017

This study is the first half of a series of studies. One of the purposes of this paper is to overview the historical transition process of discrimination and prejudice about race / ethnicity. The second objective is to show that the essential cause of discrimination and prejudice is not being in biological differences and features but social and cultural creation. Therefore, the contents and aspects of discrimination and prejudiceare changing dramatically according to the times. The first part (I) briefly traced the realities of race and ethnic discrimination and prejudice based on the slavery system and historical facts of black liberation. The abolition of slavery in the United States was attained at the end of the hardship as a result of overcoming the “racial conflict” and social movement. Nonetheless, even in the 1950s, the actual state of black discrimination was prevalent in society. The development of the civil rights movement clearly showed that race, ethnic discrimination, prejudice exists strictly in society. Even now at the time of the 21st century, discrimination and prejudice remain in front of us as a serious problem. In the discussion, first, in Chapter 1, we clarified the history of overseas racial / ethnic discrimination and prejudice according to the following contents. 1 Ethnic discrimination and prejudice in the world, (1) Introduction, (2) Slavery and racial discrimination, (3) Modern race discrimination and apartheid, (4) Racial discrimination education under apartheid, (5) Black image, (6) Classification of race, (7) Race ninth actuality, (8) The origin of race is the same, (9) Differences in physical characteristics by race, (10) Symbolized “Black man” Sambo. “In the second chapter, we examined historically the problems of racial / ethnic discrimination and prejudice in Japan, in relation to the Pacific War / Defeat. The contents of the discussion are as follows. 2 Ethnic discrimination and prejudice in Japan, (1) Discrimination and prejudice as “inaccessible people”, (2) Forced entrainment of Koreans and discrimination and prejudice, (3) Opening and “Caucasian” and “Black” stereotype, (4) Social background of the birth of a “mixed-blooded child”, (5)Survey on actual condition of ‘Mixed child’, (6) Schooling and racial discrimination and prejudice of ‘mixed-blooded child’.