著者
丁吉之 寺田努 塚本昌彦
雑誌
マルチメディア、分散協調とモバイルシンポジウム2014論文集
巻号頁・発行日
vol.2014, pp.2-9, 2014-07-02

ウェアラブルコンピューティングシステムは様々な状況下での利用が考えられ,システムを取り巻く環境は頻繁に変化する.そのため,システムを利用しているユーザの行動,および周囲の環境と使用する情報提示デバイスの組合せによっては,ユーザの情報支援の認知に影響を及ぼす可能性がある.例えば,屋外でディスプレイを使用しているときに周囲が明るくなると表示が見づらくなるというように,ユーザの作業の妨げになったり,場合によってはユーザを危険に晒す恐れがある.そこで筆者らの研究グループでは,システム障害時にユーザが装着しているデバイス同士が直接データ通信を行うことで情報支援を継続し,システムの信頼性を確保する手法を提案してきた.本研究では,ウェアラブルコンピューティング環境の例として着ぐるみ装着者支援システムに提案手法を導入し,HMD,スピーカ,振動モータの3種類の情報提示デバイスを実装した.また,ユーザの行動,周囲環境と提示デバイスの組合せと情報提示の認知度との関係を調査した.
著者
王 成
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.117-145, 2004-12-27

本稿は漱石文学の読者層を解明するために、当時流行していた<修養>思想をめぐる研究の一環である。先行の漱石研究では、<修養>を無視したために、多くの問題が解明されていないのではなかろうかという疑問から始まって、近代における<修養>という言葉がいつ、どのように現れたか、<修養>という概念がいかに解釈されたか、<修養>をめぐる近代日本の言説空間がどのように形成されたか、という課題について、解明しようとしたものである。
著者
徳増 克己 トクマス カツミ Katsumi TOKUMASU
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.10, pp.179-188, 2010-03-31

以下に紹介するのは、20世紀前半のアゼルバイジャンを代表する民族運動の指導者マンメド・アミン・ラスルザーデ(1884-1955)の晩年の著作『あるトルコ民族主義者のスターリンと革命の回想』の冒頭部分の翻訳である。この回顧録は、もともと1954年にトルコの新聞《デュンヤ》紙に連載された。著者ラスルザーデは、20世紀の初めからロシア帝国内の産業都市バクーで政治活動に入り、その中で労働運動の組織化に携わっていたボリシェヴィキの活動家スターリンとも接触をもつようになった。彼はアゼルバイジャンのみならず、イランやオスマン帝国(とトルコ共和国)、さらにはヨーロッパでも幅広い活動に従事したが、今回はまず、スターリンとの出会いにいたるまでを扱った、回顧録の冒頭部分を訳出した。
著者
坪井 秀人
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:03877280)
巻号頁・発行日
no.27, pp.21-42, 2004-03-01

The difference in sex between the author, the narrator, and the characters and their interconnection (the difference in sex of the reader could be included as well) is a fascinating topic, but one that is difficult to pursue. In an attempt to offer an approach this subject, this presentation will look at Dazai Osamu’s female monologue novels. Dazai, from the start of his creative career, devoted himself to meta-fiction and similar narrative styles, but from the 1930s to the 40s during the Asian-Pacific War, he focused on writing novels narrated by women. “Joseito” and the post-war work “Shayo” are supposed to be taking “quotes” from the already existing diaries of women, but these “quotes” are almost indistinguishable from “theft”. Rather than simply looking at similarities in expression as “theft”, I would like to focus on what kind of moral problems arise from a male author borrowing (stealing) the voice of a female narrator and the differences that arise due to differences in expression. The special period relevance and connectedness between the war and post-war periods, and if possible comparisons with Uno Chiyo and other female writers of narrative works at that time, will also be looked at.
著者
十河 太朗 Taro Sogo
出版者
同志社法學會
雑誌
同志社法學 = The Doshisha Hogaku (The Doshisha law review) (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.72, no.4, pp.1341-1360, 2020-10-31

故竹中勲教授追悼号 II
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要
巻号頁・発行日
no.49, pp.49-89, 2017-07

日本に於いては、同じ様な場所に於いて繰り返されて来た、殆んど周期的な地震の発生に依り、人的、物的にも多大な被害を被って来たのである。人々(当該地震に関わる被災者達)は、そうした大規模な震災の記憶を、文字情報としては勿論のこと、それ以外の非文字認知的手法―説話・伝承・地名・宗教施設・石造物・信仰等、としても残し、子孫への警鐘・警告、又、日常生活上の戒めとして来たのである。それは、日本社会で大多数の人々(為政者層、被支配者層の人々)に依って、或る事柄の記録が、文語資料として残される様になるのは、近世に入って以降のことであったからである。これは、寺子屋・郷学・私塾・藩校・藩学等に見られる教育機関の普及や、社会の安定、貨幣経済の成熟、農業振興等の理由に依る。それ以前の段階に於いては、文字を使用した形式での情報共有は困難であったのである。本稿では、そうした視角に立脚し、地震鎮めの効果を期待して実施されていた、「要石(かなめいし)信仰」に焦点を当てつつ、その太平洋沿岸諸地域と、日本海沿岸諸地域間での残存状況を比較、検討しながら、その差異の検証、分析や、その背景、経緯等に就いて考察を加えたものである。