- ホーム
- 文献詳細
言及状況
外部データベース (DOI)
Yahoo!知恵袋 (2 users, 2 posts)
渋沢栄一の著した『徳川慶喜公伝』に
「天下を取る程気骨の折るゝ事はなく。骨折るゝ故にいやと申すには候はねども、天下を取りて仕損ぜんよりは、天下を取らざる方大に勝るべし。父君御登營の節、若し聞き及ばるゝ度あれば、必ず制止し給はるべし。」
と実父の徳川斉昭に向けて自身は将軍になりたくないので諮問があれば推薦しないでくれるよう頼んだ手紙を書いた旨が記されています。
また、一橋家中でも
「吾が器量には過ぎ ...
渋沢栄一の著した「徳川慶喜公伝」には、以下のように書かれています。(コマ番号71/286)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953146/62?tocOpened=1
「八郎麿(初の名は昭融、字は子令、信山と號す)は、武蔵河越の藩主松平誠丸典則の養嗣となり、大和守直候と名乗りしが・・・」
この本には、徳川慶喜の兄弟の字と号もすべて書かれていますね。
はてなブックマーク (1 users, 1 posts)
Wikipedia (3 pages, 12 posts, 4 contributors)
収集済み URL リスト