y_yanai (@8714423)

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@jnngt これはお恥ずかしい…ご指摘ありがとうございます。こちらですね(p.18) ↓ "なお、天皇、皇太子、皇太孫という名称は、特に男子を意味するものではなく、歴史的にも、女子が、天皇や皇太子となった事実が認められるため、女子の場合も同一の名称を用いることが適当である" https://t.co/nKyHXBQt7K
後で読む 原広司、「実現されつつある「ユニヴァーシティ広場」としての駒場Ⅱキャンパス」、『生産研究』2009年61巻3号、pp.202-205 https://t.co/vxwiyYopcX
→引用元は下記文献のp.765 注60。 藤原直子「わが国の学校における職員室および校長室の成立とその機能」、『日本建築学会計画系論文集』77(674)、pp.759-766、日本建築学会、2012年4月 https://t.co/LoCJ7c4sQl
隈さんに対しては、忙しくて短時間しか見てくれなかったよね、と謝辞を装った文句をちらつかせる不遜な学生であった。 CiNii 博士論文 - 建築情報学試論 : 情報空間としての建築・都市の設計に関する一考察 https://t.co/zziiDCDeAY
僕が院生の頃は身の回りにハラディアン(原シンパ)な友達が多かったので、その時にちょっと流行ったハラペディアに、何かあるとすぐに戻る習性が今でもある。 「原広司--Encyclopedia over Hiroshi Hara」『建築文化 』1982年9月号, pp.35-168 https://t.co/EgqFJ1tAIN
@walkitaki なるほど、藤岡先生の業績リスト見ても、「天守」「城郭」が主で、「天守閣」とタイトルに付いてるのは初期の数件だから、先生ご自身も後には使ってないようだ。 平井聖「藤岡通夫先生の想い出」『建築史学』13巻(1989)、pp.132-143. https://t.co/eeVnldvSW0
藤岡先生は天守閣で工学博士 > RT 藤岡通夫「天主閣建築の研究」(東京工業大学博士論文、1949) - CiNii 博士論文 https://t.co/7EIxevYpUV
社会学者の鋭い指摘には色々と刺さるものがあるけど、建築家の作家性批判やさらには建築家不要論のための理論的根拠に、社会学的言説が安易に動員されるのもまた違う。社会決定論に陥らない形での「建築の社会学」を、北田先生は『建築雑誌』で説いた。 https://t.co/6amhN3Vg5a #隈研吾最終連続講義
「ひとつの建物を修復するとは,それを維持するとか,修繕するとか,再建するとかいうことではなくて,かつてある特定の時点に実在したことがなかったかも知れない,ひとつの完全な状態にその建物を確固と置きなおすことである」 ヴィオレ・ル・デュクの修復理論について https://t.co/IxnszqMYuo
「看板建築」の命名は藤森照信による、というのが通説になっているが、「看板建築の概念について」(1975)で藤森が註記している通り、堀勇良の発案による。藤森・堀の会話の中で堀が提案した呼称を用いて、藤森が日本建築学会で初めて学術的な論に組み立て発表したのが実情。 https://t.co/woqUK4x8RB
@ryuji_fujimura 人類学者による災害研究の例としては、トルコの都市計画について、ラトゥールに言及しつつ論じたものがこれです。/木村周平「地震・建物・社会のネットワーク--イスタンブル都市改造計画についての人類学的考察」https://t.co/SXFXnQ5HZ3
@ryuji_fujimura 人類学者による災害研究の例としては、トルコの都市計画について、ラトゥールに言及しつつ論じたものがこれです。/木村周平「地震・建物・社会のネットワーク--イスタンブル都市改造計画についての人類学的考察」https://t.co/SXFXnQ5HZ3
CiNiiで隈研吾情報を調べようとして、試しに「隅研吾」で検索したら、何件かヒットしたので苦笑している。/CiNii 論文 - Interview 負ける芸--隅研吾 http://t.co/lWf8OjnewH
「新しさは要素そのものにあるのではなく、要素がつくる集合あるいは部分集合の集合にあるとされる。いいかえれば、要素の組合わせ方に新しさがあると考えられる。この視点を明快に示したのは、レヴィ・ストロースである」 http://t.co/9DPHzbQnB0
「建築 architecture 閉じた空間に孔をうがつ行為」 http://t.co/9DPHzbQnB0
「私たちにとって意味あることは、未来のための1枚の建築や都市のスケッチを描くことだ」 http://t.co/WPFsy1EJhX
「ユダヤ人が追われた先が、アウシュヴィッツの均質な空間だった。…このアウシュヴィッツの空間が、近代合理主義の計画性の到達点であったことは、その後の歴史がもの語っている。」 http://t.co/9DPHzbQnB0
原ペディアを久しぶりにチェックしてみる。面白い。/原広司--Encyclopedia over Hiroshi Hara<特集> http://t.co/9DPHzbQnB0
@kengo_sato 社会にとって何も役に立たない領分を選んだ人の言葉だけあって、一周回ってたどり着いた意見なんだろうなという感じがある。/藤森照信「何もできません」(特集 建築史は社会に何ができるのか?) http://t.co/VFTnBry
「過去を生き生きと生きる」とはあのこと。/藤森照信「何もできません」(特集 建築史は社会に何ができるのか?) http://t.co/VFTnBry
こういう論文があった。→「フランスのバカロレア試験における評価観 : 問題作成と 採点に関する議論の歴史的検討を通じて」 http://t.co/fqmH5qS9b5
@kurakata 遠のく彼らを想像力で蘇らせるしかありませんね。亡くなった偉人とも対話できるなんて「死んだ世界を仮にでも蘇らせる」歴史の醍醐味ですね。死者蘇生型建築史。 http://t.co/VFTnBry
院試直後に読んだ藤森先生の文章が、今の僕のスタート地点。あれから4年が経とうとしている。/藤森照信「何もできません」(特集 建築史は社会に何ができるのか?) http://t.co/VFTnBry
『建築雑誌』掲載の「戦後日本建築写真年表」がPDFで公開されました。資料価値の高いものを目指し、気合いを入れて作成しましたのでどうぞご活用ください! http://t.co/U6dLRFg
@403architecture 建築のデリバリー http://t.co/4UkxBJL

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先日公開された日仏哲学会の機関紙『フランス哲学・思想研究』第28号に拙論「前期デリダの現象学受容におけるフーコーの位置付け -『言葉と物』と『グラマトロジーについて』におけるエピステーメー概念に着目して」が掲載されています。どうぞよろしくお願い致します。https://t.co/nZtgueSReG
建築家を社会学的な研究対象として位置付けるために : 建築家隈研吾の言説と作品をめぐって https://t.co/kOfNSsqdol これは松村さんの2012年の論文。続編を加筆して、英語論文にしていただきたいな。
クリアに整理されていて、分かりやすい! 相原健志 「人類学の存在論的転回における概念創造という方法の条件と問題 」 https://t.co/BgF4YoMYxs
Read: 血液型と性格の無関連性――日本と米国の大規模社会調査を用いた実証的論拠―― https://t.co/21ExQpNvfF
さすがにものすごいな QT @crosse: こんな感じだったわ/国立大学最古の寮、昭和レトロな京都大学「吉田寮」 http://t.co/xX7K2lxQ そういえば僕も西澤先生が嬉しそうにこの論文を発表されるのを目撃したことがある http://t.co/8kKNiTqU。

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