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RT @sasakitoshinao: GHQのロバート・モージャーが終戦直後に撮影した304枚の写真アルバムはこちら。見飽きない。/国立国会図書館デジタルコレクション - モージャー氏撮影写真資料 https://t.co/81uf7TeSkO https://t.co/0z…
RT @hakkutuNDLDC: 国会図書館デジタルコレクション 栄養料理の作り方 : 健康増進・美味・経済 図書 栄養と料理の会 編 (国民図書協会, 1940) 目次:六、 節米料理と代用食 https://t.co/Ow1UEar8qN
@hayakawa2600 加藤寛治らは精神主義を振りかざして反対するばかりだったが、プラオ使用をはじめ北海道農法は開拓農業実験場での導入が好成績を収め、「改良農法」として普及が進んでいく。論文「満州開拓と北海道農法」https://t.co/n4d9emI7n8も入っています。
@hayakawa2600 ハクサイは帝国農会販売斡旋の主要品目で出荷協定(戦後の「産地リレー」の先取り)https://t.co/p8uH6hCcIFも結ばれた。宮城県の「仙台白菜」、静岡県の「浜名白菜」という二大産地の競争を回避し、生産出荷調整により価格維持を図るものだった。
@hayakawa2600 ハクサイは帝国農会販売斡旋の主要品目で出荷協定(戦後の「産地リレー」の先取り)https://t.co/p8uH6hCcIFも結ばれた。宮城県の「仙台白菜」、静岡県の「浜名白菜」という二大産地の競争を回避し、生産出荷調整により価格維持を図るものだった。
農事実行組合設立の過程が八雲における地主制の後退, 自作・自小作の一定の前進と並行しており,一面では地主⇔小作という二極的な階層構成から一つの連続的な構成へ,他面では農場単位の農民間の結合が地緑的なものへと変化する過程だった。https://t.co/13TkQJsM5e
大正10年に宮尾舜治が北海道庁長官に就任し、①デンマークを範とする有畜農業奨励が,堆肥増産,輪作と合わせた地力回復のための方策として強力に指導され始めた②農事指導ルートが町村農会による農事実行組合設立をテコとして展開され始めた。https://t.co/13TkQJsM5e
男爵薯の原名はアイリッシュ, コブラーでその日本への導入は七飯村の川田龍吉男爵であり,その名前の由来もそこにある。但し,大正期全く無名の一品種にすぎなかったこれを発掘しスターの座まで押し上げたのは八雲農業である。https://t.co/13TkQJsM5e
都市における青果物の需要は,大正12年には中央卸売市場法の成立にまで 問題化していく。 系統農会は道府県農会連合を中心に大正7年から主要都市に販売斡旋所を設置し出荷組合の設立助成に努め,都市への農産物供給体制の組織化を行っている。https://t.co/13TkQJsM5e
青果物は腐敗性が強いため農業倉庫や金融などの産業組合のメリットが発揮できず,また販売が季節的であるため, 戦前段階では系統農会の販売斡旋事業と結びつく任意の出荷組合が主体だった。https://t.co/13TkQJsM5e
植民地米喪失分が 戦後に外米・小麦・大麦輸入に振り替えられ、さらに外米分が小麦に振り替えられたという見方ができる。したがって1955年頃までの食糧の対外依存の度合いは、戦前からあまり変わっていない。https://t.co/ZQxzFrnUG9
植民地米喪失分が 戦後に外米・小麦・大麦輸入に振り替えられ、さらに外米分が小麦に振り替えられたという見方ができる。したがって1955年頃までの食糧の対外依存の度合いは、戦前からあまり変わっていない。https://t.co/ZQxzFrnUG9
戦後食糧危機への対処として、当初日本政府は朝鮮からの米供給(=戦前への回帰 )を追求するが実現しなかった。実現したのは米国、カナダ、豪州からの小麦・大麦輸入および東南アジアその他多数国からの外米輸入だった。https://t.co/ZQxzFrnUG9
戦後食糧危機への対処として、当初日本政府は朝鮮からの米供給(=戦前への回帰 )を追求するが実現しなかった。実現したのは米国、カナダ、豪州からの小麦・大麦輸入および東南アジアその他多数国からの外米輸入だった。https://t.co/ZQxzFrnUG9
明治から大正中期にかけて米プラス麦・雑穀という食の構成が、米中心に変わり、麦類・雑穀の消費量は減少した。米消費の伸びはそこで止まり、昭和戦前期には減少に向かう。動物性蛋白質をはじめとする副食が増加したと考えられる。https://t.co/ZQxzFrnUG9
明治から大正中期にかけて米プラス麦・雑穀という食の構成が、米中心に変わり、麦類・雑穀の消費量は減少した。米消費の伸びはそこで止まり、昭和戦前期には減少に向かう。動物性蛋白質をはじめとする副食が増加したと考えられる。https://t.co/ZQxzFrnUG9
その後北海道に於てはこれらの事業の基礎のかたまるにつれて、農家建物更生、自動車、役職員生命、澱粉、農家建物新築、輸送の各種共済を加えたのであった。…昭和26年1月全国共済農業協同組合連合会の発足をみた。https://t.co/9VMtr4eK0g
昭和戦前期をとっても、 岡山県南部では小作人が第三者対抗力を明確に確立していたのに対し、 岩手県の一部には未だ名子制度という伝統的な小作慣行が支配していた。https://t.co/V8pmWhBXZ6
昭和戦前期をとっても、 岡山県南部では小作人が第三者対抗力を明確に確立していたのに対し、 岩手県の一部には未だ名子制度という伝統的な小作慣行が支配していた。https://t.co/V8pmWhBXZ6
農民的小土地所有を特徴とする土地制度では,土地所有者は戦前から圧倒 的多数で、所有も経営も零細であり、慢性的な「土地飢餓」状況による 貸し手市場構造も維持され、耕作権は不安定とならざるを得なかった。https://t.co/V8pmWhBXZ6
農民的小土地所有を特徴とする土地制度では,土地所有者は戦前から圧倒 的多数で、所有も経営も零細であり、慢性的な「土地飢餓」状況による 貸し手市場構造も維持され、耕作権は不安定とならざるを得なかった。https://t.co/V8pmWhBXZ6
戦前の農村では,大半の地主は耕作者=耕作地主であり,大半の耕作者土地所有者=自作農・自小作農。純粋の小作農は3割に満たず,その多くが兼業所得に依存する農村の雑業層。地主対耕作者,所有権対用益権という関係も教科書の様には通用しない。https://t.co/V8pmWhBXZ6
戦前の農村では,大半の地主は耕作者=耕作地主であり,大半の耕作者土地所有者=自作農・自小作農。純粋の小作農は3割に満たず,その多くが兼業所得に依存する農村の雑業層。地主対耕作者,所有権対用益権という関係も教科書の様には通用しない。https://t.co/V8pmWhBXZ6
元来我々人類の生活上其栄養として一日八〇匁(匁=3.75g)~一〇〇匁位の蔬菜がなければならぬことは能く分り切ったことであれば、之れを標準とせねばならぬのに本年(昭和18)当りの蔬菜欠乏期にありては一日の給量二〇匁にも達せぬと云ふ有様https://t.co/FZTXMinZsA
県に対して又政府に向って進言せる処ありしも何等用ゆる処がなかった。然るに一,二年後に於て再び蔬菜の増産計画を立てゝその作物の割当を行ふなど実に笑止の沙汰と云はねばならぬ。https://t.co/FZTXMinZsA ◇果樹・花卉など「不用不急」作物を伐採整理する統制を痛烈に批判
昭和一六年の乾魃に際し蔬菜の数量が半数以下に減少し輸送機関の不円滑なりし為め都市には蔬菜の出廻り全く杜絶し蔬菜の大飢饉を来たせる為政府に於ても蔬菜増産の計画を立てるの止むなきに至ったは余りに見通ふしの付かざるに驚かざるを得ぬ。https://t.co/FZTXMinZsA
昭和五、六年頃は一般農産物の販売価格著しく下落し農業経営上少なからざる支障を来たせるも、園芸作物を栽培せるものは比較的打撃少なく不況を乗り切ることが出来た。園芸農家の経済一般良好で得意時代と云ふべく、園芸の全盛期と云ふても不可なかりしhttps://t.co/FZTXMinZsA
系統農会の販売斡旋事業が本格化するのは、第1次大戦後の物価問題から大都市への農産物供給拡大が社会的要請となって以降。大都市での販売斡旋所開設を核に、地域での集出荷体制を産業組合に先行して組織化した。1929年には帝国農会にー元化した。https://t.co/zMNuWR6ZrD
系統農会の販売斡旋事業が本格化するのは、第1次大戦後の物価問題から大都市への農産物供給拡大が社会的要請となって以降。大都市での販売斡旋所開設を核に、地域での集出荷体制を産業組合に先行して組織化した。1929年には帝国農会にー元化した。https://t.co/zMNuWR6ZrD
戦時中の果樹園整理は、戦後の主産地の変遷に少なからぬ影響を与えた。 戦前の蜜柑名産地大阪がその地位から転落し、梨の名産地静岡が戦後その地位を鳥取に取って代わられた。戦時農地作付統制は無視できるものではなかった。https://t.co/0lXaf0Etjf
戦時中の果樹園整理は、戦後の主産地の変遷に少なからぬ影響を与えた。 戦前の蜜柑名産地大阪がその地位から転落し、梨の名産地静岡が戦後その地位を鳥取に取って代わられた。戦時農地作付統制は無視できるものではなかった。https://t.co/0lXaf0Etjf
米穀生産奨励金交付規則(1941年12月5日公布)https://t.co/LMbkKhjb1I

1 0 0 0 OA 官報

<官報・昭和15年10月24日>米穀管理規則 https://t.co/dLjFSrTFpp https://t.co/33ZCKRTzgD
日満農政研究会で研究されたのは,日満双方における食糧需給と適正規模,そして農業技術(農法)等である。戦時下における労働力不足と食糧増産という矛盾克服のため,農法の高度化と適正規模化による労働生産性の高い自立経営の創設が問題にされた。https://t.co/n4d9emI7n8
抑々産業組合法の発布に至りたる所以は…中産以下の小資本家の為にーの信用団体を組織せしめ,中産以上の大資本家と同様なる経済上の自由活動を為さしむるに在り。■平田東助「産業組合法要義」https://t.co/h2R1WeahbX
農業恐慌で農産物価格の惨落が続いた。米価(暦年平均,1石あたり)は昭和6(1931)年がどん底で18.47円と最悪の水準に落ち込み(11月は17.42円),生産費(6年は23.07円,7年は21.83円)を償えない低米価水準が続いた。https://t.co/8PL5H6sAks
農業恐慌で農産物価格の惨落が続いた。米価(暦年平均,1石あたり)は昭和6(1931)年がどん底で18.47円と最悪の水準に落ち込み(11月は17.42円),生産費(6年は23.07円,7年は21.83円)を償えない低米価水準が続いた。https://t.co/8PL5H6sAks
RT @agrinews_watch: 戦後農協の直接の母体は、戦時中の1943年に農業団体法によって産業組合と帝国農会が統合された「農業会」だ。 帝国農会編「系統農会役職員名簿」(1932)http://t.co/RO9y6KOAhVに組織図、 帝国農会が代表機関▽監査機関▽…
RT @houchandes: 飛んだり跳ねたりのない農民体操の紹介記事が10/6の日本農業新聞に。高齢化社会に役立つかも。軽快なリズムの音源もユーチューブにあった。 https://t.co/sp5hOR30aA https://t.co/o6MRFnvAQA http://…
東日本大震災で改修中の九段会館に隣接する「昭和館」は、橋本龍太郎厚相が99年頃に発案した展示施設。日本遺族会が厚労省の委託を受け運営する。黄ばんだ小冊子、帝国農会「米穀配給統制指針」(昭15)を閲覧した。近デジhttp://t.co/4op1kpYWjZでは伝わらない香りと存在感
昭和19年12月、神奈川県食糧営団が『決戦食生活工夫集』出版https://t.co/WKxv2dwVwW 近デジ→http://t.co/kn3yiUO39F
RT @sakagan: そういえば、村嶋英治先生が「タイにおける華僑・華人間題」(2002)を書かれていた。 PDF https://t.co/6FH1s3Qaeu
RT @ktgis: 町田市を含む多摩郡全域が、明治前半まで神奈川県だったことはあまり知られていない。神奈川県管内界図(明治21年) http://t.co/Yt7E04wIDh http://t.co/8C8e99DFkN
RT @hayakawa2600: 浄土宗総本山知恩院が、盧溝橋事件勃発後に「支那大陸民衆の宣撫教化」に着手し、「朔北蒙古民族」へのアプローチとしてラマ僧を留学生として招いていた。その報告書が国立国会図書館で公開されている。『喇嘛留学生訓育状况報告第一回』(昭和14年)http…
RT @Aciculo: 複雑な生活環の菌:ナシの赤星病菌 初夏にナシの葉上で蜜を出してアリに受精させた後に夏胞子の赤星病を起こし、冬は針葉樹のビャクシン上で生育して冬胞子を作る。なんとも複雑な生活環。 http://t.co/7xxkc9SLe2 #珍菌 http://t.c…
東亜協同組合協会要覧(昭和18)http://t.co/ZKZcR3pls5 [会員]日本 中央農業会(道府県農業会と全国農業経済会を構成員)、農林中央金庫、全国農業経済会、全国農業団体監査連合会など/満洲国 興農合作社中央会、商工金融合作社、満洲国消費組合など◇全国消費組合協会
戦後農協の直接の母体は、戦時中の1943年に農業団体法によって産業組合と帝国農会が統合された「農業会」だ。 帝国農会編「系統農会役職員名簿」(1932)http://t.co/RO9y6KOAhVに組織図、 帝国農会が代表機関▽監査機関▽意思機関のピラミッドの頂点をなしている。
『家の光』の紙面改良-梅山一郎の編集態度を中心に(2011) 河内聡子・東北大大学院https://t.co/x9bOjVQfLm 地域差の克服/「地域性」と「一般性」と/賀川豊彦『乳と蜜の流るる郷』の連載/平易な表現の実現-「家の光用語」の成立
レコード描写劇『五・一五事件血涙の法廷』/昭和維新行進曲 海軍・陸軍の歌 栗島狭衣 [等]編 アサヒ蓄音器商会 昭和8.10<国立国会図書館>http://t.co/CKyUkK9LwV
※味噌業界シェア①マルコメ22%②ハナマルキ**11%③ひかり味噌8%④マルサンアイ6%⑤宮坂醸造4%。市場規模1004億円<日刊経済通信社12年2月> **量産味噌は、大豆は輸入北米産、麹米はタイや米国からの輸入米で加工用米の特定米穀http://t.co/LHcBckEiVy
RT @hayano: ↓早野・足立論文 の現物.オープンアクセス,誰でも読めます(この論文もUNSCEARのレポートに間に合った)→ http://t.co/BJsT1faugQ

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★「さとうきびが栽培される南西諸島などの離島は、中国等との国境付近にあり、さとうきび関連産業が衰退した場合の島の無人化を、安全保障と結びつけようとする議論も」本田伸彰『砂糖をめぐる状況―TPPの影響を中心に―』(pdf)12年7月10日http://t.co/pxouydog

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