著者
上西 勝也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.87, no.5, pp.400-413, 2014-09-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
33

本稿は明治初期に英国から導入された水準測量について導入過程を述べ,現地で水準点の残存調査を行い,さらに英国の水準点の実態調査により,形状の差異を確認したものである.当時の水準点は日本では内務省により設置され「几号高低標」と呼ばれ,主として構築物の垂直面に「不」の文字の形が刻されたものであった.これらの几号高低標は一部残存しており,東京,東北地方をはじめ154ヵ所で確認することができた.そのうち東京中心部を例にとると43ヵ所が残存しているが,もとは166ヵ所の設置が推定され,残存状況がよくない.一方,几号高低標と同等の英国測量局のカットマークと呼ばれる水準点については約50ヵ所の調査を行ったが,日英の形状を比較すると英国の方が多様である.英国は設置数も多く,構築物の残存状況にも大きな差がある.日本の近代化に貢献した測量に用いられた几号高低標の保存は急がれる課題である.
著者
上西 勝也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.8, pp.660-670, 2008-11-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
24
被引用文献数
2 1

江戸末期に幕府と各国間で締結された修好通商条約には外国人の行動範囲を原則40kmに規制した項目があり「外国人遊歩規程」といわれている. 横浜居留地の場合, 西端の制限地点は酒匂川としていたが明治初期に外交団側からの要請により正確な測量に基づき再設定すべく当時の内務省による実測量が施行された. その結果, 当初規制した範囲が妥当であったことが判明し見直しは不要となった. この実測量の成果と現地に残存する測量標石を発掘調査することにより実測量が当時, 東京からはじまり西へ延伸した三角測量の一段階であるとともに日本の測量技術向上に寄与したことを確認した.
著者
上西 勝也
出版者
日本測地学会
雑誌
測地学会誌 (ISSN:00380830)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.95-102, 2009 (Released:2012-01-31)
参考文献数
22
被引用文献数
1

Full-dressed geodetic survey in Japan was carried out after late 19th century. A few monuments of the survey facilities in the fields are still remained. Some survey markers, observation tables, memorials were placed by former organizations, Ministry of Interior, Earthquake Investigation Committee, and Geodetic Committee of Japan. This paper shows historical review of old geodetic survey activities and their monuments in the fields. The author would expect these historical monuments to be conserved.