著者
与那覇 恵子 Yonaha Keiko 名桜大学国際学群
出版者
名桜大学
雑誌
名桜大学紀要 (ISSN:18824412)
巻号頁・発行日
no.19, pp.31-42, 2014

1945年6月牛島司令官の自決により沖縄戦は終結へと向かい, 戦争で疲弊した米軍占領下の沖縄で早くも7月下旬には, 英語が必修として初等学校 (小学校) で教えられ始めた。しかしながら,米軍政府の命によって始まったこの必修の小学校英語教育は, 1953年に7年間の短い歴史を閉じる。 「必修の小学校英語教育はなぜ継続されなかったのか?」このリサーチ・クエスチョンに筆者は5つの要因を挙げる。 ①教科書不足 ②沖縄側の教員不足と質の低下 ③米軍政府の英語教育者不足 ④英語国語政策への沖縄人の反対 ⑤米国の対沖縄政策の変化である。 本論の構成として1章において, 米軍政府による小学校設立の目的と小学校教育の状況, 英語の教育課程という諸点から必修の小学校英語教育の開始から終焉までの大まかな流れを掴む。 2章から, その必修の小学校英語教育が継続しなかった5つの要因のそれぞれについて各節を設け述べており, 3章は結論である。米軍占領下の沖縄における小学校の必修英語教育の短い歴史は, 言語教育と政治の関係・占領者と被占領者の関係を象徴するものである。本論は「必修の小学校英語教育はなぜ継続されなかったのか?」の疑問に答えを提供するだけでなく, それらの関係を浮き彫りにするという観点からも意義深いものであると考える。Just after the end of the Pacific War, as early as July, 1945, English became a compulsory subject in elementary schools in war-ravaged Okinawa. However, compulsory English education ended in 1953, with a short span of seven years. "Why was compulsory elementary school English education Discontinued? The author presents five factors: ① shortage of teaching materials; ② shortage of teachers; ③ shortage of educators in the U.S. military government; ④ Okinawa's opposition to the U.S. language policy; and ⑤ a change in the U.S. policy towards Okinawa. This paper consists of three chapters. The first chapter explains the aim of elementary school education, its situation and content, and the curriculum of English. In the second chapter, each of the five factors which led to the failure of compulsory elementary school English education is explained. The third chapter is for the conclusion. This paper attempts to make a meaningful contribution in explaining the era en-compassing compulsory English education in elementary schools and the interacting forces of language education and the relationship between the occupier and the occupied.
著者
与那覇 恵子
出版者
名桜大学
雑誌
名桜大学紀要 (ISSN:18824412)
巻号頁・発行日
no.21, pp.29-40, 2016-03

米軍初期占領下の沖縄において,壊滅状態となった沖縄の政治経済,教育文化の復興に携わった米軍政府の米軍将校,兵士がいる。彼らは海軍のエリートであり知識人であり,「軍政要員」として訓練された人々であった。「軍政要員はどのようなキャリアや考えをもち,初期占領下の沖縄においてどのような役割を果たしたのか」が本論のリサーチ・クエスチョンである。その問いに答えるため,軍政要員の中でも特に名前が知られているハンナとワトキンスに焦点を当て,彼らの人物像,考え方,沖縄における活動について沖縄側,米軍側両者の資料を基に調査した。高学歴の研究者である彼らは占領地となる地域の歴史文化をよく理解していた。その任務は住民と共に戦後の地域復興に従事し,占領環境を整備するというものであった。彼らの活動は沖縄の初期占領が基地の島沖縄としての本格占領に続く環境を整備するという米軍にとっての役割を果たした。しかし,地域住民と共に戦後復興を助けるという役割をも果たした彼らは,その人柄,考え方,沖縄への理解など,軍人的視点よりも文化人的視点をもち,初期占領下沖縄の指導者にとってアメリカの良心的存在であった。
著者
鈴木 智之 与那覇 恵子 塩月 亮子 加藤 宏 松島 浄 加藤 宏 武山 梅乗 松下 優一 ヴィクトリア ヤング
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究では、戦後沖縄における「文学表象」と「文化的実践の場」の構造に関する社会学的分析を行うことを課題としてきた。沖縄において「文学」は、政治的状況の強い規定力と、文化的・言語的な固有性に影響されながら、「弱い自律性」を特徴とする文化的実践の場を形成している。地域に固有の制度的布置の中で、文学は、この地域の歴史現実を表象する重要な媒体でありつづけている。本研究では、戦後沖縄を代表する何人かの作家たちについて、社会的状況と文学的実践を結ぶ、その多面的な媒介の論理を明らかにすることができた。