- 著者
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中條 暁仁
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
- 巻号頁・発行日
- pp.78, 2021 (Released:2021-03-29)
近年,過疎山村では残存人口の少子高齢化が顕著に進み,中には高齢人口すらも減少に転じる地域が現れるなど,本格的な人口減少社会に突入している。こうした中にあって,地域社会とともにあり続けた寺院が消滅していくとする指摘がなされている。村落における寺院は集落コミュニティが管理主体となる神社とは異なり,住職とその家族(寺族)が居住し相続する。そして,檀家家族の葬祭儀礼や日常生活のケアに対応することを通じて地域住民に向き合ってきた。いわば寺院は家族の結節点として機能してきたが,現代の山村家族は他出子(別居子)を輩出して空間的に分散居住し,成員相互の関係性に変化を生じさせているため,これに対応せざるを得なくなっている。こうした寺院のすがたは山村家族の変化を反映するものであり,寺院研究を通じて山村社会の特質に迫ることができると考えられる。 ところで,既存の地理学研究では,寺院にとどまらず神社も含めて村落社会に所在する宗教施設は変化しない存在として扱われてきた感が否めない。すなわち,寺社をとりまく地域社会が変化しているにも関わらず,旧態依然とした存在として認識されている。その背景には,伝統的な村落社会に対する理解を目指す研究が多かったこと,現代村落を対象とするにしても研究者が得る寺社に関する情報がかなり限定されたものであることなどから,固定的なイメージで語られる場合が多かったと思われる。 こうした問題意識をふまえると,地域社会の変貌が著しい過疎山村を対象として寺院の実態を明らかにする意義が見いだされる。本発表では,存続の岐路に位置づけられる無居住寺院に注目し,無居住化の実態とその対応の限界を報告する。 報告者は過疎地域における寺院をとらえる枠組みを,住職の存在形態に基づいて時系列に4つの段階に区分して仮説的に提起している。住職の有無が,寺檀関係や宗務行政における寺院の存続を決定づけているためである。第 Ⅰ段階は専任の住職がいながらも,檀家が実質的に減少していく段階である。第Ⅱ段階は檀家の減少が次第に進み,やがて専任住職が代務(兼務)住職となり,住職や寺族が不常住化する段階である。第Ⅲ段階は,代務住職が高齢化等により当該寺院の法務を担えなくなるなどして実質的に無住職化に陥ったり,代務住職が死去後も後任住職が補充されなくなったりして無住職となる段階である。そして,第Ⅳ段階は無住職の状態が長らく続き,境内や堂宇も荒廃して廃寺化する段階である。 このうち,本報告が対象とする山梨県早川町は,第Ⅱ段階にある寺院が多数を占める地域となっており,第Ⅲ段階を経ずして第Ⅳ段階に至るケースもみられるなど,問題は深刻化している。 本報告で対象とする山梨県早川町には日蓮宗25ヶ寺をはじめ,真言宗1ヶ寺,臨済宗1ヶ寺,曹洞宗5ヶ寺の合計32ヶ寺が所在するが,そのうち住職が実質的に在住しているのは日蓮宗の4ヶ寺にとどまる。日蓮宗寺院を調査したところ,1950年代に寺院の無居住化が始まっており,その数を増やしながら現在に至っている。いわば寺院の無居住化が常態化した地域といえる。時空間的遷移をみると北部の奥地集落から無居住化が始まっており,集落の過疎化に伴って進行していることが明らかである。近年は中心集落の寺院においても無居住化しており,住職の後継者が得られなかったことが直接的な要因となっている。 近年増加する無居住寺院をめぐっては,その管理が問題となっている。山梨県早川町では,多くの寺院で儀礼や信仰の空間としての機能を維持するために,代務住職や近隣檀家が境内を管理していた。中には,堂宇の間取りを公民館として改装し,高齢者の「たまり場」,住民による集会の場としての機能を持たせている事例があった。一方で,堂宇の老朽化によって損傷が進み,少数の檀家による復旧が困難に陥っている寺院では,檀家の同意を得て代務住職が廃寺を決断していた。ひとたび自然災害や獣害によって堂宇が損傷すると,廃寺に至るケースもある。 本発表で取り上げた無居住寺院に対しては,今後,存続か廃寺かのいずれかの方向性が想定される。前者の場合は,所属宗派の信仰空間としての機能を維持すべきか,あるいは地域社会の共有空間とすべきかという方向性も検討課題となってくる。後者については,地域社会に開放された「サード・プレイス」としての対応が想定されるし,前者については「少数社会」の構築に関する議論が参考になる。少数の現地在住の住職で,広範に分布する無居住寺院を管理するシステムの構築が求められる。