著者
伊敷 吾郎 西村 淳 花田 政範 百武 慶文
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.70, no.6, pp.436-440, 2015-06

ブラックホールが熱力学的性質をもつ,という話をご存じだろうか.例えば,ブラックホールに対してエントロピーを定義することができ,実際ブラックホールの合体などの過程において,そのエントロピーが増大することは,古くから知られている.また,ブラックホールの周辺で粒子と反粒子が対生成するような量子効果を考えると,いわゆるホーキング輻射をとおして,ブラックホールが少しずつエネルギーを放出していることがわかる.この性質をもとに温度を定義することもできる.通常,熱力学的に振る舞う系は,非常に多くの力学的自由度からなっており,その系を巨視的に見ることによって初めて熱力学的性質が現れる.ではブラックホールの場合,その力学的自由度は何なのか.そもそも,アインシュタイン方程式の解として導かれるブラックホールが,どうしてエントロピーをもつのか.その起源は何なのか.この問いに答えるには,ブラックホールの内部構造を理解する必要がある.しかしブラックホールの中心には特異点が存在するため,重力の古典論である一般相対性理論では答えることができない.それ故この問題は,一般相対性理論を超えた重力の量子論的定式化の言わば試金石として,現在に至るまで盛んに議論されてきた.超弦理論は,重力を含む4つの基本的な相互作用と物質粒子を統一的に,量子論的に記述する理論である.しかし,従来の超弦理論は摂動論的に定式化されたものにすぎず,ブラックホールの熱力学的性質を理解するのは困難に見えた.ところが1990年代に入って状況は一変する.超弦理論におけるソリトン解が発見され,それがブラックホールを表すことがわかったからだ.特に1997年,Maldacenaはこのような考えを発展させて,ブラックホールの内部構造を超対称ゲージ理論で記述できると主張した.この超対称ゲージ理論は,ソリトン解のまわりの超弦の励起に対する有効理論として導かれる.また,この超対称ゲージ理論が定義される時空は平坦であり,ブラックホールが存在する時空よりも低い次元をもつ.このためMaldacenaの主張は,ブラックホールなどをホログラムのように記述できるとするホログラフィック原理を具体的に実現するものとも見なせる.この考え方を応用して,様々なゲージ理論の強結合領域における性質を,ブラックホール的な時空における古典論的計算から明らかにする研究も精力的に行われている.Maldacenaのもともとの主張を検証するには,超対称ゲージ理論の強結合領域での解析が必要となるため,一般には非常に難しい.これまでに得られている証拠の多くは,高い対称性や可解性のおかげで解析的な計算が可能な場合に限られていた.しかし,より一般的な場合に対して第一原理に基づく検証を行うには,超対称ゲージ理論の数値シミュレーションが最も直接的な方法であり,2007年頃からそうした研究が発展してきた.特に最近の研究では,これまでほとんど手がかりがなかった,ブラックホールが小さく,その地平面付近でも重力の量子論的な効果が無視できない場合について検証がなされた.
著者
伊敷 吾郎
出版者
大阪大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

本研究の目的は、この世界に存在する四つの力(重力・電磁気力・強い力・弱い力)を記述できるようた理論(統一理論)を構成することにある。超弦理論は統一理論の候補として期待されているが、その構成は非常に困難であることが分かっている。そこで、AdS/CFT対応という関係が注目されている。この関係は、超弦理論が超対称性を持ったゲージ理論によって記述される、という予想である。この対応が正しければ、ゲージ理論を用いて超弦理論を理解することができる。本研究ではこれまで、この対応を示すために、N=4SYM理論というゲージ理論をある行列模型のラージN極限として定式化した。この行列模型による記述を用いることで、強結合領域(相互作用が非常に強いような領域)においても物理量を計算することができると期待される。原理的には、このような領域での計算結果を、超弦理論側の計算結果と比較することで、AdS/CFT対応の成否を確かめることができるのである。私は、強結合領域の解析に向けて、この方法の有効性をいくつかの側面からチェックした。まずウィルソンループや場の相関関数などの期待値が、行列模型から正しく計算されることを示した。また、有限温度領域で、弱結合極限で知られていたSYMの相転移を行列模型を用いて再導出することができた。今後、この行列模型によるゲージ理論の定式化を用いて、様々な物理量を計算することを計画している。例えば、超弦理論で見られるブラックホールの相転移が、ゲージ理論側の計算で確認されるかどうかを確かめたい。