著者
伊藤 智樹
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.88-103, 2000-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
33
被引用文献数
2

本稿は, セルフヘルプ・グループにおいて個人の物語が果たす機能的意味を探る.そのために本稿は, まず従来のセルフヘルプ・グループ研究が持つひとつの問題点を探り出すことから出発する.それらの先行研究は, セルフヘルプ・グループが, 他では実現困難な効果を参加者たちにもたらすだけの固有性を持つと考えながらも, その本質的な部分を知識の伝達や情緒的効果として大雑把に片付けてしまっている.近年, 物語という観点をとることで, グループへの参加者の発話行為に即した分析が行われるようになってはきているが, 検討の結果, それらの先行研究も実は十分な知見を提供できていないことが明らかになる.本稿は, このような先行研究の検討を通じて, セルフヘルプ・グループに関していまだ中途半端にしか答えられていない問題を明確にし, そのことを通じてセルフヘルプ・グループ研究が進むべき有意義な方向を提示する.
著者
伊藤 智樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.52-68, 2010-06-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
23

本稿は,パーキンソン病のセルフヘルプ・グループへのナラティヴ・アプローチの試みである.パーキンソン病の生き難さは,ふたつの層に分けて理解できる.ひとつは,振るえやすくみ足といった身体的な症状が,しばしば病いをもつ人に相互行為上の無能力を自覚させ,「恥ずべきこと」と感じさせる生き難さである.もうひとつは,「回復の物語」(A. Frank)が自分には適合しないことを前提にせざるをえないにもかかわらず,それに代わって頼りにできる物語が容易には得られない生き難さである.薬物療法と外科療法は身体症状をある程度コントロールする手段として発達してきているが,それらに過度の望みをかけることには弊害もある.したがって,人々にとっては,それらの療法を頼みとしつつも,一方では冷静に距離をとるための,いわばよりどころとなる物語が必要となる.セルフヘルプ・グループでのフィールドワークから,そうした情況を生きるためのものとして「リハビリ」の物語と,病いを笑う語りとをピックアップできる.これらは,ふたつの層の生き難さに対して,それぞれの仕方で緩和するようにはたらき,病いを生きるための貴重な資源となる.しかし,それと同時に,これらの物語/語りは,それぞれ見逃せない弱みを抱え込んでいるため,それらが「語られるべきである」というように倫理性を込めることには慎重になる必要がある.
著者
伊藤 智樹
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.121-136,183, 2012-02-29 (Released:2015-05-13)
参考文献数
16

In his social theory, Arthur W. Frank explained that the body is often consideredproblematic in terms of its “functionality” (or “system”). However, considering itproblematic in terms of “actions” is more in line with a phenomenological approach,rather than a functional approach. The concept of the “communicative body”, in particular, is applicable to the case ofmany sick people who wish to communicate with others face-to-face: both verbally andnon-verbally. I observed communication in a few self-help groups. However, Frank, whoonly argued that the telling of “quest stories” is an ethical practice of the “communicativebody”, did not clarify the ambivalence between various illness narratives and the body. I observed as a group individuals suffering from Parkinson’s disease who wished tobe rehabilitated, and prepared a short ethnography of their group. In the participants’communication, their language as well as their bodies constructed their illnessnarratives, which were characterized by hard-working protagonists or their handicappedbodies. However, the relationship between an illness narrative and the body is notsimple. On the one hand, their bodies sustain their illness narratives that give them hope;on the other, their condition deteriorates and they feel that they are “getting worse”. The “body” is a very important element in the study of illness narratives; it sustains orhinders the construction of the narratives. Therefore, the “communicative body” is notan “idealized” one. The concept is applicable while observing the relationship betweenvarious illness narratives and the body, and considering how the body develops and failsin its style of usage when it suffers from a debilitating illness.