著者
内藤 可夫
出版者
河原学園 人間環境大学
雑誌
人間と環境 電子版 (ISSN:21858373)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.33-44, 2015-03-31 (Released:2018-04-23)

ニーチェは自我概念を批判し、これがそれ自身としての存在者の概念の誤った起源であると洞察した。それは自我概念の解体を意味している。和辻によって人の間の存在として定義された人間は、ニーチェのこの主張を前提にしたものと言える。自我概念はさらに他者の概念に基づけられる。それは発達や脳機能についての検証から言えることである。またこの他者の認知においては自己同一性や普遍性、統一性が認められる。それこそが西洋形而上学の存在概念の基礎的条件である。他者概念はしかし実在に対応するものでなく、有用性を持つ認識機能に過ぎない。ここにニーチェによるプラトニズムに対する徹底的な批判が完結するのということができるだろう。
著者
内藤可夫
出版者
河原学園 人間環境大学
雑誌
人間と環境 (ISSN:21858365)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.41-54, 2015-12-30 (Released:2018-04-23)

20 世紀最大の発見とも言われるミラーニューロンについて、その哲学的意味の解明の努力はほとんど行われていない。だが、存在概念や自我の否定という現代哲学の文脈から考えるならば、その重大な意義は明らかである。他者は人間にとってアプリオリだと言える。また、自我は他者の写しであり、存在概念も他者概念から派生すると考えるのが自然である。今後「概念」の概念自体もこの機能を手掛かりに考えられるようになるだろう。また、鉤状束の機能から、それらの持つ意味は畏れであると予想する事ができる。
著者
内藤 可夫
出版者
人間環境大学
雑誌
人間環境論集 (ISSN:13473395)
巻号頁・発行日
no.8, pp.1-13, 2009

『悲劇の誕生』の刊行直後に書かれている『ギリシアの悲劇時代における哲学』には、後にニーチェ独自の思想の中心ともなった「生成」を説くヘラクレイトスが解釈されている。ニーチェは解釈に際して「人格」の理解を求めており、一方、哲学体系自体は中心的なテーマになっていない。ハイデッガーによるこの解釈に対する批判は元初の思索に誤解を与えた点にある。だが、それにもかかわらず、ニーチェの古代ギリシアへの思索に意義があるのは、異文化のもっとも深い認識に達した人間の理解への試みを通じて、彼自身が、自分自身の内に全体的なものへと関わる仕方(人格のあり方)を見出そうとした点にある。ニーチェにとっての人格とは、理性と生の全体との関係のあり方のことを意味しているのである。
著者
内藤可夫
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 (ISSN:21858365)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.41-54, 2015-12-30

20 世紀最大の発見とも言われるミラーニューロンについて、その哲学的意味の解明の努力はほとんど行われていない。だが、存在概念や自我の否定という現代哲学の文脈から考えるならば、その重大な意義は明らかである。他者は人間にとってアプリオリだと言える。また、自我は他者の写しであり、存在概念も他者概念から派生すると考えるのが自然である。今後「概念」の概念自体もこの機能を手掛かりに考えられるようになるだろう。また、鉤状束の機能から、それらの持つ意味は畏れであると予想する事ができる。
著者
内藤 可夫
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 電子版 (ISSN:21858373)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-11, 2012-11-30

哲学は伝統的に自我の概念を議論の出発点にしてきた。ニーチェはこれを批判し、霊魂への信仰がすべての存在概念の起源としての自我概念となったとしている。つまり、自我概念は形而上学の由来であり、存在概念の由来なのである。論理学や数学もまた不変の存在者の実在の仮定によって存在論的な意味を持ち、諸学における有効性を得ている。ニーチェが形而上学の由来と考えた自我は、さらに人間の倫理的な思考を由来としている。他者の概念がそれである。自我は他者から、つまり、倫理から由来したのである。そして、自我こそが人間存在の特殊性の根拠であるとしたならば、その根本は他者の把握・他者に対する態度の変容によって変わってくる。つまり倫理的態度(人格)が存在を変えるということになる。他者(人間以外を含む)に対する態度、倫理、人格の多様性は、「存在」の多様性の可能性、世界の開かれ方の多様性を帰結するのである。