著者
西村 貴裕
出版者
人間環境大学
雑誌
人間環境論集 (ISSN:13473395)
巻号頁・発行日
no.5, pp.55-69, 2006

1933年の政権獲得後、ナチス・ドイツは次々と動物保護、自然保護に関する立法を実現していった。本稿はそれらの法律、すなわち「動物の屠殺に関する法律」、「動物保護法」、「帝国森林荒廃防止法」、「森林の種に関する法律」、「帝国自然保護法」といった法律の成立過程、内容を分析する。「動物の屠殺に関する法律」、「森林の種に関する法律」がナチスの病理を表現するものである一方、「動物保護法」、「帝国自然保護法」は、当時の水準からすれば極めて進歩的な法律であった。これらの立法過程には帝国森林監督官たるヘルマン・ゲーリングが深く関与した。彼の意図は、動物・自然保護を促進させることよりも、むしろ広範な社会層の支持を取り込むことにあった。こうした立法事例は、動物保護・自然保護と全体主義思想との関連、自然思想と全体主義思想との親和性について再検討する必要があることを、我々に教えている。
著者
佐野 亘
出版者
人間環境大学
雑誌
人間環境論集 (ISSN:13473395)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.35-53, 2006-03-31

人類絶滅が真剣な学問的議論の対象となることは少ないが、環境問題が深刻化している昨今、その規範的意味について検討することが必要である。本稿では、人類絶滅を許容ないし肯定する議論をいくつか紹介し、それぞれについて簡単な検討をくわえる。人類絶滅を許容・肯定する議論は、次の三つに分類することができる。一つ目は、人類以外にも価値を有する存在があるとする議論である。本稿では特に環境(自然・生態系・地球など)それ自体に、人類と同等の(あるいはそれ以上の)価値を認めるディープ・エコロジーの議論をとりあげる。二つ目は、人類にとっては、単なる存続以上に重要な価値が存在するとする議論である。本稿では、人類の体験する悲惨は人類の存続以上に重視されるべきとする議論と、人間性を失ったならば人類が存続する価値はないとする議論を紹介する。最後に三つ目は、人類の存続は価値的に中立であって、よいとも悪いともいえないとする議論である。本稿では、個人にしか価値を認めないリベラリズム的個人主義の議論と、人類も遅かれ早かれ絶滅するのだからいつ絶滅してもよいとするニヒリズムの議論をとりあげる。以上の検討を通じて、われわれは、人間性や人間存在の独自性について考究する必要があることが確認できた。
著者
内藤 可夫
出版者
人間環境大学
雑誌
人間環境論集 (ISSN:13473395)
巻号頁・発行日
no.8, pp.1-13, 2009

『悲劇の誕生』の刊行直後に書かれている『ギリシアの悲劇時代における哲学』には、後にニーチェ独自の思想の中心ともなった「生成」を説くヘラクレイトスが解釈されている。ニーチェは解釈に際して「人格」の理解を求めており、一方、哲学体系自体は中心的なテーマになっていない。ハイデッガーによるこの解釈に対する批判は元初の思索に誤解を与えた点にある。だが、それにもかかわらず、ニーチェの古代ギリシアへの思索に意義があるのは、異文化のもっとも深い認識に達した人間の理解への試みを通じて、彼自身が、自分自身の内に全体的なものへと関わる仕方(人格のあり方)を見出そうとした点にある。ニーチェにとっての人格とは、理性と生の全体との関係のあり方のことを意味しているのである。
著者
倉田 亮
出版者
人間環境大学
雑誌
人間環境論集 = Human environments study monographs (ISSN:13473395)
巻号頁・発行日
no.1, pp.27-61, 2001-07-31
著者
鞍田 崇
出版者
人間環境大学
雑誌
人間環境論集 (ISSN:13473395)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.71-77, 2006-03-31

人間が生存するとは、つねにすでに種々のモノと関わりゆくことを意味しているといえよう。ところが、現代社会においては、久しく、この極めて当たり前であるはずのあり方が歪められたままである。その原因としては、さしあたり科学技術の無際限な拡張に依拠した経済活動が考えられるが、問題の根本的解決のためには、さらに議論を徹底し、現代社会の背景に存するニヒリズムの克服が試みられねばならない。ハイデガーは、まさにこうした文脈でニヒリズムの問題を根源的に検討した。そこからは、一つの帰結として、人間の側の作為を離れたあり方が要せられる。だが、現実問題として顧みた場合、われわれが自らの作為性を離脱することは不可能である。その点をふまえ、柳宗悦の民芸理論に、現代社会においてあるべきモノとの関わりの手がかりを求める。