著者
山下 博司
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

本研究は、インドの近代を準備するに当たってのヨーロッパ宣教師の貢献について、彼らの「文化適応(インカルチュレーション)」という行為・方法を通じて浮き彫りにしようとする試みである。考察の中心に、南インドで展開したイエズス会のマドゥライ・ミッションを据え、彼らがヒンドゥー教の支配的な環境の中でどのように宣教活動を繰り広げたのかを、現地語(タミル語)による創作活動・翻訳活動に焦点を当てて検証しようとするものである。ヨーロッパ人宣教師たちのインド近代文学の生成に果たした役割を吟味することで、具体的側面からキリスト教ミッションの近代史における役割を再考しようとしたものである。研究対象は、エンリケ・エンリケス、ロベルト・デ・ノビリ、コンスタンツォ・ジュゼッペ・ベスキに絞り、彼らの文学作品を収集し、読解して分析することで、文献に即して実証的に跡づけるという方法を採った。また、インドにおける現地調査を行った成果も、本研究の中には活かされている。特に、積極的な文学活動を展開し、南インドの印刷・出版の黎明に大きな貢献を為したデンマーク・ミッション(ルター派)の根拠地であったタミルナードゥのトランキバールでの取材、およびC・J・ベスキが長年にわたって宣教活動を行い、中世末期キリスト教文学の代表作である『テーンバーヴァニ』を著した場所・イェーラークリッチでの取材は、本研究成果報告書にも纏められ、有機的関連のもとに数編の論文の一つを構成している。これらに加え、現代アジアにおけるキリスト教、特にカトリシズムの問題をめぐって、「宗教多元社会」、「グローバリゼーション」、「異宗教間対話」の観点を踏まえて報告した<現状調査広告>の2編収録している。
著者
山下 博司 古坂 紘一
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.163-173, 1989-12

Murukan-Subrahmanya,God parexcellence of the Tamils,has been plausibly believed to be a son of Siva and Uma-Parvati and also to be the younger brother of elephant-headed Ganesa-Ganapati.There is another belief,on the other hand,that Murukan is the son of Korravai,the ancient Dravidian goddess of war and victory.How can such a twofold parentage of Lord Murukan be historically explained?When did such conventional relationship centered around this adolescent god come to be known?And,does his relationship with other deities represent any essential nature of God Murukan?In this paper,to find a clue to these questions,we will closely examine the so-called Cankam classics,the literary corpus written in ancient Tamil,so that we may catch a glimpse of extra-Sanskritic or,more particularly,Dravidian notions of the sacred which presumably gave profound influences on the formation and the development of the religious ideas and institutions of the Southern Hindu cultures.今日南インド・タミル地方(ナードウ)の民衆の間で絶大な人気と信仰を集める童子神ムルガン(スブラマニヤ)には,その出生に関して一定の神話的説明が施され,一般にも広く信じられている。この神の誕生にまつわる纏まった記述は,タミル語の古典として知られるサンガム文献の後期の諸作品中に初めて現れるが,そこに見出される説話のプロットは,北方インドの軍神スカンダ(クマーラ,カールッティケーヤ)の出生譚の言わば一つのヴァリエーションとも呼ぶべきものであって,ムルガンの誕生説話が,南インド・ドラヴィダ世界に固有の文化的・宗教的伝統に根差したものというより,寧ろサンスクリット系のエピックやプラーナの甚大な影響のもとに形成されたものであることを強く示唆している。同様のことは,ムルガン神の家族関係をめぐる神話的説明に関しても確認することができる。例えば,ムルガンとガネーシャ(ガナパティ)は兄弟をなし,共にシヴァ神の息子と信じられているが,シヴァの息子としてのガネーシャの初出は遅く,サンガム文献中では全く言及を受けない。ムルガンとシヴァ=パールヴァティー,或いはコットラヴァイ女神との親子関係についても,後期に成立した一部の作品を除いて,サンガム文献にはそれを支持する積極的な証拠が欠如している。これらの事実は,ムルガン神の出生と家族関係をめぐる神話や一般の信仰が,概して,タミル地方が北方インドからの絶え間ない文化的影響を吸収・同化する過程で,数世紀にわたって徐々に成立・定着を見たものであることを暗示している。
著者
山下 博司
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.17, pp.372-342, 1998-02-27

私の論文(『日本研究』第十三集所収)に対する大野晋氏の反論は、氏の単純な誤解に端を発する問題点を多く含むのみならず、読者が容易にミスリードされ兼ねない書き方が敢えて為されている。
著者
山下 博司
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.529-552, 2010-09-30

インドの急速な経済発展に伴いインド人の国外進出もきわめて活発である。興味深いのは、外国に頭脳流出するような先端的なインド人科学者・技術者であっても、その多くが、自らの宗教(特にヒンドゥー教)への敬意と信仰を失わないことである。ヒンドゥー教の儀礼や司祭を外国に招致することも多くなっている。縁組みに当たってのホロスコープへの信頼も依然として高い。インテリの間では現代科学の知見とインド哲学・ヒンドゥー思想の精髄は矛盾しないとの確信も強い。本稿では、こうしたヒンドゥー教徒としての確固たる自信・自負を抱かせる契機の一つとなったに相違ないインド近代における伝統思想の再編の問題を、重要な役割を果たし後世への影響力も大きいスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの思想と運動を中心に考察する。
著者
山下 博司
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.372-342, 1998-02-27

私の論文(『日本研究』第十三集所収)に対する大野晋氏の反論は、氏の単純な誤解に端を発する問題点を多く含むのみならず、読者が容易にミスリードされ兼ねない書き方が敢えて為されている。
著者
鈴木 道男 山下 博司 藤田 恭子 佐藤 雪野
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

ディアスポラ存続の条件として、構成員によるアイデンティティーの共有がある。しかし、他文化の中に暮らす人々にとって、アイデンティティーの再確認がなくては、「故国」、「民族」は意識から遠のく。それが同化のプロセスの一面であるが、マイノリティにとってその結束の拠所である「故国」、「民族」、「歴史」は彼らが不動のものとして捉えている規範通りのものではない。むしろ、これらのビジョンは常に変容し、それをもとに自らの立場を絶えず確認することで、彼らは継続的に結束を保っている。すなわち、永続的なデイアスポラとして存在するマイノリティには、その個々人の意識の有無は別として、結束の紐帯を再確認させ、たえず強化するする機構が必ず存在する。かかる共通認識の下、ディアスポラの維持・確認、あるいは創出の装置としての文学の諸相をとらえた。山下は、本来ディアスポラたちが形成した国家と目されているシンガポールにおいて、他国に住まうシンガポール人に対して、あらためてシンガポール系ディアスポラというまとまりを付与しようとする政府の政策と文学の位置づけを論じた。佐藤はドイツ語で書くチェコ人女流作家レンカ・レイネロヴァーに焦点を当て、主観性を伴う自伝や語りも、一つの時代を知る重要な資・史料であるとする立場から、ドイツ系チェコ人ディアスポラの激動の20世紀をたどろうとした。藤田は多文化の平和的共生が機能し、ドイツ語をあやつるユダヤ人の桃源郷とされてきたブコヴィナの像を、ユダヤ系女流詩人アウスレンダーの作品から抉り出し、ユダヤ人のアイデンティティ形成におけるその政治的意味を考察した。鈴木は、民族主義の高まりの中で、はじめて自らをマイノリティあるいはドイツ系ディスポラとして意識したトランシルヴァニアのドイツ系住民において、その結束の紐帯とて企図された詩集と、その国家社会主義的意図の意味について考察した。
著者
山下 博司
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.13, pp.221-185, 1996-03

国語学者大野晋氏の所謂「日本語=タミル語同系説」は、過去十五年来、日本の言語学会やインド研究者たちの間で、センセーショナルな話題を提供してきた。大野氏の所論は、次第に比較言語学的な領域を踏み越え、民俗学や先史考古学の分野をも動員した大がかりなものになりつつある。特に最近では、紀元前数世紀に船でタミル人が渡来したとする説にまで発展し、新たなる論議を呼んでいる。本稿では、一タミル研究者の視点に立ち、氏の方法論の不備と対応語彙表が抱える質的問題を指摘し、同系説を学問的に評価する上で障害となる難点のいくつかについて、具体的な事例に即しながら提示することにしたい。
著者
山下 博司
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011-04-28

本研究の期間内に、タミル・ヒンドゥー教の聖徒列伝『ティルットンダル・プラーナム』(通称『ペリヤ・プラーナム』)の核心部分(重要聖者にまつわる中心的説話等)に対し批判的な日本語訳を施し、翻訳出版の基礎を整えた。さらに、上記作業に関わる副産物として、専門研究者向けの英語による共著 A Concise History of South India: Issues and Interpretations(Delhi: Oxford University Press, 2014)、及び一般向けの単著『古代インドの思想-自然・文明・宗教-』(ちくま新書、2014年)等も執筆・公刊し、成果を広く発信し得た。
著者
小谷 汪之 関根 康正 麻田 豊 小西 正捷 山下 博司 石井 博
出版者
東京都立大学
雑誌
特定領域研究(A)
巻号頁・発行日
1998

現代インドにおける宗教対立(とくにヒンドゥーとムスリムの対立)はパキスタンとの関係の変化を伴いながら、南アジア世界をきわめて不安定にしている。小谷は歴史学の立場から、この問題を長期的な見通しで研究し、その成果をWestern India in Historicae Fansitionとして、インド、ニュー・デリーのマノーイル出版社から刊行した。又、2001年12月7-8日にニューデリーのJ.ネルー大学で開かれたUnderstanding Japanese Perspectreis on Fudia : An Inolo-Japanese DialogueというWorkshopで発表した。小西は長年の亘ってインドの民衆文化、とくに民画の研究をつづけてきたが、その成果を『インド:大地の民俗画』(未来社)として公刊した。インドの民衆の間に生きつづける伝統文化が時代の変化に対応して、日々新しいものをつけ加えていく姿がよく捉えられている。
著者
山下 博司
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

東南アジア(特にタイとインドネシア)へのインド系宗教の伝播につき文献収集し諸遺跡を実地調査した。特に東ジャワの大規模遺跡と王権・墓廟との関係で新知見を得た。現代東南アジアにおけるインド系宗教と王権との関わりにつき、王制を維持するタイで現存バラモン儀礼を調査し統治との関係を考究した。タイ版ラーマーヤナ劇の伝統維持についても王国を挙げての保護の様子を取材した。司祭養成の現状を調べるため南インドを実地調査し大きな示唆を得た。